心穏やかに・・・

孫育てonlyの日々も少なくなり
和太鼓を楽しみながら時々仕事も行って
愛犬ムクと一緒に充実した毎日を送っています

下手の考え休むに似たり

2015年09月28日 | 日記

昨夜は中秋の名月

まんまるお月様を眺めながら 西國33所満願お礼のため善光寺お参りから帰宅。

なんと家のテーブルにもお月様が!

     

26日土曜日 神戸へ出かけた姉からばたるへのおみやげ とのこと

売り手側も いろいろ考えるのねぇ。

 

ところで・・・

善光寺お参りで どうにも引っかかることがあって

お寺さんを案内してくださる方も そして先達さんもよく口にされてたけれど

   「これで彼岸の世界に行く時のパスポートを手にされました」

   「閻魔さまの前では何を聞かれることもなくフリーパスで極楽浄土へ行けます」

それが事実なのか本当なのか分からない・・・信ずる者は救われる?

あのぉ~ わたしそれを求めてお参りを続けてたわけではないのよね。 

何に対しても今はまだまだ信仰心薄いけれど 日々の生活の中で 考え方で 人との接し方etc.で

ぼや~っとしたものでいいから 何か気付くことがあったらいいかなって。

まあ 確かに 「日々心穏やかに過ごせますように」 とお願いもしてましたけどね

観音様は現世のお願い事をきいてくださる・・・というから。

 

 

ところでまた話が変わるけれど・・・

先日新聞で見てずっと気になってた あるフレーズ

    『60代になって自分のことばかり考えていたら恥と思え』

≪がん哲学外来創設者が伝える、命よりも大切なこと≫ を書き綴った

【明日この世を去るとしても、今日のお花に水をあげなさい】  樋野興夫著

という本の紹介というか広告。

過去にも何かで 60代からは社会に恩返しをするために生きること と読んだこともあって・・・

 

ここで

まずは自分の精神状態を良好に保つことが一番

そして元気でなければ誰に対しても何もできないから 健康でいることも同時に一番

そう願うわたしは間違ってる? 太鼓を頑張りたい!というのも我が儘? とふと思うわけよ。

以前 心を病んだ時期があるわたしは 何とか立ち直って以来

≪日々心穏やかに感謝の気持ちを持って過ごせる⇒周りの皆にも優しく接することができる≫

この図式が頭にあるから そう思うのであって・・・

これって屁理屈?  

周りの人たちのことを思っているようで 実はやっぱり自分が一番可愛いってこと?

 

あぁ なんか分からなくなっちゃって・・・

そういえば自分を見つめる時間は少ない方がいいってね。

あぁ もうやめたやめた!

次回は 善光寺参りを記そうかな

これまた 『下手の長談義』 になるだろうな・・・ほんと要領悪くって自分でもイヤになるわ。

そういえば 太鼓は 『下手の横好き』 ・・・自分のことよく分かってるじゃん。

 

今夜のご飯何にしよっかなぁ。。