令和3年6月12日(土)
アンネの日記
今日6月12日は、「アンネの日記」の作者アンネ・フランク
の誕生日。
1942年(昭和17年)のこの日、ユダヤ系ドイツ人の少女
アンネ・フランクが「アンネの日記」を書き始めた日である。
アンネの日記(スペイン語版)ウイキペデイアより、
ナチスドイツのユダヤ人狩りを逃れ、オランダに亡命した、
オットー・フランク一家は、アムステルダムでジャムや香辛料
製造の工場を作り営んでいた。ドイツ軍はポーランドからオラ
ンダへと侵入、ナチスの手が回った事を知り、一家は工場裏の
隠れ家に潜んだ。オットーはアンネの13歳の誕生日に日記を
プレゼントした。 この日からアンネの日記が始まった。
誕生日のプレゼントの日記
1944年の8月4日、何者かに密告されたフランク一家は、
独逸秘密警察に連行され、アウシュヴィッツ(ポーランド)の
収容所へ移送された。 親子別々に収容されたアンネと3歳上
の姉は苛酷な生活を余儀なくされる中、発疹チフスに感染して
姉と伴に15歳の若さで死亡した。
その後、ドイツは連合軍に敗退し父のオットーだけが生き残り
支援者により保存された日記を、オットーに出版を薦める。
当初3000部を出版、瞬く間に売り切れた。その後、凡そ70
言語に翻訳されたアンネの日記は3000万部の第ベストセラー
となった。
1959年、アメリカの20世紀フォックスが映画化し、新人
のミリ―パーキンスが主演する「アンネの日記」(白黒映画)が
公開された(第32回アカデミー賞に作品賞他8部門ノミネート)
当時(昭和34年頃)アメリカは大作制作に奔る中、白黒の地味
な作品であったがヒットした。
丁度、高校に入ったばかりの私(ヤギ爺)、映画研究部に入部。
顧問のI先生は、文部省選映画評議員をして居られ、先生の薦め
でこの映画を見に行った。ヨーロッパ映画の様な暗い(白黒画面)
印象があった。(菩提樹、道、鉄道員、汚れ泣き悪戯等、、、)
映画「アンネの日記」
監 督 : ジョージ・ステイーブンス
原 作 : アンネ・フランク
脚 本 : フランセス・グッドリッジ、アルバート・ハケット
撮 影 : ウイリアム・C・メイラー
キャスト
アンネ・フランク : ミリー・パーキンス
オットー・フランク : ジョセフ・シルドクラウト
ペーダー・ファン・ダイク : リチャード・ベイヤー
この映画に主演した、ミリー・パーキンスは一躍スターダム
へと、、、然しその後の作品に恵まれずTVドラマへ、、、
「1945年、ナチス占領下の収容所から解放されたオットーは
オランダのアムステルダムの屋根裏部屋(隠れ家)に戻る、、、
其処で、アンネの綴った日記を繙いて2年間の隠遁生活を、、、
ユダヤ人の父とオランダ人の母の次女として生まれたアンネは
一家と伴に、ユダヤ人排斥が始まったドイツを逃れオランダへ、
一家はジャムと香辛料を作る父と幸せの日々を、、、つかの間
ポーランドからオランダへ侵攻したドイツ軍の弾圧が始まり、
工場裏の屋根裏部屋に隠れ住む。 アンネの13歳の誕生日に
父から日記を貰い、その日から彼女の日記が始まった。文学
少女だったアンネは日記に「後ろの家」と名付ける。
屋根裏部屋でのささやかなパーテイ、音を立てずに秘かに暮らす
日々が綴られていく、、、やがて密告により一家は収容所送り
辛い日々が続く、、ひとり生き残った父オットーは後で娘達の
死を知らされ、、、、、、
角川文庫
角川伝記マンガ
何とも切ない、物語、、原作を読み、子供達にはマンガを読ま
せた、、、 ヒトラーのユダヤ嫌い、、、今なら、トランプの
4年間の滅茶苦茶な自分ファースト(白人主義)は若者や共和
党員を煽り、、ナチスも当時は若者達もヒトラーに煽動された。
然し、ヒトラーは死に、トランプは健在(彼の恐怖に怯えつ)
一時も目が離せない、、、、、
今日の1句
短夜の寄る辺少なき命かな ヤギ爺