裕次郎の玉手箱3

趣味 写真や日記、旅行とアマチュア無線 PC 好きな事が多くて全て今一状態 人との出会いを大切に北海道大好き人間です。

戦場の遺品を遺族に.....

2014年05月07日 | 日記
新聞によると第二次世界大戦で戦死した旧日本兵から、旧連合国軍の兵士が戦利品として持ち帰るなどして海外に散逸した遺品を遺族に返還する「OBON(お盆)2015」のプロジェクトの一環で、このゴールデンウイーク期間に相次いで4件、寄せ書き日の丸が遺族のもとに返還されたそうだ 70年ぶり「再会」



先の大戦では、出征兵士には家族や知人らが寄せ書きした日章旗や女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作る「千人針」が渡された。親や兄弟、友人らの思いが込められたそれらを彼らはお守りとして軍服に忍ばせ、肌身離さずに戦った。 一方、戦場では旧連合国軍の兵士が戦死した日本兵の所持品を記念として頻繁に持ち去っていた。漢字で寄せ書きされた日章旗は格好の“戦利品”になったという。ある面旧連合軍に負けたが、どこかの国の様に日本人は口を大きく開き相手国にののしる事はしない 優しいのか 我慢強いのか... 私的には親父は連合軍の力に負けて亡くなった 心のどこかで敵国を....と思うが、そこまでで終ってしまう 悔しいが  どこかの国だと焼かれてしまいこの遺品も返ってくる事もなかっただろうね そんな国の人間の様には成りたくない よく考えれば戦争なんて何の役にも立たない しかし昨今はそうとばかり言って居れないのが難しい 寄りによって近場の悪に悩まされる今日この頃 
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別世界のような堺灯台

2014年05月07日 | 日記
夕方少々時間的に遅かったのですが、取りあえず駆けつけてみました。 
旧堺燈台は堺旧港南波止場の突端に位置し、建設当初の場所に現存する日本最古の木造洋式灯台として、国の指定史跡に成り、臨海工業地帯が迫る風景の中に静かにたたずんでます。昔話に登場しそうな雰囲気ですよ





明治10年、費用の大半を堺の人々の寄付で築造され、約1世紀にわたって港に出入りする船の航海の安全を見守ってきましたが、周辺の埋め立てなどにより昭和43年その役割を終えました。平成13~18年度に保存修理工事が行われ往時の姿が甦りました。...と観光案内に有ります。 私の好きな場所ですねえ じっと座っていても癒やされます。 特に夕日の時



時間によって変わるんですよね 綺麗さが...



向かいには龍女神像が見えます。 明るいとよく見えますが、遅く着いてしまい少し見づらいですね 次回はもう少し早い時間に







この辺は絵は外国の様な...中々いいもんです。  今回は少し変わった撮り方で納めたんですが、どんなもんでしょうか...
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