鈴木やすひろ

村民の声を村政に活かします!!

議員行政視察(多賀城市)

2014年10月17日 | 日記

10月7日8日と 宮城県多賀城市に 「震災からの復興状況について」

と埼玉県戸田市 「自治基本条例について

東京都江東区 そなエリア東京「防災体験学習施設」 を研修テーマに視察に行ってきた。

                                          仙台空港の浸水水位

                   遠く海岸線にわずかに残った松林と手前に浸水した田んぼ

今回11月の議会だよりに、多賀城市のレポートを書かせてもらいましたのでご一読ください

東日本の復興状況が3年たちどうなっているのか、自分の目と肌で感じたく、他の議員の了解を得て視察先を宮城県にしました。
愛知県の町村課などを通じて相手側に打診をすると、いまだ復興に向けての事業が忙しく、なかなか受け入れてもらえず、ホームページ上で視察が受け入れられない状況だと書き込んでいるところもあり、我々が思っているほど復興が進んでいないことがわかりました。
そのような中、一縷の望みで飛島村が支援物資を送った先を探したところ、多賀城市が受け入れを快く引き受けていただけることになりました。
平成23年5月に飛島バスで、私を含めた12人のボランティアと、土嚢袋、味噌汁、使い捨て食器などの支援物資を乗せ多賀城市に向かいました。
現地では地区住人から「駐車場の堆積したヘドロの匂いで、鼻と目に痛みが出るため、撤去してほしい。」との要請を受け作業をしました。
多賀城市は、古代東北地方の政治経済の拠点で、明治22年、13の村が統合し陸奥国府「多賀城」の名を永久に残すため村名を「多賀城」としたそうです。
地の利もあり、昭和46年仙台港開港に伴い、鉄鋼、石油、電力を中心とした企業進出と相まって人口が飛躍的に伸びて市制を敷きました。
今回の津波被害により市の34%が浸水し、188名の尊い命が奪われ、平成22年の国勢調査で、24000世帯のうち全壊は1746世帯、一部損壊世帯まで合わせると11510世帯の住家が被害を受けました。
被災直後にはすぐに停電が起き、同報無線、信号機が使えなくなり、私たち飛島村でも早急に何らかの対策を取る必要を感じました。
また避難所に来たのち、自宅に帰り避難生活をした人には、被災した人とはみなされず食糧支援の救済が受けられないなど、被災生活上で多くの問題点を学ぶことが出来ました。
震災により大きな企業が4社撤退が余儀なくされ、また多くの企業は、再開しても震災により製品の未納期間に取引先が次の納入業者を見つけるなど、厳しい状態が続いて市としてどう支援をするのか、厳しい状況が続いているとのことです。
震災後、多賀城市議会として、議員個々で行政に要望を出すと対応で、収拾がつかなくなり混乱するので、特別委員会を立ち上げ、議員間で対策を協議し、優先順位をつけ対応をしたり、
新たに造成した工業団地の企業誘致に、議員が情報収集に努め職員との連携を取り市長を中心に活動を行ったことにより成果を上げるなど、全てのことにおいて意思統一が重要と教えられました。
飛島村は今年伊勢湾台風55周年です。いつか忘れ去られるかもしれませんが、地球温暖化で台風は巨大化の傾向にあります。飛島の地が水に弱いことは地盤が低い以上避けらません。二度と犠牲者を出すことがあってはなりません。
我々議員は、住民と行政の橋渡し役であることを肝に銘じ、住民の生命、財産を守るために何をすればいいのか、多くのことを課題とし視察を終えました。

 

 


飛島村戦没者追悼式

2014年10月05日 | 行事

      追悼の言葉。

本日、飛島村戦没者追悼式が執り行われるにあたり、議会を代表して、謹んで追悼のことばを申し上げます。

顧みれば、先の大戦において、戦禍のぎせいとなられた御霊は、ひたすら祖国を思い、家族の幸せを念じつつ亡くなられました。

この戦没者の方々に思いをはせ、その尊い犠牲と、戦争の反省の上に、今日の平和と繁栄が成り立っていることを心に刻みたいと思います。

しかしながら、国内においては、東日本大震災による甚大な被害、とりわけ原発事故による影響は深刻の度を増しており、

また、先月には御嶽山において戦後最悪の火山災害が起きて、今なお多くの人が苦しみの中にあります。

来年は、戦後70年を迎えます。改めて二度と戦死者を出していけない、二度と遺族を出してはいけない、この思いを強くするところであります。

ご遺族の皆さんの高齢化などを考えると、戦争、被爆体験を風化させず、今を生きる世代、そして明日を生きる世代へと伝えること、

平和な社会をつくることは私たちの責務であります。

むすびにあたり、戦没者の御霊の安らかなご冥福と、ご遺族はじめ、ご参列の皆様方のご多幸と、ご健勝を心からお祈り申し上げまして、

追悼の言葉といたします。

  平成二十六年十月五日

                        飛島村議会議長  鈴木 康祐

今私たちの周りでは、目まぐるしく世の中が動いています。今日は台風18号が夜にかけ日本に上陸しようとしています。

今後の台風情報に注意深く、慎重な行動を取る必要があります。

このブログを書きながら、御嶽山の特集を見ていましたが、山小屋に避難している人々はみな同じ黄色のヘルメットをかぶっていました。

普段は何気なく見ている、防災用具がいかに大切か改めて思い知らされました。

飛島議会で、私が配備を望んだ救命胴衣、賛否いろいろあり、また今村内で津波避難ビルの建設にも震災から日が経つにつれ

必要性があるのかという意見も出ていますが、台風の巨大化にも備えるために必要だと、わたしは考えます。

村民の生命をいかに守るのか、最重要課題と考え議員活動をつづけてまいります。