遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

桃の節句

2022-03-03 16:31:59 | 日記

令和4年3月3日(木)

桃の節句 : 雛の節句

三月三日、雛祭の別名で古くは上巳の節供をいい、宮中では

供え物をし、節宴を行い闘鶏や曲水の宴を催したりした。

古代の中国では、陰暦三月初めの「巳の年」を節日とした。

日本歳時記(1688年度刊行)によると、三月は辰の月なの

で巳を除厄日とし、不詳を除く意でありそれが後に3月3日と

なった。

中国の風習では水辺で禊を行ったり、酒を飲んで災厄を祓った

りしたが、これが曲水の遊びへと発展した。

我国では5世紀の末、宮中で曲水の宴が行われた(日本書記)

禊の風習はその後、自分の体を人形で撫でて水に流して穢れを

祓う行事となった。

室町時代になるとこれに代り、雛人形を飾り、白酒や菱餅など

を供える「雛祭り」として発展した。

以降、女の子の幸せを祈って行う「桃の節句」となった。

中国は桃は富貴(富が在り位が高いこと)を象徴するもので、

桃の花の紅が女の子の雰囲気によく合うという。

娘の夫婦雛(七段飾りの内裏雛のみ飾る、今はそれもしない、、、)

 

亦、延命長寿を願う「桃源郷」の話にも通ずるといわれる。

 

陰暦なら桃の花の咲く頃であり、雪国では陰暦或いは月遅れ

で行うところもある。

さて、お雛祭りには蛤や浅蜊等の料理(主に貝汁)が添えら

れる事が多い。

「雛の貝」の意は、ピッタリ蓋の合わされる二枚貝は「夫婦

睦まじく」という意味が」込められているようです。

平安時代には「貝合わせ」と呼ばれる一対の貝殻を見つける

遊びが在り、蛤は一人の相手と永遠に仲良く過ごすという、

女性の幸せの象徴であった。

江戸時代になると大名家等の嫁入り道具に用いられ、豪華な

蒔絵等を施した容器に「貝合わせ」を入れ、花嫁行列の先頭

に飾られたと言われている。

我家では、雛飾りをする事もなくなったが、カミさん手作り

の「紙ひいな」を飾り、、古い写真(娘の七段飾り)を眺め

珈琲タイム、、、(夜はちらし寿司と貝汁を所望、、)

 

 

今日の1句

紙ひいなセピア色した写真かな   ヤギ爺