
あとはまとめて!? 普段は2~3週遅れになっちゃうこのブログも、年末だけはほぼリアルタイムかも…。

12月28日(水)は、床屋へ行ったついでにいつもと違うセブンまで。この時期はセンダンの核果が目立ちますよね。一応、樹皮も核果も生薬となる薬用植物のようですが、そのまま人が食べるのはNGでございます。

鳥が種まきしたまだ小さな木だったので、冬芽とサル顔の葉痕も!?


セブンの駐車場脇に咲き残っていたバラです。

テントウムシもいましたが、こんな斑紋は初めて見ました。違うのかな?

これは帰宅後。

わが家の菊です。

翌29日(木)には、玄関にこのウサギとオギのウサギも飾って。でも、センターはやっぱりJA花園で買ってきたお気に入りのこのウサギになっちゃいますねぇ…。後ろは母のアートフラワーで、松と梅の盆栽風でございます。

これはさち婆が。18日の「焚火と竹の器作り」の際に竹を持ってきていたので、何を作りたいのかと思っていたらこういうことだったわけねぇ~。

本日30日(金)はたか爺一人でお墓参りへ。さち婆はお正月の準備でドタバタ中なもので…。たか爺のシルエット入りです!?
そういえば3年前までは、毎年30日にお墓参りをしてから母を迎えに行って、わが家でお正月。1月3日の午後には鎌倉まで送っていっておりました。今は徒歩5分の所にいてくれるので本当に助かるし、何よりも安心ですよねぇ~。

例によって、「今しばしお待ちくだされわが父とわが児眠れる墓浄めをり」と手を合わせてまいりました。まだ小さかった子どもたちも連れて行っていた頃には父も健在だったので、「この家族(うから)護りたまへよひとたびはわれの児として生(あ)れし命(みこと)よ」だったかな。
たか爺にとっては、生後39日で次男を亡くした時が人生一番の試練でしたからねぇ…。さち婆も同じだと思います。その頃は「短歌人」という結社に所属していたので、仕事から帰ると夜な夜な「マタイ受難曲」とか聴きながら挽歌を書きなぐり、恥ずかしげもなく角川短歌賞にも応募したっけ…。なぜか編集部予選は通過して、そのあと候補作家競詠とかで1ページ9首載せてもらいましたね。その年受賞されたのはあの俵万智さんでございました。
四十の厄年に自分が事故で3ヶ月寝たきり入院となった際には「短歌人」に復帰もしましたが、たか爺にとってはしんどい時の短歌頼みみたいなところがあるようで、幸せな人生を送らせてもらっている今はもう必要なくなっちゃったみたいです!?

なんか年末に変な話になってしまいましたが、皆様よいお年をお迎えください。