遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

名古屋港の桜

2022-03-26 16:22:54 | 日記

令和4年3月26日(土)

名古屋港の桜

名古屋港ポートビルの桜

 

名古屋港無料休憩所前の桜は、未だ咲き始めたばかり。

昨年より、大分遅く感じられる。

22日、名古屋の桜の開花宣言があったが、その後の寒暖の

差が激しく、中々思い通りに咲いてくれないようだ。

日辺りの良い方は順調に開いている様だが、日陰の蕾は未だ

固い、。 ご近所の医院の庭の桜も3部、いや2部程か、

 

無料休憩所の南側、南極観測船「ふじ」の前に桜の木が2本

植えられている。

その下に「太平洋と日本海を桜で結ぶ」という記念碑が在る。

この桜は平成6年(1994年)「さくら道国際ネイチャー

ラン」が開催され、それを記念して荘川桜を移植したとの事。

発端は、岐阜県郡上市白鳥町出身の旧国鉄バス(現JR東海

バス)の車掌として勤務した佐藤良二さんが、岐阜県の「御母

衣ダム建設工事」に伴い、その区域が水没し桜並木が失われる

事からその桜の木を植え換える事を計画、、。足掛け10年余

この場所から名古屋迄、バスの沿線上に桜の木を植え続ける。

1966年から、その生涯を通じ約2000本の桜を植えた。

1977年、血液リンパ腫のため47歳の若さで逝去された。

その後、新聞・テレビ等の報道で全国に知れ渡り、彼の手記

「さくら道」が出版され、2009年「さくら道」がテレビ

ドラマ化された。

1944年から、名古屋城~金沢兼六園までを2日間かけて

走破する「さくら道国際ネイチャーラン」という、リレー・

マラソンが開催され、毎年4月下旬に実施されている。

この記念樹の桜(2本)が満開となるのは、今月末(31日)

頃の予想。 また訪れてみよう、、、、、、、

 

今日の1句

日の本の遅早の在りし花便り   ヤギ爺


木 蓮

2022-03-25 16:08:59 | 日記

令和4年3月25日(金)

木 蓮 : 白木蓮、紫木蓮

 

中国原産のモクレン科の落葉低木、高さ4~5m

3,4月頃、葉に先がけて白色(紅紫色)の六弁の花を

咲かせる。 10~15cm程の花を上向きに付ける。


先ず咲き出す頃の目連の蕾は天を向き、あたかもシャン

デリアのように美しい。

白木蓮は高木で、一つずつが大きな真白く輝く蕾となり

一片ずつ開花し始めると、あたりを圧倒する程の見事さ

だある。

咲き出してから散るまでの寿命はあまり長くなく、直ぐ

に汚れてくるので、花の盛りを貴く想い、はらはらと風

に散り行く風情が惜しまれる。

ご近所の庭の木蓮が白く輝いている。既に道端には真白

な大きな花びらが2,3落ちている。

大通りの一本裏(東側)を名古屋港へ向かい暫く歩くと

小さな公園に、紫木蓮が咲いている。

紫木蓮は2本、毎年薄紅紫色の花が咲いているが、この

道は人通りが少なく、誰もこの公園に入らぬ様だ。

この木は3m位の高さで、薄紅紫の花は10cmほど、

微かに芳香が漂っている。

ひっそりと佇む(深窓の令嬢)の様に気品がある。

近づくと、日向から私に笑顔を振りまいている様だ。

 

木蓮の蕾を乾燥させたものを、「辛夷」(しんい)と

呼ばれ、鼻炎や頭痛、発熱などの生薬として、効能が

あるといわれる。

 

今日の1句

日照雨来て木蓮の白あらたなる   ヤギ爺

※日照雨 : そばえ、俄雨のこと。 


しらす干し

2022-03-24 16:33:08 | 日記

令和4年3月24日(木)

白子干 : ちりめんじゃこ

鰯の稚魚を食塩水の釜の中で茹で揚げて、干したもの

箱根から西の方では「ちりめんじゃこ」という。

じゃこは雑魚(ざこ)のこと。

ごく小さな魚を平らに広げて乾す様子が、細かなしわ

を持つ絹織物の「ちりめん」(縮綿)を広げたように

見えることから、この名がついた。

油分の少ないカタクチイワシの仔魚が用いられる。

一般的に体長3cm未満のものを指し、それより大きい

ものは「カエリ」と呼ばれる。

当日中に天日干しをするため、漁の当日が雨天の場合は

漁は中止する。漁に出ると、水揚げ後直ちに帰港をし、

釜茹でしなければならず、出漁から帰港迄の所要時間は

1~数時間である。

直ちに大釜の塩水で茹で上げ、釜から取り出したものを

「釜揚げシラス」とよび、瞬時に冷凍出荷する。

観光地や土産物店用となる。

他は日当たり、風通しの良い場所に細かい網の上に茹で

上がったシラスを広げる。

京都では「ややとと」と呼ばれているようである。

東京の人は、生乾きの白子を好むといわれる様だが、

近年、我々の住む中部圏や関西方面でも「生しらす」

「釜揚げしらす」が好まれる様になった。

高速道路の普及(第二東名)で産地(駿河湾)沿いの

サービスエリアに在る専門店で、釜揚げ白子等を食べ

させてくれる。

大変な人気で、シーズンには長蛇の列が出来る。

それでも並んで食べたい。(並んでるからつい列に)

