映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ヒルビリーエレジー」ロン・ハワード&グレン・クローズ&エイミー・アダムス

2020-11-29 19:49:41 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ヒルビリーエレジー」は2020年のNetflix映画


「ヒルビリーエレジー」はNetflix映画で何気なく見つけた最新配信作、エイミーアダムス、グレンクローズの大物女優の登場に思わず観てしまう。スタートしてしばらくして監督がロンハワードという文字に驚く。久しぶりに見る名前だ。さすがロンハワードと思われる本格的な映像でストーリーにも引き込まれた。上質な映画でおすすめである。ケンタッキー生まれオハイオ育ちのイエール大学ロースクールに通う若者が親子3代生活苦にもかかわらず暮らしてきた軌跡を振り返る物語である。原作はベストセラーになったJ・D・ヴァンスの小説で本人の実話に基づいている。

J・D・ヴァンス (ガブリエル・バッソ)はイエール大学ロースクールに学ぶ元イラク戦従軍者だ。就職にあたってロースクールには名門法律事務所から勧誘が来ている。インターシップ最終の法律事務所パートナーたちとの懇親ディナーは格式あるレストランで行われている。自称田舎者の主人公は馴染めない。インド系の同級生の恋人に電話してマナー作法を聞く始末だ。ケンタッキー出身でオハイオ育ちの略歴を話すと、あるパートナーの一人がヴァンスを田舎者扱いしたので折り合いが悪くなってしまった。

そんな大事な時故郷オハイオにいる姉リンジー(ヘイリー・ベネット)から母親ベヴ (エイミー・アダムス) の具合が良くないので帰郷してほしいと連絡があった。

ヴァンスの家族は大家族だった。13歳で結婚をした祖母マモーウ (グレン・クローズ) はきかん気が強い女性で夫とも争いが絶えなかった。何とか娘ベヴを育ててきた。ベヴは結婚したが結局出戻り3世帯でオハイオで暮らしていた。主人公はそういう強い女性のいる家庭で優しく育っていた。しかし家計は厳しかった。ヴァンスもバイトを3つかけ持ちしても奨学金を返しきれないくらいで、当然ながら実家の援助はないし、母親は健康保険にすら加入していない


大事な時だったので戻りたくなかったが車で故郷に向かう。もともと看護婦だった母は昔からヘロインの過剰摂取でトラブルを何度も起こしていた。何人もの男を渡り歩いていた。母のあばずれぶりは地元でも有名で施設から入所を断られていた。そんな時主人公に第一志望の法律事務所から最終面接のアポイントの電話が入ってくる。時間を変えてくれないかという話をしたがそれは無理で面接時間を決めた。オハイオに帰郷すると母親は入院している病院から退院するよういわれている。母親の元の勤務先とはいえ、問答無用で追い出される。ヴァンスは母親の行き先のめどをつけて車で戻り、面接の場所まで定時に行かなければいけないわけであるが。。。

1.エイミーアダムスのあばずれぶり
シングルマザーで姉弟の子どもを育てる。母親譲りで気性は激しい。看護婦だったが、患者に投与するヘロインをみずから飲み込んでしまう。病院内でラリってローラースケートで走りまくったり、息子を乗せたままフルスピードでぶっ飛ばした上、他人の家に不法侵入する。警察沙汰も一回や二度ではない。

本当は息子のことを殴っているけど、母親思いの息子はけがをしているにもかかわらず母親は何もしていないと取り調べの警察にいう。そういう優しさで助けられてきた。高校のときは学年2番だったけど、周囲が誰も自分を引き立ててくれないからこうなったんだと息子にのたまう。まさに薬物依存症、あえて喫煙者であるところも見せる。


そんな役柄をエイミーアダムスは見事に演じる。これはアカデミー賞モノである。エイミーの主演作はほとんど観ている。あばずれ役はアメリカンハッスル」「ザ・ファイタ-などいくつかあるが、ここまでのパフォーマンスはなかった。この映画の主演って息子だと思うんだけど、助演女優賞ということなのかな?出演者のクレジットは一番前だったからどうなんだろう?これまで何度もエントリーされているけど、今回はいけるような気がする。

