原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

本当に役立つ政治家が選ばれたのだろうか?

2015年04月28日 09時27分50秒 | 政治

統一地方選挙が終わった。一時的な騒乱が一気に冷め、静かな時が再び流れ始めた。選挙となると、何度も頭を下げ、「皆様の声が届く政治を!」と叫んで一票を懇願した低姿勢の「時」も終わった。当選者は町の顔役の表情に戻り、高笑いが響き渡る。見慣れた風景だが、背筋に冷やりとしたものが流れる。次の選挙まで、この人たちはどのくらい働いてくれるのだろうか?疑問符が次々にわく。地方選挙だっただけに、より身近な候補者たちでもあった。頼むぜと、無理に口に出して言う自分が、虚しい。

 

わが町は人口が8千人程度。有権者は多くみて4千人程度か。立候補者は15人。町議は13人が定数。人口比率にしては多い。その前までは14人であった。今回ようやく是正されたのだが、たったの1名の減少(当初は4名減が目標)。町議の投票で定数が決まるのだから結果はこんなもんか。最終の検討内容も2名減らすか1名減らすかの論争だった。議員の多くが1名の減少を選んだ。町民感情としては6名でも十分。なかなか納得のいかない結果であった。

1名減少を提言した町議の論法は残念ながらきわめて幼稚と言うより、嘘だらけの内容だった(これについては2年前のブログで語っている)。そうした幼稚な理論を振りかざした人が上位で当選する異常さに、残念ながら深い絶望感がわく。

昨年、財界さっぽろとかいうカストリ誌(表現が古いな)に、わが町で起きた事件のことで偏向的な記事が掲載され、それを受けた町議会での町議の発言のお粗末さも紹介した。が、町民がこの問題をあまり深刻に受け止めていないこともよくわかった。当選した町議の顔触れはほとんど同じ。またぞろ、かったるい町議会が始まるのだと思うと、傍聴に行く気も起きない。

こういう町議を相手にする町長の気持ちも少しわかる。逆に言えばこの程度を相手にする議会運営は楽と言えば楽だ。果たしてこのことがわが町にとって良いのか悪いのか、考えるまでもない。

そういえば、財界さっぽろには、わが町にはかっての革新系と保守系の二つの流れが対立として残っているとかいう地元有力者の話が載っていた。この地元有力者が町議の一人だとしたらまさに噴飯もの。その可能性が必ずしも零ではないことが悲しい。

55年体制の残像などかけらもないことはたしかである。が、右対左の対立軸以前の意識の問題はたしかにある。この意識は55年当時と変わっていないかもしれない。だからこそ、うまく乗せられて、その昔に対立が先鋭化したとも言えるからだ。

その証拠が今回もみられた。戸別訪問などどうである。これについては前々回のブログで提議したが、そのほかにも署名集めなどの運動(組織票づくり)が堂々と行われていた。こういうことをやすやすと許す風潮がこの町にある。多分こうしたことは日本全国で行われていることなのだろう。だから日本の政治は?がつくのだ。

ちなみに、おまえは誰に入れたのだ、という声が聞こえそうだ。たしかにこれは困った。それでも入れた一票が当選に結びついていた。選考した基準は、何回か傍聴した議会の中で比較的(?)まともな質疑をした町議が一人だけいた。その人に入れたのである。果たしてこれが正解だったかどうか、これからの活動をじっくり見るしかない。

 

*山は福寿草が満開。この花のように寒さに強く可憐で力を感じさせる議員がたくさん出てほしい。花開け、福寿草議員たちよ!ささやかな願いでもある。


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