やんまの気まぐれ・一句拝借!

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エンデイングノート書きそむ夜長かな 大槻祐二

2018年11月15日 | 俳句
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大槻祐二
エンデイングノート書きそむ夜長かな
人生の季節は千秋の落日を迎えた感あり。そこで今のうちにエンデイングノートを書留めておく気になった。おりしも秋の夜は永い。あらためて思いやる来し方行く末の思いは茫々と果てし無い。母の事父の事。先の戦争又戦後の事。妻と巡った旅の数々。仕事は大した業績を残せなかったがまずまずの満足である。ふと最後に、何て書いて締めくくろうかで筆が止まった。愛の言葉か感謝の言葉か、間違っても恨みつらみは書くのをよそう。長い長い夜が続く。:俳誌『春燈』(2018年1月号)所載。
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みづすまし遊ばせ秋の水へこむ 西東三鬼

2018年11月14日 | 俳句
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西東三鬼
みづすまし遊ばせ秋の水へこむ
ここで言う水澄はアメンボウのこと。四肢を踏ん張って遊ぶので水の表面張力に凹みができた。如何にも澄み渡る秋の気層の下での出来事らしい。人間も気候が良いので仕事に学業に遊びにと心行くまで傾倒できる。傍から見れば少し空気をゆがめてはいないか。いやその位夢中になれれば結構なことである。遊べ遊べこの世が凹むまで。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年4月10日)所載。
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笠をとり女となりし秋遍路 山本充

2018年11月13日 | 俳句
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山本 充
笠をとり女となりし秋遍路
春とは違い秋の遍路である。この時期に出立して終わり頃には冬の始まりを迎える。ぐっと厳しい旅路である。一休みと腰を掛けた遍路が笠をとった。旅人はお遍路が何と女人であった事に驚く。急に艶めいて見えて来た。彼女一人の身の上に何があってのこの遍路。と思い巡らせても詮無きことである。私は観光の一環で御朱印収集をした事がある。坂東霊場巡りである。巡り合うお遍路達の本格的な身なりと真摯な読経の声に胸を打たれた。人は様々な人生を背負っている。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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新聞の小説切って夜長かな ミコ

2018年11月12日 | 俳句
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ミコ
新聞の小説切って夜長かな
新聞の小説は毎日が明日へ続く。読みだすと続きが気になって毎日読むこととなる。段々と夜の時間が長くなって昼の楽しみから夜の楽しみへと比重が掛ってくる。昨今ではテレビのお笑い番組が全盛ではあるが今一つ着いて行けない。そうなると灯火親しみ読書三昧と言う事に成る。長い長い夜に切り取った小説を読み直すのが楽しみとなる。:つぶやく堂ネット喫茶店(2018年11月19日)所載。
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充たされし日々でありたし鰯雲 片倉正博

2018年11月11日 | 俳句
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片倉正博
充たされし日々でありたし鰯雲
幾つになっても充たされたいという願望はある。私的な物欲もあろう。心理的な充足感もあろう。家族の苦しみを救いたい祈りもあるだろう。そんなこんなの日常にふと空を見上る。一面に鰯雲が広がっている。何だか自分がちっぽけな存在に思えてきた。有るがままの自分を許容すれば足りる事なのだ。でもなあ悟りにはまだまだ遠い自分がある。:俳誌『百鳥』(2018年1月号)所載。
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石仏石に還りぬ七竈 古津隆次郎

2018年11月10日 | 俳句
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古津隆次郎
石仏石に還りぬ七竈
七竈が赤い実をつけて秋も次第に深まった。古い石仏のお顔も風化し、ただの石の肌に還ったかのようだ。少し肌寒いが散策をして体を動かすにはちょうど良い気候である。動くのは動ける今の内にとせっせせっせと歩く。わが凡くらは石には還らないだろうがせめて土くれ位には還りたいものだ。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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天広く地ひろく秋もゆく秋ぞ 一茶

2018年11月09日 | 俳句
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小林一茶
天広く地ひろく秋もゆく秋ぞ
天高く馬肥ゆる秋である。旅人には何時になく天も広く大地もひろく感じられた。ゆく秋の淋しさを胸に抱えて放浪する旅人には秋はひとしお身に沁みる。明日はいずこで飯にありつけるのか。句会に人は集まるのか。今はもう秋♪誰も居ない海♪~。燃えながら沈んでゆく夕陽が目に痛い。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。
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名を持たぬ道の多しや小鳥来る 山口蜜柑

2018年11月07日 | 俳句
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山口蜜柑
名を持たぬ道の多しや小鳥来る
散策をするのに調度よい気候である。あの道この道と気ままに歩く。別に名のある道ではないがそれはそれで思わぬ発見もある。大通りからは見えなかった小さな稲荷社とか団栗の零れる小公園とか。と赤い色が視線を走ったと思ったら小鳥の鳴き声がした。社のご神木の天辺で鵙が一鳴きした。秋本番歩け歩け!。:俳誌「はるもにあ」(2018年1月号)所載。
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山茶花の一たび凍てて咲きし花 細見綾子