2.グレンクローズのやさしさ
気がつくと13歳で夫と結ばれる。今の日本では淫行か?出来の悪い夫が酒癖悪いので、身体に火をつけたりもする。血筋というべきか娘と同様に気性は荒い。でも、娘の方が異常なので、火消しに入ることも多い。男を次から次へと渡り歩く娘ベヴが、ある男と一緒に暮らすようになりヴァンスも一緒に暮らす。ところが、継父の息子が良からぬことを教えて成績が急降下、それが気になって仕方ない祖母グレンクローズは孫を悪い道から取り戻そうとする。

「努力もせずにチャンスがあると思うな」祖母の名言だ。そんなわけで孫の成績は急上昇してクラスのトップに躍り出る。成績表を見ながら微笑むグレンクローズが素敵だ。「ターミネイター2」を100回観ているというキャラにもご注目


この映画はまさにエイミーアダムスグレンクローズの演技合戦で、どっちもどっちである。同じ映画でアカデミー賞を競うなんてすごい話だ。世紀の悪女を演じた危険な情事で受賞していればという思いはあるが、年の功でグレンクローズにもチャンスがあるかもしれない。

3.イエール大学のロールスクール
アイビーリーグのイエール大学のロールスクールは世界を代表する名門である。フォード元大統領やクリントン元大統領夫妻など卒業生には政府高官クラスが山ほどいる。

日本ではハーバードが名高いが、1987年にランキングができて以降、ずっと1位の座を保ち続けているのは、実はイェールの方だ。(山口真由ブログ 2017年2月16日引用)日本人からすると意外だがアメリカには法学部というものはない。各大学の他の学部を卒業した英才がここに集まっている。

主人公はある意味とんでもないエリートだけど、田舎育ちの主人公は浮いてしまうような存在だ。ちょっと大げさな映像だと思うが懇親会の席でテーブル上の大量のフォークとナイフをどう扱っていいか戸惑う主人公のパフォーマンスを映す。あえてそういうところで田舎者ぶりを目立たせる。

作品情報には「貧困が親から子へと引き継がれ固定化されていく白人貧困層の過酷な現実」となっているけど、ここまでのエリートになれたんだから、この家族に限っていえば貧困は引き継がれてはいないよな。映画の宣伝文句はちょっと違う気もする。
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映画「ノクターナル・アニマルズ」 エイミー・アダムス&ジェイク・ギレンホール

2017-11-04 19:41:48 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ノクターナル・アニマルズ」を映画館で観てきました。


ファッション・デザイナーのトム・フォードが監督だ。視覚的に楽しめそうな映画という先入観で映画館に入る。当然、エイミー・アダムス、ジェイク・ギレンホールいずれもこのブログで再三取り上げているおなじみの俳優であることも観に行く大きな理由である。

時代の軸を少しづつずらして、エイミーアダムスの生活を映し出す。同時に主人公に送られてきた元夫の著書の内容を追っていくストーリーを映像にする。その物語は緊迫感を持って流れていく。スティーブン・スピルバーグの「激突」クウェンティン・タラティーノの「デス・プルーフ in グラインドハウス」がもつ怖さを連想させる小説の内容である。それをフォローするアベル・コジェニオウスキの音楽も緊迫感を助長する。ペドロ・アルモドバル監督作品で音楽を担当するアルベルト・イグレシアスのテイストだ。


同時にアートギャラリーの経営者を演じるエイミー・アダムスの周辺を美しく映す。美術衣装および色彩設計は実にお見事である。ロケする住宅もすげえ家だ。映画というのはストーリーだけではない。それだけだったら、小説で読めばいい。プロットを中心に視覚、聴覚でどう観客に訴えるかということが大事だと改めて教えてくれる作品である。


スーザン(エイミー・アダムス)はアートギャラリーのオーナー。夫ハットン(アーミー・ハマー)とともに経済的には恵まれながらも心は満たされない生活を送っていた。ある週末、20年前に離婚した元夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から、彼が書いた小説「夜の獣たち(ノクターナル・アニマルズ)」が送られてくる。


夜のハイウェイの運転中に、レイ(アーロン・テイラー=ジョンソン)らに襲われるトニー(ジェイク・ギレンホール二役)とその妻(アイラ・フィッシャー)と娘(エリー・バンバー)。家族を見失ったトニーはボビー・アンディーズ警部補(マイケル・シャノン)と共に行方を探す。


