昨夜は中秋の名月
まんまるお月様を眺めながら 西國33所満願お礼のため善光寺お参りから帰宅。
なんと家のテーブルにもお月様が!
26日土曜日 神戸へ出かけた姉からばたるへのおみやげ とのこと
売り手側も いろいろ考えるのねぇ。
ところで・・・
善光寺お参りで どうにも引っかかることがあって
お寺さんを案内してくださる方も そして先達さんもよく口にされてたけれど
「これで彼岸の世界に行く時のパスポートを手にされました」
「閻魔さまの前では何を聞かれることもなくフリーパスで極楽浄土へ行けます」
それが事実なのか本当なのか分からない・・・信ずる者は救われる?
あのぉ~ わたしそれを求めてお参りを続けてたわけではないのよね。
何に対しても今はまだまだ信仰心薄いけれど 日々の生活の中で 考え方で 人との接し方etc.で
ぼや~っとしたものでいいから 何か気付くことがあったらいいかなって。
まあ 確かに 「日々心穏やかに過ごせますように」 とお願いもしてましたけどね
観音様は現世のお願い事をきいてくださる・・・というから。
ところでまた話が変わるけれど・・・
先日新聞で見てずっと気になってた あるフレーズ
『60代になって自分のことばかり考えていたら恥と思え』
≪がん哲学外来創設者が伝える、命よりも大切なこと≫ を書き綴った
【明日この世を去るとしても、今日のお花に水をあげなさい】 樋野興夫著
という本の紹介というか広告。
過去にも何かで 60代からは社会に恩返しをするために生きること と読んだこともあって・・・
ここで
まずは自分の精神状態を良好に保つことが一番
そして元気でなければ誰に対しても何もできないから 健康でいることも同時に一番
そう願うわたしは間違ってる? 太鼓を頑張りたい!というのも我が儘? とふと思うわけよ。
以前 心を病んだ時期があるわたしは 何とか立ち直って以来
≪日々心穏やかに感謝の気持ちを持って過ごせる⇒周りの皆にも優しく接することができる≫
この図式が頭にあるから そう思うのであって・・・
これって屁理屈?
周りの人たちのことを思っているようで 実はやっぱり自分が一番可愛いってこと?
あぁ なんか分からなくなっちゃって・・・
そういえば自分を見つめる時間は少ない方がいいってね。
あぁ もうやめたやめた!
次回は 善光寺参りを記そうかな
これまた 『下手の長談義』 になるだろうな・・・ほんと要領悪くって自分でもイヤになるわ。
そういえば 太鼓は 『下手の横好き』 ・・・自分のことよく分かってるじゃん。
今夜のご飯何にしよっかなぁ。。
秋の夜長に 哲学でしょうか
観音様にお願いすると良いの?!
お願いばかりしてたら 観音様大変だわよ
日々の生活から 色々学ぶ事あるわね。
自分で体験してこそ 自信が付くのではないかなぁ~~。
人それぞれドラマがあるわ・だから人間面白いのよね。
今のどら婆 三途の川のしょうづか婆さんといい勝負。
ひとがあって じぶんがある。
そして生きがいがある。
そんな毎日がいいですね。
善光寺参り無事に終えられたようですね。(おめでとうございました。)
目標を持って活きましょう。
近くのお蕎麦が美味しかったあ~~!と言う
ワタクスは、不届きものだね~~!テヘへへ…。
我がブログのコメ欄でもいわれちゃったけれど、
感謝して日々を過ごしなさい!と言われたので、
今日から、感謝を心して!と。オホホ…。
可愛いお月様だわ。
横浜のスーパームーンも、暗くなったら見てこよ~~っと!
他にもちっちゃいモミジの葉っぱが2枚あったそうで
一枚はすでにばたるのお腹に…。
観音様…その言葉は小さい時から身近に感じてきたけど
全然分かってないことがよ~く分かりました。
皆を救うためにと~っても忙しいから
十一の顔を持ったり 千の手を持ったり
全ての望みをかなえる如意宝珠という宝の珠を持っておられる
ということらしいです。
いずれにしても『信ずれば救われる』ってことでしょうから…
『しょうづか婆さん』…川の手前で衣服を剥ぎ取るお婆さんね
閻魔様の奥様ですって。
勝っちゃたらどうなるんだろう・・・こちらに帰されるのかな?
実際一人では生きていけないのだから。
『生きがい』はひとそれぞれ十人十色
はてさてわたしの生きがいは? 目標は?
欲張らず身近で小さなこと…それで充分です
>近くのお蕎麦が美味しかった~~!
全然不届きものじゃないですよ
美味しいってことは健康な証拠
身をもって実感された…ってことになるもの。
いつでも何にでもどんなことにも『感謝の心』を持つよう心掛けたい
そう思うもののこれがなかなか難しい。。
イコールプラス思考ってことかしらね。
実は十五夜お月さんの翌日が最もきれいらしいですね。
昨夜もばたると二人でしっかり眺めました~!