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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

ダライ・ラマ自伝

2008年06月06日 | 歴史・伝統
『ダライ・ラマ自伝(FREEDOM IN EXILE)』1992 山際素男訳 文芸春秋
1959年に、国際法曹委員会が出した報告書(中略) 磔、生体解剖、腹を裂き内臓を暴き出す、手足の切断などざらであり、打ち首、焙り殺し、撲殺、生き埋め、馬で曳きずりまわして殺したり、逆さ吊り、手足を縛って氷った水に投げ込み殺すといった残虐さは枚挙にいとまがなかった。処刑の最中に「ダライ・ラマ万歳」と叫べないように舌を引き抜いたりもした。(p.156)

過去30年にわたる大量虐殺によって、信じがたいだろうが、125万人ものティベット人が、飢餓、処刑、拷問、自殺などで死に、数万人が強制収容所に閉じ込められており(p.305)

人権侵害調査団にこう語っている。逮捕後長期間裸で手錠のまま独房に入れられ、その間肉体的にも精神的にも虐待されつづけた。酔っ払った看守がときどきやってきては彼を慰みに殴った。壁に何度も頭をたたきつけられしまいには鼻から血が噴き出してきた。”酒の臭いがぷんぷんする”看守の”軍事訓練”の標的にさえされた。(中略)(p.323)

わたしは地面からつまみ上げられ、両腕にロープを巻きつけられた。長いロープの真ん中に金属製のリングがありちょうどわたしの首の後ろにくるようになっていた。ロープの両端を肩の前で通し、きつく腕をぐるぐる巻きにし指も動かせないようにした。それからロープをリングに通し、肩甲骨の間から両腕を吊るし上げた。ロープを握ったままわたしの頭を無理矢理腹のほうに押し曲げた。腕に物凄い痛みが走った。ついでロープを天井から吊し、爪先がやっと地面に触れるかたちでぶら下げられた。わたしはすぐ意識不明になり、気がついたときには監房に戻っており、(中略)手錠と足枷以外何一つ身につけぬ素っ裸だった。(中略)

他の逮捕者たちは、デモ隊に用いる家畜追い用の電気ショック棒で拷問されたと語っている。一人の青年は口の中に突っ込まれ、口が物凄く腫れ上がった。またある尼僧はこの拷問用具を膣と肛門に押し込まれたと調査団に証言している。(p.324)

1965年ティベット問題決議を採択するに当たって、国連は明白に表現した。中国のティベット占領の性格を特徴づけるものは、「殺人、強姦、恣意的投獄、拷問、残忍性、大規模なティベット人に対する非人間的かつ卑劣な取り扱いといった行動である」と。(p.326)
この本を読んで気づくのは、チベットが長年シナの地続きの隣人であったにも関わらず、シナ人の性質について、基本的知識、基本的理解が欠けていた事だ。その点、チベット人は多くの日本人と同じだったという事に、最も驚く。

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