彼女に捧げられたその小説は暴力的で衝撃的な内容だった。彼はなぜ小説を送ってきたのか。


いきなり、強烈に太った女性が 裸で踊る姿がオープニングだ。何これ?と見始める。アートギャラリーの陳列みたいだが、これもよくわからない。

1.我々に起こさせる錯覚
エイミー・アダムスが元夫から送られた小説を読み始める。時代が遡って、ジェイク・ギレンホールが家族と運転する車が、チンピラの乗る車に挑発されるシーンが出てくる。ここで我々を1つの錯覚に導く。この車に乗っているのが、妻であるエイミー・アダムスとその娘ではないかと。自分の嫌な思い出をつづっているかのように。途中までそう信じて、妻と娘が行方不明というけど、違うのでは?今、生きているじゃないと。この錯覚があるから、この映画の緊張感がもっている。


最後のエンディングロールで、アイラ・フィッシャーというクレジットを見つける。あれ?彼女が主演の「お買い物中毒な私」ってブログアップしたことあったっけ。「グランドイリュージョン」の一作目でも水槽トリックを演じていたよね。暗めに車の中をとらえていたので、てっきりこの車中の人をエイミー・アダムスだと思ってしまった。でも似ているよね。この2人

2.二人のなれそめと妨害するもの
この小説を送った意味を観ているものに考えさせる設定にしているのであろうか。映像はテキサスから大学進学時に出てきた旧知の2人がニューヨークで再会して付き合いはじめるシーンを映す。2人はアイビーリーグの名門大学にいずれも通うという設定で、あえてジェイク・ギレンホールは正統派アイビールック風にボタンダウンシャツを着ている。もともと惹かれあっていたのだ。


このあと、名優ローラ・リニーエイミー・アダムスのお母さん役で出てくる。セレブ役をやらせるとうまい。彼女が二人の結びつきに徹底的に反対するのである。これが二人の別れと結びつくと想像させるのであるが、露骨には映画ではそれを見せない。今は、エイミー・アダムスの家庭はうまくいっていない。というよりも夫が浮気をしている。映画では露骨に示す。どんな意味があるんだろう。

なぜ小説を送ったかは、どっちにもとれる内容である。ネタバレにならないように自分の見方を言うと、自分なりには復讐と感じる。だからこそあの終わり方をするのだと思う。最後に着飾ったエイミー・アダムスが向かうレストランの和風を織り交ぜたインテリアはすばらしく、ウィスキーロックを淡々と飲むエイミーアダムスの姿が目に焼き付く。

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映画「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」 ベンアフレック&ヘンリー・カビル

2016-03-27 17:42:44 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「バットマンvsスーパーマン 」を映画館で見てきました。


予告編から気になっていた対決である。小学校低学年の頃、日本版の円谷系「ウルトラマン」シリーズや「ゴジラ」シリーズに熱狂する一方で、実写版の「バットマン」や「スーパーマン」を見て同じように興奮していた。そんな両者が対決するなんて、すげえ話だなあと思ってすぐさま見に行く。

ただ、この両者はあまりにも偉大なヒーローなので、その昔のプロレスでジャイアント馬場が外国レスラーと60分三本勝負で1対1で時間切れ引き分けになるような構図になるんだろうと予測して見に行った。最初それぞれのルーツを語ったりするんだけど、ちょっと前置きが長いし、意味不明な展開にかなり戸惑う。一瞬寝てしまう場面もあった。予告編で見た二人の対決シーンが登場し、胸をわくわくさせてからあとは、展開もよく、意外性も充満していい感じかもしれない。


結局のところは「アベンジャー」のようなキャラクター満載の世界となる。
映画館のきっぷ切りのところでクリアファイルをもらった。バットマンとスーパーマンがいるのはわかるんだけど、ワンダーウーマンがいるのでへえーと思った。何でと思ったが、その謎は徐々に解明されていった。


人類を守るために異星人からの地球侵略を防いだスーパーマン(ヘンリー・カビル)。だが皮肉にも、戦いの結果は平和をもたらすと同時に、都市に甚大な被害を及ぼし、多くの犠牲者を出してしまう。その強大なパワーを、ある者は“神の御業”と崇め、またある者は“悪魔の脅威”と感じる。バットマンとして悪と戦ってきたブルース・ウェイン(ベンアフレック)も世界を滅ぼす力を目の当たりにした1人。スーパーマン不要論の盛り上がりに呼応するかのように、強烈な憎しみを抱き“脅威”を取り除こうと立ち上がる。

