ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




「ロシアの旅」
今では旅行にも行けない、ロシア、サンクトペテルブルグを、以前に旅した時の写真です。
関空を出発、ウズベキスタン経由でサンクトペテルブルグのホテルに到着。ネバ川に係留
されている「オーロラ号」は、日露戦争でロシア海軍が破れ、奇跡的に対馬海峡を脱出し
ペテルブルクに戻った戦艦です。
翌日は「エルミタージュ美術館」へ。世界最大の美術館の一つで1764年、時の女帝エカテ
リーナ二世は、ベルリンから225点の絵を購入し、ペテルブルクの王居である冬の宮殿に、
付属の別館を造り、エルミタージュと名付けた。(エルミタージュとは、『隠れ家』を意味
するフランス語の名称)です。
水中翼船で、世界遺産ペテルゴーフ「ピョートル大帝の夏の宮殿」を観光しました。此処
は水が巧みに生かされた、白とクリーム色の宮殿で広い庭にある無数の噴水がすばらしく、
これらの噴水はポンプ等を使わず、自然の高低差を利用して水を噴き上げていました。
ペテルブルグに戻り、英雄広場や、マンスキー劇場でバレージゼルを鑑賞しました。
次の観光地「エストニア共和国」へ向かいました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




「エストニア共和国」
エストニアは、ヨーロッパ北東部の共和制国家で、EUそしてNATOの加盟国、通貨は
ユーロ人口は134万人首都はタリンです。フィンランド湾に面するバルト三国の一つです。
「歌う革命」は、1987年から1991年にかけて発生した、バルト三国の独立を目的とする
一連の出来事の総称で、「歌と踊りの祭典」はエストニアにとって、昔から続く大切な伝統
です。 第1回「歌の祭典」は1869年に、「踊りの祭典」は1934年に開催されました。
現在「歌と踊りの祭典」は5年に一度開催されています。1988年に開催された祭典では、
ソ連統治下の中、禁じられていたエストニアの民族音楽をエストニア語で合唱しました。
それが国民の機運を高め、エストニアを独立へと導き、1991年8月20日、独立を達成。
流血なしに独立を達成したこのイベントは、「歌う革命」とも呼ばれています。
2003年には、この伝統ある「歌と踊りの祭典」がユネスコの無形文化遺産に登録された。
パレードの日は、はあいにくの雨降りでしたが、皆さん元気に行進していました。
翌日の「歌と踊りの祭典」は晴天となり皆が楽しそうに踊っていました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




「軽井沢・小諸・蓼科車山高原」
草津温泉から、日本ロマンチック街道(R292)、鬼押ハイウエイで「鬼押出し園・浅間山火
山博物館」「白糸の滝」等を観光し、白糸ハイランドウエイ経由で軽井沢に到着しました。
小休止の後、R18号線で小諸の「懐古園」を観光した後、軽井沢に戻り、軽井沢プリンス
ホテルに宿泊しました。
翌日は、女神湖、池の平、車山高原ビーナスラインで、霧ヶ峰、県道R40で下諏訪へ出て、
諏訪ICから帰途に付きました。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




京都葵祭
今から約1500年前に始まったとされる賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社
(上賀茂神社)の例祭で、5月初旬からさまざまな行事(前儀)が行われ、
5月15日には、およそ8キロもの距離を、平安装束をまとった人々が練り歩く
「路頭の儀」が開催されました。
江戸時代から、行列の御所車や勅史、共奉仕者の衣冠などに飾られる緑の葉は
「葵桂」と言って、桂の小枝に下鴨神社と上賀茂神社の神紋である二葉葵の葉を
絡ませて飾るようになり、「葵祭」と呼ばれるようになりました。祭りで使われる
葵は毎年両神社から御所に納められています。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




「山のホテルのツツジ」
以前5月上旬に、箱根・芦ノ湖畔でも屈指のロケーションを誇る、本格リゾートホテル、
「山のホテル」のツツジを見に行って来ました。
かつての岩﨑小彌太男爵別邸跡地に建つ「山のホテル」のツツジは綺麗に咲いていました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




花月園のツツジ
以前5月中旬に、箱根の「山のホテル」に向かう途中「ホテル花月園」の
お庭が解放されていたので、撮影させて頂きました。
それはきれいなツツジが満開でした。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




東京ドイツ村
以前に5月初旬に、東京ドイツ村に行きました。
花々がきれいでしs多。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




「会津・サクラ巡り」NO4
宿を出発し、猪苗代城(亀ケ城)跡から眺める磐梯山は見事でした。湯野上温泉駅から
芦ノ牧温泉駅まで「会津鉄道お花見列車」に乗車し列車の旅を楽しんだ後、会津のシン
ボル的存在の「鶴ヶ城(会津若松城)」を観光しました。「会津若松城」は、大河ドラマで
山本(新島)八重が、立て籠もった城、会津のシンボル的存在「鶴ヶ城(会津若松城)」で
約1000本の桜が咲く会津随一の桜の名所です。白虎隊の秘話でも知られる鶴ヶ城は、赤い
瓦の天守閣と見事に咲き誇った桜の調和が素晴らしく天守閣からは会津磐梯山が綺麗に
見えました。最後に上越妙高駅から帰途に就きました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




「会津・サクラ巡り」NO3
「合戦上のしだれ桜」や「三春の滝桜」、「紅枝垂れ地蔵桜」、等を鑑賞しました。
「合戦上のしだれ桜」は、八幡太郎義家と安倍貞任・宗任との合戦場と伝わる地に立つ
2本のベニシダレザクラです。「三春の滝桜」は、山梨の神代桜、岐阜の淡墨桜とともに
称される日本三大桜の中でも一番最後に開花する桜でそれは見事な桜です。「紅枝垂れ
地蔵桜」は、三春滝桜の娘といわれるベニシダレザクラで、樹齢約400年と言われ、
桜の下に地蔵堂があり、昔からの地区の信仰の場所であった所から地蔵桜と言われて
います。綺麗に咲き誇る桜を見た後、星のリゾート、磐梯山温泉ホテルに宿泊しました。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




「会津・サクラ巡り」NO2
翌日「花見山公園」、二本松藩十万七百石の藩主、丹羽家歴代の菩提寺として建立された
「大隣寺」、二本松城跡(霞ヶ城)二本松少年隊の像が有り、当時を忍ぶお城でした。
白河より移封された丹羽光重公は10年の歳月をかけて築城したものです。戊辰戦争により
落城、昭和57年に箕輪門が復元され、苔むした石垣に見事な庭園美にいにしえの昔が
偲ばれます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする


« 前ページ 記事一覧画像一覧読者一覧フォトチャンネル一覧