私達もここ上富良野に来て1ヶ月半過ぎましたが、昨日今日と雨が降り続いています。先日から気になっていたこの町の開拓資料館に行ってきました。私達はお世話に成った町の歴史を必ず調べています。 たいそな事は出来ませんが、過去を知ることによって現在居る町を見る目が変わります。明治30年三重県から田中常次郎一行8名が当地に入植依頼、開基100周を記念し平成9年に建設された建物の様です。建物は、大正15年十勝岳噴火による泥流からの復興に東奔西走した当時の村長吉田貞次郎の住宅を解体復元したもので大正泥流の被害を受けながらも残存した建築物としては大変貴重なものですね
建物前には田中さんと吉田さんの像が立っていました。
大正15年の十勝岳大噴火とそれによる大泥流によりこの地域が被害を受けた時の村長・吉田貞次郎氏の旧宅を復元した建物だそうで、泥流被害の状況とその後の対策が写真つきで説明されてました。 昭和63年にも十勝岳大噴火があったそうで、その時飛んできた人の頭ほどの大きさの噴石が展示されてました。 それ以外にも噴火はあったそうで、十勝岳が活火山であることが強く印象に住んでいた町の人達の大変さが強く伝わってきました。一昨年お世話に成った洞爺湖でも有珠山が有りましたが、あのときもいい勉強させてもらいました。北海道は本土から来た人達によって開拓されて今に至っているようですが、今年は北海道命名150年です。「北海道の名付け親」と言われているのが松浦武四郎という人物です。武四郎は、江戸時代の終わりから明治にかけて活躍した探検家で、6度に渡る蝦夷地(北海道)の探査を通じてアイヌの人々とも交流を深め、蝦夷地の詳細な記録を数多く残した人のようですね また、アイヌの人々が蝦夷地で安心して暮らしていけるようにしたいという強い思いを持ち、行動した人でもあったそうです。こちらは先月資料館で色々と説明して頂きました。どこにも歴史はありますが、中々触れ合えるときが有りません 大阪を離れるといつもその町の歴史が知りたくなります。特に北海道民の優しさ親切さは、この様な開拓民の心が受け繋がれて居るんでしょうね 都会では中々こうはいきません