今年の8月15日のことであった。ある歌がテレビから飛び込んできた。妙に心に残る。もう一度聞こうと、パソコンで検索した。その歌が「木蓮の涙」ということを知った。かなり前にリリースされていたらしい。が、聞いたのは初めて。十五年も前に亡くなった母を思い出した。「あなたが来たがっていた、この丘にひとりきり」この一節があったからだ。そこから記憶が逆回転する。母と交わした最後の会話が蘇えってきた。
母が入院したという連絡を小田原の自宅で聞いた。残暑がまだきつい9月20日頃だった。検査入院という話だが、何となく嫌な予感がした。すぐ北海道へ。検査が終わった後の医者の話を聞きたかった。釧路についたのが夕方。すでに担当の医者は帰宅していたが、無理を言って病院に来てもらい、結果を聞いた。「手遅れです」という宣告。「なにもできない」とも。「どのくらい持ちますか?」「三カ月が限界」。医者と交わした会話の断片が今も頭をよぎる。いつかくる、という日、覚悟しなければならない時、それが来たことを知った瞬間であった。
病室の母は元気そうに見えた。話も普通にできる。動揺を懸命に抑えて、何気ない話を続けた。母はくったくがなかった。「ここの先生はいい先生だね。何を食べてもいいという。好きなものを頼みなさいと言ってくれた」。その言葉の裏の意味を知る者には辛い話であった。だが真実は話せない。元気に話す母を見て、この調子なら3カ月は大丈夫かもと思った。実は10月1日から仕事で海外に出かける予定が入っていた。急きょ代理の人をとも思ったが、時間がなくどうしようかと迷っていた。母との会話で吹っ切れた。とにかく仕事を済ませ帰国してからすべて対処しようと決心した。出張は4週間。10月末に戻れば間に合う、という算段であった。
出張に出発するぎりぎりの9月28日まで釧路にいた。わずか1週間だが、母の様子が徐々に変わっていった。小田原に戻る日の朝、早めに病院を訪れた。その時、母は不思議な話をした。「昨日の夜、トイレに行ったら道に迷った」「丘の上にいたンだ」「美幌峠にいた」「その時どこからか声が聞こえた」「同じ病室の人が声をかけてくれて、やっと帰り道が分かった」
母がなぜ美幌峠にいるという錯覚をしたのか、その理由は分からない。ただ病院の廊下が美幌峠の風景に見えていたらしい。すでに脳の混濁が始まっていたようだ。心のどこかで、美幌峠の風景をもう一度見たいという願望があったのではないのかと想像していた。
母は出張中に亡くなった。イングランドの片田舎を巡っていた私は帰国することがかなわず、葬儀にも出席できなかった。仕事をリタイアする時期が近づいてきた時、北海道に帰ることを決め、空家となっていた実家に戻った。故郷に戻って最初に訪ねたのが美幌峠。「あなたが来たかった丘の上に、ひとりきり」この歌の一節が、その時の美幌峠を思い出させた。
10月11日。母の命日の今日、あらためて木蓮の涙を聞いた。何度も、何度も。
「木蓮の涙」
作詞:山田ひろし、作曲:柿沼清史
逢いたくて 逢いたくて この胸のささやきが
あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでも いつまでも 側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね 心は置き去りに
いとしさの花篭 抱えては 微笑んだ
あなたを見つめてた 遠い春の日々
やさしさを紡いで 織りあげた 恋の羽根
緑の風が吹く 丘によりそって
やがて 時はゆき過ぎ 幾度目かの春の日
あなたは眠る様に 空へと旅立った
いつまでも いつまでも 側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを 置き去りに
木蘭のつぼみが 開くのを見るたびに
あふれだす涙は 夢のあとさきに
あなたが 来たがってた この丘にひとりきり
さよならと言いかけて 何度も振り返る
逢いたくて 逢いたくて この胸のささやきが
あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでも いつまでも 側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを 置き去りに
母が入院したという連絡を小田原の自宅で聞いた。残暑がまだきつい9月20日頃だった。検査入院という話だが、何となく嫌な予感がした。すぐ北海道へ。検査が終わった後の医者の話を聞きたかった。釧路についたのが夕方。すでに担当の医者は帰宅していたが、無理を言って病院に来てもらい、結果を聞いた。「手遅れです」という宣告。「なにもできない」とも。「どのくらい持ちますか?」「三カ月が限界」。医者と交わした会話の断片が今も頭をよぎる。いつかくる、という日、覚悟しなければならない時、それが来たことを知った瞬間であった。
病室の母は元気そうに見えた。話も普通にできる。動揺を懸命に抑えて、何気ない話を続けた。母はくったくがなかった。「ここの先生はいい先生だね。何を食べてもいいという。好きなものを頼みなさいと言ってくれた」。その言葉の裏の意味を知る者には辛い話であった。だが真実は話せない。元気に話す母を見て、この調子なら3カ月は大丈夫かもと思った。実は10月1日から仕事で海外に出かける予定が入っていた。急きょ代理の人をとも思ったが、時間がなくどうしようかと迷っていた。母との会話で吹っ切れた。とにかく仕事を済ませ帰国してからすべて対処しようと決心した。出張は4週間。10月末に戻れば間に合う、という算段であった。
出張に出発するぎりぎりの9月28日まで釧路にいた。わずか1週間だが、母の様子が徐々に変わっていった。小田原に戻る日の朝、早めに病院を訪れた。その時、母は不思議な話をした。「昨日の夜、トイレに行ったら道に迷った」「丘の上にいたンだ」「美幌峠にいた」「その時どこからか声が聞こえた」「同じ病室の人が声をかけてくれて、やっと帰り道が分かった」
母がなぜ美幌峠にいるという錯覚をしたのか、その理由は分からない。ただ病院の廊下が美幌峠の風景に見えていたらしい。すでに脳の混濁が始まっていたようだ。心のどこかで、美幌峠の風景をもう一度見たいという願望があったのではないのかと想像していた。
母は出張中に亡くなった。イングランドの片田舎を巡っていた私は帰国することがかなわず、葬儀にも出席できなかった。仕事をリタイアする時期が近づいてきた時、北海道に帰ることを決め、空家となっていた実家に戻った。故郷に戻って最初に訪ねたのが美幌峠。「あなたが来たかった丘の上に、ひとりきり」この歌の一節が、その時の美幌峠を思い出させた。
10月11日。母の命日の今日、あらためて木蓮の涙を聞いた。何度も、何度も。
「木蓮の涙」
作詞:山田ひろし、作曲:柿沼清史
逢いたくて 逢いたくて この胸のささやきが
あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでも いつまでも 側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね 心は置き去りに
いとしさの花篭 抱えては 微笑んだ
あなたを見つめてた 遠い春の日々
やさしさを紡いで 織りあげた 恋の羽根
緑の風が吹く 丘によりそって
やがて 時はゆき過ぎ 幾度目かの春の日
あなたは眠る様に 空へと旅立った
いつまでも いつまでも 側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを 置き去りに
木蘭のつぼみが 開くのを見るたびに
あふれだす涙は 夢のあとさきに
あなたが 来たがってた この丘にひとりきり
さよならと言いかけて 何度も振り返る
逢いたくて 逢いたくて この胸のささやきが
あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでも いつまでも 側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを 置き去りに
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