2018年11月07日 | 俳句
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細見綾子
山茶花の一たび凍てて咲きし花
めっきり寒くなった。とは言え寒暖の波が繰り返して昨日の寒さから今日は小春日和のぽかぽか陽気。いったん凍ててしまった山茶花が生き返ったように咲いている。心の中に温かいものが流れて来る。尉鶲だろうか暫し遊んで立ち去った。そういえば昔この家に三姉妹が住んでいた。山茶花の垣根越しに聞こえてきたピアノの音も今は聞こえない。幸せに暮らしているだろうか。:備忘録より。
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蘆枯れて水流は真中を急ぎをり 森澄男

2018年11月06日 | 俳句
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森 澄男
蘆枯れて水流は真中を急ぎをり
空気が乾燥し蘆が枯れてぱちぱちと爆ぜている。水の流れはその蘆原の真中を急流となって走っている。私は東葛地域に育ち今は柏市に住んでいるのでこんな風景には馴染んでいる。特に細流ではタナゴと言う小魚をよく釣った。枯れた蘆に囲まれて風を避けタナゴ専用の短い竿で次々と釣りまくった。この魚は100匹とか大量に釣るのが人々の自慢であった。冬場の暇つぶしとは言え男の狩猟本能をくすぐり多くの愛好者が居た。凝った人はン百万の竿をしつらえたが釣果には影響しなかったようだ。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年5月10日)所載。
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坂の上に海あらはるる夕とんぼ 望月清彦

2018年11月05日 | 俳句
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望月清彦
坂の上に海あらはるる夕とんぼ
坂を登りきると視界にぱっと海が開けた。夕刻の波に一筋赤い夕陽の線が伸びている。身の回りには風に乗ってやって来た蜻蛉が群舞し空を覆っている。都会育ちの小生は海の見える丘が憧れでもある。遠く水平線に浮かぶ貨物船を眺めていたら一日飽きないだろう。さらにその向こうに富士山が見えたらこれ以上の事はない。都会の各所にある冨士見坂から夕焼け富士を眺めて感動している昨今である。また海を見る旅に出たいと思っている。:読売新聞「読売俳壇」(2018年10月15日)所載。
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星月夜天動説に固執する 稲葉光音

2018年11月04日 | 俳句
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稲葉光音
星月夜天動説に固執する
月の無い星空を見ている。自分の足がしっかりと大地を踏んで揺るぎない。星座や銀河を眺めていれば天動説こそ確かなものだと思えてくる。科学が客観的絶対を追求するなら詩人は主観的絶対を追求する。星が流れた時星が動いた事が確かであり相対的に地球が動いたなんて考えられない。秋から冬へ掛けて夜空の空気が澄み渡り星の観測には絶好機である。今年は何座の流星群が見られるのか。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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人影なき荷風の旧居文化の日 臼井さゆり

2018年11月03日 | 俳句
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臼井さゆり
人影なき荷風の旧居文化の日
永井荷風の終の棲家市川市八幡町であろうか。晩年の淋しさのまま人影もなく旧居が立っている。おりしも今日は文化の日である。旧居の前に立ち文化人の一生に思いをやる。我がままを貫いた芸術家は多々あろうが皆孤独の陰を宿している。ついでながらこの日は必ず晴れる気象特異日だと思っていたが果たして今日は如何に。:俳誌『春燈』(2018年2月号)所載。
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パソコンに指の弾みて鵙日和 ひであき

2018年11月02日 | 俳句
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ひであき
パソコンに指の弾みて鵙日和
秋晴れの空に鵙の高鳴く声が響き渡っている。誰かへ便りを書いてご機嫌な心境が呼応する。指先のタッチもリズミカルに快調である。健康で友達に恵まれた事に感謝しなければならない。小生の場合エクセルで俳句を作る。アル中の為ではないが肉筆では手が震えてしまうからだ。この時ばかりは指は弾むのだが、名句はさっぱり出来ないのが悲しい。:つぶやく堂ネット喫茶店(2018年10月9日)所載。
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川に出て舟あり乗りて秋惜しむ 上村占魚

2018年11月01日 | 俳句
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上村占魚
川に出て舟あり乗りて秋惜しむ
そぞろ歩いていると川にでた。この季節風が心地よい。小舟が一艘舫ってある。ひょいと飛び乗りたちまち舟の人となる。流れる水も風も水面に映る雲すらも深まる秋の色をなしている。ゆく秋をゆく季(とき)を胸にしみじみ思う一時ではある。二度とは帰らぬ川の流れにそっと手を触れてみる。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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