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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

日本がフィリピン海の地理名称について取る態度

2011年08月10日 | 領土・道州制
米「日本海」の単独呼称支持…韓国の主張退ける
外交筋によると、米政府は最近になって、IHOの実務者会合で、日本海の単独呼称を支持する従来の立場に変更がないとする文書を提出した。
韓国は、この件については「竹島問題」と同様、嫌がらせが目的である。日本海の名称は日本が国際舞台にいなかった時に、国際的に決められた地理名称である。

同様に「フィリピン海」も日本が国際舞台にいなかった時に、国際的に決められた地理名称である。日本は、「フィリピン海」を公式に認める態度はとっていないようであるが、かといって、強硬な主張を繰り返しているわけでもない。国際的には縁海として「フィリピン海」と称されていることを、知識として知っているというところであろう。

縁海ということでは、島弧によって区切られた海洋として、独立の名を与えられる。日本海とフィリピン海はその意味で同じ原理と言ってもいい気がするが、日本海は付属海だそうである。

島弧によって区切られているという事なら、フィリピン海は伊豆マリアナ海で「よかったような気もするが、そうはならなかった。

やしの実大学:フィリピン海の北端はどこか
なぜ、こういうことになったかというと、第2次大戦の前と後では、国際水路関係者の北太平洋についての考え方が変わったためであり、また、その時期、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)をはさんで、1940年から1950年まで(中略)1949(昭和24)年、日本の水路部に国際水路局実行局長のネーアス提督から手紙が届いた。内容は、国際水路局は海洋の境界と名称について新しい提案をするので、その件に関し、日本の水路部に意見があったら回答して欲しいというものであった。(中略)水路部では、海上保安庁と何度も協議し、さらに、占領下であったから、連合軍総司令部の担当官の意見も聞いた上で、それまで北太平洋の一部とされていた海がフィリピン海ということになると、海図や水路誌はもとより、すべての教科書、地理学書などの内容を改訂しなければならないし、それには莫大な費用もかかることでもあり、フィリピン海の呼称を与えないで、従来通 り、北太平洋の一部としておいて欲しいとの回答を送った。
また、この問題は、地球物理学の研究にも密接な関係があるので、日本学術会議の地球物理研究連絡委員会は、委員長の名前で70余名のメンバーにアンケートを送って回答を求め、臨時特別 委員会を開いて回答を審議し、次のような結論に達した。

在来通りに北太平洋の一部とする。
・北太平洋から分離するのならば、北緯20度を境として、その北を小笠原海とし、以南をフィリピン海とする。
・北太平洋から分離することが避けられず、しかも、それを南北2つに分けられない場合、マリアナ海とする。

(中略)しかし、水路局の要望も、日本学術会議の参考案も取り上げられることなく、1952年の国際水路会議では原案通 りフィリピン海が決まり、翌1953年、国際水路局は特別出版物23『大洋と海洋の境界』第3版を刊行し、これにフィリピン海を明示した。そこで、日本の関係者はどう対応したかというと、水路部は現在に至るまで、その制作する海図に一貫してフィリピン海の名称を用いないこととし、また、地球物理学や地理学の学者たちも、地図会社などが国際水路局の『大洋と海洋の境界』に基づいてフィリピン海の名称を用いることに、反対してきた。
日本が「フィリピン海」の名称について取る立場と態度、およびその限界が、韓国も見習うべきものではないか。

追記:「フィリピン海プレート」という名称は普通に使ってますね。その意味では日本でも既成事実だし。

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