山風 ふぶき

山歩きや山スキー等、日々感じた事のふぶ記です。

190330 ひみこ

2019-03-30 21:23:40 | 日記
遠隔透視能力で世界トップレベルと言われるマクモニーグル。行方不明者探しの日本のテレビ番組でも見かける存在ではあるが、不明者本人の希望で放送できない等の諸般の事情も多く、せっかくマクモニーグルを呼んでも本来のパフォーマンスを発揮できない、業界との訳あり事情。嘆くマクモニーグル

もっと大きな歴史的謎に挑んでみようと、新プロジェクト。マクモニーグルには卑弥呼を透視してもらい、いまだに議論が尽きないヤマトの歴史に挑む企画。すでに本も出ていて動画も見られる状態ですが、卑弥呼の墓が山口県にあり、盗掘にも合わず中は埋葬当時のまま残っていると聞き、少し感動。以下は大まかな抜粋

卑弥呼が生まれたのは山口県内の村で、住まいは質素な高床式の住居だった。彼らの部族は南方系で中国から台湾を経て九州に上陸した。奄美にはとても古い祭祀跡が残る。海部氏一族の事だろうか。卑弥呼はシャーマンの家系に生まれ、持って生まれた才もありその頭角を現す。大叔父は出雲の地を治める支配者だが、畿内の部族とは争いが絶えない。大叔父の策もあり、シャーマンとして卑弥呼を邪馬台国、ヤマトの王として押し、西日本の大部分含む女王が誕生。

卑弥呼は女王になった後も、冬は山口に帰った。夏は畿内、冬は山口と、2カ所の居城を行き来しながら統治を行った。夏の居城は奈良県宇陀市榛原(はいばら)の鳥見山、冬の居城は山口県下関市豊田町の豊田湖畔。移動は主に陸路。卑弥呼の行列の見学は当時最大のイベントだった。


倭の国とは日本全国を言い邪馬台国とは卑弥呼の治める国と分けていたようだ。ヤマト連合王国を構成する多くの部族は、通常、離れた別々の場所で生活していた。ただ、年に1回、秋の収穫の直後には卑弥呼の統治する北方の神殿に集まった。冬に続く新年の豊作を神に祈るため、卑弥呼に対して貢ぎ物が捧げられたという。

彼の遠隔透視によると、卑弥呼は身長157センチ、体重は55.3キロ。当時としては、やや太り気味ではあるが、理想的な女性の体型とされていた。カラスのような黒髪で、皮膚の色はアイボリー。マクモニーグルは自らその顔のスケッチを描いているが、南方系の特徴が強い。とくに目の色はスティールグレー(濃い灰色)で、これは現代の日本ではあまり見られない。年齢を重ねても若々しく、その声はやさしさを漂わせていたが、相手には質問を許さない断固とした口調だったという。遺体は古墳内の石室に、花を敷きつめて編んだ花のマットの上に、金色の布地と白い布地でくるまれて横たえられた。現在は形を留めてはいない。


マクモニーグルによれば、透視能力のある卑弥呼に噓は通じないせいか相手が問い詰められる事等もあり、次第に周りから人は引いて行った。配偶者と子供も居なかった。女王としても孤独だった。

卑弥呼が崩御した時に九州地方で日食があり時の記録にも残る。その後、別な女王が引き継いだが、再び倭の国は戦乱を迎え大陸からは騎馬民族も上陸。
秦の始皇帝はギリシャの血を引くと言われ倭国にも影響少なからず。


それにしても卑弥呼の墓に強く引かれる様な感じは、何だろう。


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