同じ頃、巨大企業レックス・コープを率いる若き実業家レックス・ルーサー(ジェシー・アイゼンバーグ)は、異星人の遺物を集めていた。その動きを探る謎の女も登場。人類はまた混沌とした状況へと追い込まれようとしていた……。(作品情報より)

それにしても豪華な顔ぶれである。「ソーシャルネットワーク」のジェシー・アイゼンバーグやエイミーアダムスなど現代映画界でしょっちゅう見る顔ぶれと20年以上前に活躍したホリーハンターダイアンレインをまぜて登場させるところもうまい。
それぞれに重要な役割を持たせるのがいい感じだ。
ネタバレ少しあるがバットマンとスーパーマンを振り返ってみる。

1.バットマン
小学生の時、フジテレビでテレビシリーズが放映されていた。バットマンを演じるアダムウェストを名声優広川太一郎を吹き替えしていた。バットマンカーが凄くてあこがれた良き時代だった。そんな時から20年以上たって突如登場したマイケルキートン演じるバットマンにもう一度しびれた。悪役ジョーカーをジャックニコルソンが演じ、ティムバートン監督らしい暗黒の雰囲気にグスタフマーラーのようなダニエルエルフマンの音楽が高らかに鳴り響く。これは今見ても古さを感じさせない傑作である。そして「ダークナイト」において、クリスチャンベールに対決するヒースレジャーの怪演がすばらしい。そんな感じでバットマン映画は傑作目白押しである。


今回のベンアフレックの登場は意外といってもいいだろう。良くもなく悪くもなくといったところかなあ。

2.スーパーマン
小学生の時、TBSでスーパーマンが放映されていた。空を飛べたらどんなにすばらしいことなんだろうと思いつつ、画面にかぶりついていた。実際のところアメリカで放映されていたのは1950年代のことで自分の見たのは再放送だろう。主演のジョージ・リーヴスは若くして亡くなっている。大学生のとき突如として映画「スーパーマン」が製作されアッと驚く。これは見に行った。続編もつくられたが、主演のクリスファーリーヴも早死している。おいおい、これって呪われているんじゃないの?
そうなってくるとヘンリー・カビルも心配だろう。「マンオブスティール」は見たけど、コメントアップしていない。彼のスーパーマン役は良いと思うけど、今後どうなるんだろう。


3.ワンダーウーマン
バットマンとスーパーマンが対決をする場面で時計をみるとまだまだ時間がある。え!永遠と取っ組み合いをするのかな?と思いしや、途中で展開がかわる。思いもかけない奴が登場するのだ。そこに加えて登場するのがワンダーウーマンだ。


これがかっこいい!女子プロレスラーのように大柄でアマゾネスを連想させる。ガル・ギャドットという演じる女性は元ミスイスラエルだという。ユダヤ系のエキゾティックな顔つきだ。ユダヤ系というと古くは「男と女」のアヌークエーメ、新しいところでは「ブラックスワン」のナタリーポートマンを連想する。ヌードにならないのにガル・ギャドットにゾクゾクしてしまうのは男の悲しいサガだ。

(参考作品)
バットマン ワーナー・スペシャル・パック
マイケルキートンのバットマン


マン・オブ・スティール
スーパーマンの前作
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映画「ビッグアイズ」 ティム・バートン&エイミーアダムス

2015-01-31 05:37:12 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ビッグアイズ」を映画館で見てきました。


ティムバートンが、らしからぬ映画をつくったらしい。主演はエイミーアダムスだし、気になるので見に行く。
大きな目をした少女の絵を描くバツイチ再婚の女性画家が、商才豊かな夫のもとで絵が売れまくるのに、夫は自分が描いたと偽り、妻がゴーストぺインターにされてしまう話だ。ウソで固めた人生を過ごしている人たちが、これを見るとヤバイと思わせる何かがあるかもしれない。昨年は、日本もニセ作曲家が大げさに話題になった。その話に通じるような話でもある。


ダニエルエルフマンの音楽が高らかに鳴り響き、暗黒の世界を描くといったティムバートンの世界とは真逆である。ファンタジータッチで色鮮やかな「ビッグフィッシュ」には若干通じる部分はあれど、色彩設計が普段と全然ちがう。海が見えて、急な坂が多く、チャイナタウンもあり「めまい」や「上海から来た女」「ブリット」など数々の映画の舞台になってきたサンフランシスコやハワイのピンクのホテルや住宅街など自分の目を楽しませてくれる映像である。プール付きの住宅も凝った作りで映像を見ていて非常に心地がいい感じがする。