私(ヤギ爺)も旅行などで東名を利用すれば、必ず

家族揃って列に続いている、、、、、、。

生シラス丼、釜揚げ丼、桜エビと釜揚げシラス丼等と

人気メニューが次々に、、、、、、、。

シラスは、其のまま御飯に乗せたり、じゃこおろし、

炊き込みご飯、煮物、炒め物、ほうれん草等和え物

などなどで食され、佃煮等の加工品にも使用される。

白子は牛乳と共にカルシウムが多く、其の代名詞の

様にもなっている。

以前、白子干しを買うと、タコ、カニ、エビ等の小魚

が混じって居り、子供の頃、これを見つけて喜んで居

たが、最近は食品アレルギー(エビ、カニ等)の表示

が義務付けられ、取り除かれる様になった。

中にB級品として安価な物には在るようだが、、、。

 

今日の1句

白子丼ひたすら列に並びをり   ヤギ爺


片栗の花

2022-03-23 17:02:14 | 日記

令和4年3月23日(水)

片栗の花 : かたかごの花

山林の半日陰、湿地、斜面に群生するユリ科の植物。

地下の鱗茎から葉と花茎を伸ばし、薄紫色の六弁の花

を下向きに開く。

豊田市足助町の香嵐渓(紅葉の名所)にある飯盛山で、

早春の妖精といわれるカタクリの花が見頃を迎えた。

カタクリは種蒔きから花が咲くまでに7年程がかかる

そうである。

飯盛山ではカタクリの自生地を増やそうと、1986年

から地元の有志等が毎年種を植え続け、現在ではおよそ

5000平方メートルの斜面に群生するようになった。

カタクリは、早春に一対の葉を広げて花茎の先端に淡い

紫色で、花弁の付け根に濃紫色の斑点のある花をうつむ

き加減に付ける。

万葉集では、「堅香子」とよぶ。 呼名はかたかご。

カタクリの若葉は「お浸し」などで食されるが、鱗茎

からは澱粉が採取される。片栗粉と呼ばれる。

近年では、片栗粉に代り市販の多くはじゃが芋の澱粉

になり、唐揚げなどの衣や料理のとろみ付けに用いる。

 

今日の1句

小暗がり片栗の花群るる山   ヤギ爺


菜の花

2022-03-22 16:39:27 | 日記

令和4年3月22日(火)

菜の花 : 花 菜

アブラナ科の越年草の油菜の花

古くから日本で栽培されていたのは油菜で、現在ではその殆どが

西洋油菜といわれる。

もともと菜は副食物を総称する菜(な)と、主食用とする魚(な)

も同じ語源からきた言葉である。

食用にされる菜には色々あり、芥子菜・高菜・白菜・蕪菜・油菜

などがある。

 

「本朝食鑑」(元禄10年)では、「菜はあおな」の俗名として

いる」。

これらの菜の花には多少の遅早はあるが、春に黄色の十字状の四

弁花が茎の先に群がって咲く。

菜の花は油菜のことで、その種から菜種油を採るので薬種という。

菜種油は、中世に摂津国遠里小野村(現、大阪府・堺市)で初め

て精製された。(それ迄は胡麻油が圧倒的であった。)

菜の花を「大和本草」(宝永6年)では、「満地金の如し」とか、

「農業全書」(元禄10年)では、「黄なる絹をしけるが如し」

と述べている。

 

俳人の与謝蕪村が安永3年(1774年)に詠んだ、

菜の花や月は東に日は西に 

見渡す限り菜の花の黄一色の世界。日輪は西の空に傾いているが、

東の空にはもう淡淡と大きな月が上っているという広大な風景で

ある。 とうてい画布には収まり切れない構図を、画家であった

蕪村は見事に十七文字に凝縮して描きあげたのである。

この句に接するたびに、自然の懐に抱かれて土と共にあった先人 

達の大らかな気息と、噎せるような菜の花の色と匂いが蘇って来

る。 子供達のうたう小学唱歌と共に、長く日本人の心にのこる

馴染み深い句である。

(俳人山口いさを、句評 新日本大歳時記より引用した。)

白川公園の、菜の花が見頃を迎えた。

平針農業センターに在る、菜の花畠もそろそろ見頃を

迎える頃だ、、、、

 

今日の1句(俳人の名句)

菜の花という平凡を愛しけり   富安 風声