ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

おもひでぽろぽろ見たくなるお年頃

2005-08-29 03:40:27 | 日記
 「耳をすませば」にあきたらず「おもひでぽろぽろ」にまで痛さを感じるようになったっていうのは、大人になっちまったってことだよなぁ、とおもう。年々、「おもひでぽろぽろ」の痛さが尋常じゃなくなっていく。
 社会人になって数年たち「これからどーしよーかなー」となんとなく思っている主人公の年齢にどんどん近づいていっているというのもあるけれども、小学5年の自分を見る、という行為の距離感が主人公にどんどん近づいていっている、ということの方が大きい。小学生の自分、遠っ! っていう。記憶がどんどん薄れて「あれは本当にわたしだったんだろうか」とおもう。6年間も行ってたのに、覚えてることは全部足してもほんの数時間分にしかならないんじゃないだろうか、と思うとおそろしいような、おそろしすぎてピンとこないような。あの時のわたしは、22歳のわたしがこんな感じである、とか、そもそも22歳になるということが、まったく想像の埒外だった。

 最近、気がつくと2ちゃんにへばりついてる。わかりやすく逃避。
 カポー板を眺めていると、ドラマみたいな話なんていくらでも転がってんだなぁ、と、いろいろ通り越して妙に関心してしまう。
 愛情ってなんなんだろう。みんな、この気持ちが愛なんだか移っちゃった情なんだか悩んだり、ドライな人がいてウェットな人がいて、恋愛至上主義だの、人生には別に恋愛なんて特にいらないんじゃね? だの。
 なにもかも、結局は自分のため、自分がさびしくならずに済むようにやってることだと、常にあたまのどっかが自覚している、状態は、もしかしたら、一回りして健全かもな。と、起こしても起こしてもびくともしない寝顔を見ながら考えていた。いとおしい、とか思うのならば少女マンガだけど、別にそうともおもわない。こっちはおなか空いてるのに、起きやしねぇ、ふてぇやろうだ、とややおもわないでもないけれど、でも、本当は、なんの感情も浮かんでこない。無、だなぁ、とおもった。いや、空、と言った方が正しいか。ついになくなったか、愛、ともおもったが、そうでもない。たぶん、自分のベッドの3分の2を他人に占領された状態で空の心境に至れるのは、愛、に似たなにかなのだ。とおもったような。おもわないような。

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