いつからだったのだろう。生鮮食品に賞味期限や消費期限の日付がつくようになったのは。まだ十年程度なのではと思うのだが、スーパーなどで買い物をする時は自然に期限日を確かめるようになった。なんでも賞味期限とはおいしく食べられる期限で、消費期限とは食べても安全な期限を示しているとか。基本的には品質の劣化が早く、長くは保存がきかない食品には消費期限。品質の劣化が比較的遅くてある程度保存がきく食品には賞味期限が表示される。消費期限を過ぎたものはできるだけ食べないほうがよく、賞味期限の方は多少過ぎても食べられないことはないらしい。
こうした期限表示が義務付けられてから、いろいろな問題も生まれている。表示の偽装が行われたり、コンビニなどで弁当が売れ残っなら捨てることになり、大きな無駄を生みだしているとか。でも食品の安全という絶対的な理由の前には、多少のリスクは良いということなのだろう。
私は基本的にあまり気にしていない。賞味期限や消費期限を過ぎたものでも結構口にする。もちろん、事前に匂いとか味を確かめる。けっこう期限切れの方がおいしい場合もあり、それなりに納得している。
ただし、この期限の両方に言えることだが、「あくまでも開封していない状態で、表示されている保存方法に従って保存した場合に限る」という大前提がある。つまり開封した場合は期限前であっても速やかに消費した方がいい。これは消費者の自己責任である、ということらしい。
自己責任という意味ではすべてそうであり、期限過ぎの食品を口にする場合でも、もう少し自分の経験値や自分の判断力を鍛えておくというのが、さらに大きな前提にあるべきだ。期限前であっても、十分危ないものだってあるはず。輸送時間やその時の管理方法、どの時間帯に製造したかなどで、消費期限は微妙に変わる。最近は製造月日や時間も同時に表示する場合もあるが、こうした表示だけにまるまる頼る感覚では現代人としてダメだ。やはり自己判断力を身につけるべきである。特に最近の日本では危機管理能力がきわめて薄くなっている。ちょっと危険にさえ感じている。自分で管理すべきことまですべて他人任せにしていては、どうにもならない。「口にした時、変だなと思ったけど、期限内だから大丈夫だと思った」、などはその典型だろう。こういう人ほど責任を人に押し付けるから始末に悪い。自己責任の判断能力を鍛えなければ、未来はない。
人間にも賞味期限や消費期限があるように思う。特に政治家にはこれを強く感じる。だが彼らには期限表示の義務がない。だからいつまでもダラダラと議員を続けている輩が多い。こういう人たちを有権者は自己判断能力で排斥していかなければならない。
都知事選の立候補騒ぎをみて愕然とした。小泉純一郎と細川護熙の元総理コンビのツーショットは悲惨だった。かつて20年前若くて颯爽としていた細川元総理はすでに76歳。白髪が一段と進行した小泉元総理は72歳。腐敗臭はないだろうが加齢臭が噴き出していた。細川元総理は60歳の還暦に議員をやめ、軽井沢で陶芸に打ち込んでいた人。保存状態は天日にさらしてそのままだった。賞味期限も消費期限もとっくに終わっている。特に佐川献金問題や幸福税の制定で自ら期限前に放り投げた人ではないか。そんな人を再登場させていいのだろうか。過去もひどいが現在も凄い。東京オリンピックは辞退すべきなどと言っていた。その人が東京都知事選に名乗りをあげたのである。驚くしかない。さらに奇妙なのは小泉元総理。彼は自民党をぶっ潰すと言って、政治家の75歳定年を言いだした人。そのために宮沢喜一や中曽根康弘を引退させた。それがなぜ後期高齢者でもある76歳の細川を応援するというのだろう。この人は変人と呼ばれて喜んでいたが、変人すぎる。頭が変になったのでは。東京都民も随分と舐められたものだ。
道民には全く関係ない選挙ではあるが、他山の石としても、有権者の能力や質が問われれいることをしっかりと意識しておく方がいい。食品同様、政治家にも消費(味)期限があることを。
格段に高いと言われます。
クライアント(患者)に寄り添うあまり、クライアントの身代わりになり、
ぼろぼろに疲れ切ってしまうという病気のようです。
政治家にやある種の人たちには、その逆の燃え尽きない症候群になるようです。
いつまでも自分の影響力を誇示する欲望が消えない…。
JR北海道の相談役は、ここ何年間かそうだったようですね。
いやはや、人間というのは…
前期高齢者の仲間入りした自分を鑑みてみると、まだ迷いの中にいると言うことなのでしょうか。自分が煩悩にもまれているとは思いませんが、強すぎる煩悩の方々からみれば、枯れた人間と思われるかもしれません。到底私に理解できないことですが。