遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

百日紅

2021-07-26 15:49:31 | 日記

令和3年7月26日(月)

百日紅 : さるすべり

ミソハギ科の落葉高木、中国原産で庭園等に植樹される。

7~9月頃に桃、紅、紅紫、白色等の直径3cm程の花

が枝の先端に群がり咲く。

徳川園の百日紅、紅白

 

花期が長いために百日紅の名が在る。白花は百日白ともいう。

白のさるすべりは優雅であるが、少し寂しい感じがする。

樹皮は剥がれ易く、滑らかな幹は猿も滑り落ちるというので

猿滑と名付けられた。 幹にはコブが多い。

葉は楕円形で、四棱のある枝に対生する。

百日紅の木は硬く緻密で、細工物に使用される。

 

マンションの前、公園を挟む通りには両側に百日紅の並木が

ある。 

毎年7月頃から百日紅は紅色の花を付けるのだが、今年は

何故か一本だけが満開となり、他の樹木は一つも花がない。

全ての樹木の日当たりは平等に良いのだが、、?

こんな事も在る様で、不思議でならない。

この通りは連日路面を掘り起こし、工事を繰り返している。

暑い最中、アスファルトも焼けてさぞかし、、、、

よく見ていると、先月掘り起こした個所を亦、繰り返し?

 

夏休みに入り数日の間の午前中、子供達の声がしていたが、

全く来なくなってしまった、、、連日の猛暑に家で勉強?

ゲーム、、家族で出かける様子もないようだが、、、?

 

今日の1句

白日夢燃ゆることなき百日紅   ヤギ爺


かき氷の日

2021-07-25 15:33:46 | 日記

令和3年7月25日(日)

かき氷の日

今日7月25日は「かき氷の日」だそうです。

またまた、語呂合わせで「7(ナ)、2(ツ)、5(ゴオリ)」

という。

1933年7月25日に、日本最高気温を記録したのがこの日

山形県山形市で40.8℃を記録(その後2007年に熊谷市

と多治見市で40.9℃、その後は熊谷市と浜松市で41.1

℃と、年々温暖化で上昇中であるが、、)

夏の真っ盛りの7月25日は、最も「かき氷」の美味しい時季

でもある。

かき氷の歴史は古く平安時代、清少納言の「枕草子」の中に、

「削り氷にあまずら入れて、あたらしきかなまりに入れたる」

とある。(あまずらは甘蔦、ツタの古名。今の甘茶づる。

かなまりは、金属の椀をいう) この時代には冷蔵庫もなく、

氷は貴重品で貴族のほんの一部が嗜んだようだ)

今ではかき氷のことを「フラッペ」といい、喫茶店等でも提供

されているが、「フラッペ」は仏語のFrappéで、氷を砕いた

大粒の物にリキュール等の酒類を注いだ飲料である。

1869年(明治2年)に神奈川県横浜の馬車道に在った、

町田房造で初めて氷水店を開いた。(この店は日本で初めて、

アイスクリームを提供した事でも知られる)

1878年(明治11年)には、次々に出来た氷水店が粗悪

な氷が販売されるのを規制するため「氷製造人並販売人取締

規制」が公布される。衛生検査に合格した者に「氷の生産地

販売者名」を示したノボリ・看板を掲げる事を義務付けた。

この時に配られた旗が、現在の「氷旗」の原型となっている。

1887年(明治20年)、氷削り機を村上半三郎が発明。

第二次世界大戦前は、削った氷に砂糖をかけた「雪」、砂糖

蜜をかけた「みぞれ」、小豆餡を乗せた「金時」が定番。

戦後に、「イチゴやレモン風味シロップ」が販売され「雪」

は姿を消した。

 

暑さ真っ盛りの中、早速カミさんとふたり、ご近所の甘味処

へ出かける。此処は元々(先代は製氷店)の氷やを止めて、

娘さんが甘味処を開いた。お団子や善哉が主流だが夏場だけ

かき氷を出している。年寄り客(私も)が多いので今風の

洒落た物はないが、きめ細かな氷の量は半端ない、、、、。

ミルク金時

金時

 

丁度、オリンピック放送中で、ゆっくりTV観戦し、体の

迄冷して、、、、、、、

 

今日の1句

夏氷テレビ観戦ああ甘露   ヤギ爺


蚊遣り

2021-07-24 16:43:50 | 日記

令和3年7月24日(土)

蚊遣り : 蚊取線香

蚊を追払うために松、杉、榧(かや)の葉や蓬等を焚いて

いぶすこと。

以前は、除虫掬を主原料とした渦巻き状の線香が主流であ

ったが、現在では化学薬品を用いた除虫器具がこれに替わ

りつつある。

 

電気式の「アース・ノーマット」や、 スプレータイプの

「キンチョール」「押すだけノーマット」等がある。

亦、屋外で作業(庭弄り、草取り)する時には、虫除けの

スプレー「サラテクト・パウダータイプ」等があり、

吟行等で郊外に出掛ける時には携帯用の虫除けスプレーを

持参する。

但し、町内の行事の草取りや夏祭り、ラジオ体操等の蔡には

スプレーも用意するが、従来型の渦巻き形の蚊取線香を草叢

に数カ所用意している。

家の中では、スプレータイプが重宝する。

蚊取線香は、喘息持ちの私は喉が気になり、サッと一吹きの

スプレーは苦にならない (些か、宣伝の様で恐縮です)

昨夜は「東京オリンピックの開会式」、

テレビに釘付けとなり、入場行進が始まる頃には9時を過ぎ

日本選手団を一目と、、200余の参加国、開会式参加人数

は少ないが、ソーシャル・デスタンスとかで、ペースが遅く、

日本選手団は最後の11時過ぎ、やはり天皇陛下の開会宣言

をと、、、その前の橋本組織委員長、バッハIOC会長の挨拶

が長く(2人で30分弱)選手達も退屈そう、、聖火入場

には巨人大物OB(王、長嶋、松井選手)が伝達、、、、

長嶋さん往年の姿はなく、足取りがおぼつかず、松井選手の

介助でやっと、、、何やかや、遂、終りまで見てしまった。

時間ばかがり気になり、何だか感動は今一でした。

12時30分過ぎ、やっと床に就き、寝入り端に「ブーン」

嫌な羽音、今夏初めての蚊の襲来、、、、スプレー何処だ!

