時折見かける「天皇家」の表記には違和感がある。それは武家的な家系概念を連想させ、誤解を招く。
姓(本姓)は男系継承の氏を意味する。名字(苗字)は世帯を営み、財産を保持・継承する家の名称である。1875(明治8)年の「平民苗字必称義務令」、いわゆる苗字必称令で、公文書記載に苗字を使うのが義務になった。源とか平とか、姓を公式には使えなくなったわけだ。これは、後の(併合時代末期の)朝鮮で行った「創氏改名」の日本版といってもよい。
韓国では、嫁は生家の姓を生涯変えない。日本でも、昔はそうだった。というか、そうだったというのは、姓の話で、苗字は婿入りとか養子とかで変わる事があるのは、今も昔も同じ。姓が意識される限り、血統を意味する。ただし日本では、結構昔から姓と苗字(家名)の区別は、教養的には知られているにも関わらず、曖昧なきらいがあったようだ。
明治になって、苗字が公式の個人名になったから、ますます「姓」の事は忘れ気味になった。口語では、姓=苗字であり、区別もなにも、姓不変の原理なんて誰も考えてないに等しい。氏と名字の混同は、法律にも見られるから、始末に負えない。
女性天皇、女系天皇問題は、こうした通俗的感覚をバックグラウンドにしているから、(有識者会議のごとく)今日のこういう事態になっているのだろう。
マスコミで「天皇家」と迂闊に表現してしまうのも問題だが、一般にはなぜ問題なのか、殆ど理解されないだろう。戦後、皇室は(良き)家庭の象徴ともなってしまった。武家的な「家」を、跡取り息子がいなければ娘が婿を取って維持すると言われて、大多数の国民は殆ど違和感を感じないだろう。易姓革命なんてとんでもない、という感覚は、はなはだ乏しい。日本という国号を捨てる覚悟があるのか、と問われているとは、大多数の国民が気づかない。
違和感を持てるかどうか、が分かれ目だ。
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姓(本姓)は男系継承の氏を意味する。名字(苗字)は世帯を営み、財産を保持・継承する家の名称である。1875(明治8)年の「平民苗字必称義務令」、いわゆる苗字必称令で、公文書記載に苗字を使うのが義務になった。源とか平とか、姓を公式には使えなくなったわけだ。これは、後の(併合時代末期の)朝鮮で行った「創氏改名」の日本版といってもよい。
韓国では、嫁は生家の姓を生涯変えない。日本でも、昔はそうだった。というか、そうだったというのは、姓の話で、苗字は婿入りとか養子とかで変わる事があるのは、今も昔も同じ。姓が意識される限り、血統を意味する。ただし日本では、結構昔から姓と苗字(家名)の区別は、教養的には知られているにも関わらず、曖昧なきらいがあったようだ。
明治になって、苗字が公式の個人名になったから、ますます「姓」の事は忘れ気味になった。口語では、姓=苗字であり、区別もなにも、姓不変の原理なんて誰も考えてないに等しい。氏と名字の混同は、法律にも見られるから、始末に負えない。
女性天皇、女系天皇問題は、こうした通俗的感覚をバックグラウンドにしているから、(有識者会議のごとく)今日のこういう事態になっているのだろう。
マスコミで「天皇家」と迂闊に表現してしまうのも問題だが、一般にはなぜ問題なのか、殆ど理解されないだろう。戦後、皇室は(良き)家庭の象徴ともなってしまった。武家的な「家」を、跡取り息子がいなければ娘が婿を取って維持すると言われて、大多数の国民は殆ど違和感を感じないだろう。易姓革命なんてとんでもない、という感覚は、はなはだ乏しい。日本という国号を捨てる覚悟があるのか、と問われているとは、大多数の国民が気づかない。
違和感を持てるかどうか、が分かれ目だ。
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