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世界の覚書

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反封建ではなく反儒教を

2013年06月16日 | 歴史・伝統
#冒頭追記:一番大事な点は、最初に改憲すべきなのは9条だという事だ。他とは重要度も緊急度も全く違う!

HuffPost Japanの記事だが、参考資料や関連発言が全て示され、何だか大学の講義の問いかけみたいになっている。これは便利。

The Huffington Post:憲法に「家族の助け合い」を入れるべきか?自民党改憲草案に河野太郎議員が反論
憲法改正の名を借りて、国民の権利を制限するような方向に安易に行くことには、断固反対を申し上げたいと思います。2つ目に家族が助け合うというのは、個人的には私も賛成でございます。しかしそれは道徳であって、道徳を憲法の中に持ち込むべきではないと思います。
引用部は河野氏の発言。

この場合、問題は家族に関わる法的地位だろうし、民法規定に今後陰を落とし(判例を通じてでも)影響していく惧れがある。家族制度、親族制度は、社会のありように影響するか、あるいは社会のありように大きく影響を受ける(あるいは結果である)。

風潮としての何でも差別とか、何でも聖性というのが、今後の人類に大きく影響していく。この傾向はやばいし、馬鹿げていると思うのだが、長期的に見ると極めて強い潮流だ。

自民党案は、現行の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」のところが「婚姻は、両性の合意に基づいて成立し」となっている。「のみ」が削除されているのだ。これは字義的には「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立するのではなく」という含意でしかありえないが、じゃあ他に何が、というところは見事に言及されない。ほったらかしで何をしたいのかよく分からないが、要は価値観を憲法の条文に書き込みたいという事か。

憲法の規定は法律の根拠になる。価値観のような理念が全く書いてない法律もないだろうが、書いてある理念は、条文の根拠となる公理のようなものだろう。公理は証明できないが、それで構わない。憲法は公理集になるべきだと思うが、「家族は、互いに助け合わなければならない(自民党案)」はいかなる公理なのか。論理的には、家族間の相互扶助の優先だ。その限りでは、公理になってない事もない。ただ、問題は政府が何をするかだ。

家族や婚姻を法律的に規定し、保護する必要があるのは、それらが事実上財産や身分に関わる以上、当然のことである。

面倒くさいので結論を書くが、現行憲法は強すぎる家父長権や家制度を「民主化」するのが趣旨だった。「民主化」はキーワードとして用いられたもので、歴史的に言えば、儒教に振れすぎた倫理観を、巻き戻そうという事だろう。実のところ、反封建ではなく、反儒教である。

では自民党案は何をどうしたいのか。端的にいえば「夫婦別姓」や「同性婚」の成立を抑止したいのではないか。それは、家族制度というか、親族制度に関わってくる。少なくとも「夫婦別姓」論者は親族制度への洞察を回避していると思われる。

もはや結語。朱子学的な儒教的家族観は廃止されるべきと思う。日本の家伝統は家の継承において血筋が絶対視されない。しかし、継承はされるのである。養子縁組はよく知られた家族継承の方法。あと嫡庶の差別は何であれ廃止した方がよい。なお、以上の話からは、皇室は別枠なので念の為。

実際のところ、家族は互いに無条件に助け合う人間関係であり、婚姻ないし親子関係によって形成されるものをいう。これが保護の対象となるからには、婚姻ないし親子関係は法律によって規定される。

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