何時もなら9時過ぎにエアコンを付けて、白河夜船、、、、

昨夜は、ベランダの戸を開け、、夕風にあたり、、、、

戸を閉めるのを忘れていた様である、、、、

 

今日の1句

寝入り端羽音堪らず蚊遣り焚く   ヤギ爺


ひやむぎ

2021-07-23 16:28:06 | 日記

令和3年7月23日(金)

冷 麦

毎日、暑い暑いを繰り返し、カミさん「今日の昼何にする?」

「昼は、麺、、、今日は冷麦を茹でて置くから、、、」

カミさん、イソイソと何処へやら、、、、、、、

冷麦の原料は小麦粉で、饂飩と同じように食塩水で練って伸ばし

饂飩より細く、素麺より少し太めに切った面を茹で上げて、氷や

氷水で冷やし、葱、茗荷、紫蘇等の薬味を添え、濃いめの麵つゆ

で食べるもの。

茹でる

 

その喉越しの良さで夏場に最も好まれる欠かせない食材の一つ。

我が家の昼食は麺類と決めて居り、蕎麦、饂飩、素麺(冷麦)、

中華麺、パスタ、焼きそば等、、、、夏場は冷たいもの

素麺、冷麦、冷し中華、ざる蕎麦、偶にパスタ、焼きそば等

冬場は温かい蕎麦、ラーメン、にゅう麺、煮込み(鍋焼き)饂飩

 

今の季節は、麺を茹でて冷し、麺つゆで啜ればよいが、我が家

の定番は、素麺(冷麦)も冷し中華風に卵焼き、ハム、胡瓜、

もやし、油揚げ等を短冊切りにして麺に乗せ、麺つゆをかけ、

葱、生姜を添える。 少々面倒だがこれが旨い、、、、、

 

日本の手延べ麺類の歴史は古く、奈良時代に中国から帰国した

僧侶に依って伝わったと言われている。

唐菓子の「索餅」(さくべい)、「餺飩」(はくたく)「餛飩」

(こんどん)から「饂飩」(うどん)になったといわれる。

当初は僧侶達が、経典等の書き写し作業の合間に食べた物と

いわれている。

名前の由来は「餛飩」(こんどん)➡「温飩」➡「饂飩」に。

亦、素麺は「索餅」➡「索麺」➡「素麺」となったと在る。

江戸時代に現在のような切り麺となり、熱い汁で食べるのを、

「あつむき」、水で冷やして食べるのが「ひやむき」となった。

麺の区分(素麺、冷麦、饂飩)は、

干素麺は、直径1.3mm未満(手延べは1.7m未満)

干冷麦は、直径1.3mm以上1.7mm未満(手延べも同じ)

干饂飩は、直径1.7mm以上(手延べも同じ)

冷し饂飩(細めん使用)

 

 

亦、素麺は糸の様に伸ばし、冷麦はうどんの様に切る様である。

 

今日の1句

母の郷冷や麦啜る静寂(しじま)哉   ヤギ爺


シモツケの花

2021-07-22 16:11:14 | 日記

令和3年7月15日(木)

繍線掬 : シモツケ

バラ科の落葉小低木、高さ30~60cm

5~8月頃に枝先に5~6mmの小花を多数つける。

色は濃紅、淡紅、白色の五弁の花。

日当たりの良い草地等に自生するが、庭木、盆栽等の鑑賞用

にされる。

花が似ている、バラ科の多年草の「下野草」がある。

6~7月頃に五弁の淡紅色の細かい花が茎の先に密生して咲く。

雄蕊が花びらより長い。

繍線掬(シモツケ)と下野草の違い、我々素人には見分け難い

が、よく見ると葉と花に大きな特徴があるようだ。

繡線掬(シモツケ)

バラ科の落葉小低木で、葉は披針形または卵形をしており、

花は五弁の小花(直径5~6cm9を密生して付ける。

同属に「小手毬」がある。

小手毬

 

下野草(シモツケソウ)

バラ科の多年草で、葉が5~7に爆裂した不揃いの鋸歯が

ある。紅葉に似た掌状の葉。 

花茎の先が幾つかに分かれシモツケより散らした様に花

を付ける。花よりも蕊が目立っている。

繍線掬(シモツケ)の由来

シモツケは和名で、下野国(シモツケの国、今の栃木県)

に産した花に由来する。別に下野草があるが、これは花が

シモツケに似ていることからである。

漢字の繍線掬は、中国名からきている。中国の戦国時代に

敵に捕らえられた父親を助け出そうとした娘(名を繍線)

が生きて父親に会う事が叶わず、父親の墓前に咲いていた

花を故郷に持ち帰り、育て開花させたという。この花を

娘の名(繍線)から「終戦掬」と読んだ。

徳川園の池の畔「瑞龍亭」の辺りにシモツケの花が」群生

している。小手毬の花に似た淡紅色のシモツケが池の鯉

を覗き見る様にして居り、暫し佇んでしまった、、、

 

今日の1句

だらだらと繍線掬続く女坂   ヤギ爺