今回何でこういうノンフィクションをティムバートンが撮る気になった真意は調べてはいない。通常はいわゆる「物語の構造」にしたがって、フィクションの世界を組み立てていく。でもこの映画は実話に基づく。それなりに脚色されているとは思うが、淡々と事実を追っていくのには驚いた。なかなか面白い映画だとは思う。

1958年のアメリカ西海岸エリア、DVの夫に嫌気がさして、幼い娘を連れてマーガレット(エイミー・アダムス)は、家を飛び出す。美大出身のマーガレットは働いたことがない。家具会社に、自分が描いた絵を持参してもぐり込む。同時に、生計をたてようと街で似顔絵を描いている。すぐ横で、パリで絵を勉強していたというウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)が口八丁手八丁で絵を売り込んでいた。一瞬警戒したが、マーガレットはウォルターに惹かれていく。元夫から娘を戻せという手紙が来て落胆したが、すぐさまウォルターがプロポーズして、マーガレットは受け、ハワイ・オアフ島のピンクのロイヤル・ハワイアン・ホテルで結婚式をあげる。

ウォルターは、画廊を経営するルーベン(ジェイソン・シュワルツマン)に、それぞれの絵を売り込む。ルーベンは手厳しい。知り合いのナイトクラブに、絵を持ち込む。トイレへの廊下での展示だが、マーガレットの絵には、一瞥する人もいる。ささいなことから、ウォルターは、ナイトクラブのオーナーと喧嘩になる。このケンカがゴシップ記事として新聞に出る。その記事をきっかけに、マーガレットの描いた絵が評判になる。その時、夫が作者は自分だと偽っていることに気付いたマーガレットは激怒するが、いいように釈明され、財布は一つだからいいじゃないと夫の言いなりになってしまうが。。。


この映画を全く予備知識なしで見せて、ティムバートン監督、ダニエルエルフマンの音楽とわかる人はいないんじゃないかな?ビーチボーイズなどの懐かしいヒット曲やジャズクラブで流れるヴァイヴ主体のジャズはラテンのリズムが混じったもので心地良い。あとはどんな音楽流れていたっけ?といった印象をもつ。グスタフマーラーの交響曲のように鳴り響くダニエルエルフマンがつくる「バットマン」の音楽は刺激的で、他の監督の作品でもダニエルの特徴がよく出るが、ここではそう感じさせない。

1.1950年代から60年代にかけてアメリカ
サンフランシスコの50年代を意識したロケーション映像はいい感じだ。ヒッチコックの「めまい」で映る映像がかぶってくる。キャンベルスープの缶詰っていかにもアメリカの象徴だけど、それを含めたスーパーの陳列がいかにもゴールデンエイジのアメリカを感じさせる。自分は好きだけど、ティムバートンの匂いがすくない。普通のラブコメ系の美術で、暗黒の雰囲気が一部の絵を除いてまったくない。

2.ウソを覆すということ
マーガレットは自分が描いたといえるチャンスを何回も逃す。もともと気が弱い性格だったのであろうか?一度離婚していているのも後がない状況を醸し出す。その弱みに付け込むクリストフ・ヴァルツ演じるウォルター・キーンのパフォーマンスを見て、だんだん憎たらしくなってくる。見ている我々に憎たらしいと思わせるくらいだからうまいんだろう。さすが、アカデミー賞受賞者だけある名演だ。


ウォルターは、ポスターやチラシまで売りさばき、安価な複製画を作る。スーパーの中でも「ビッグ・アイズ」を売る。でも商才があるんだったら、妻が画家で自分はプロデューサーと言いきればいいのに、そういうチャンスあっても戻れない。そうすればハッピーなままだったのにね。無一文で死んだというのは自業自得だね。ウォルターの狂言のような裁判のシーンは呆れてものが言えないといった印象だった。

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映画「アメリカンハッスル」 クリスチャン・ベイル&エイミー・アダムス&ジェニファー・ローレンス

2014-07-25 19:58:10 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「アメリカンハッスル」は2013年公開のアメリカ映画だ。
本年度アカデミー賞にはかなりのノミネートがされた。残念ながら、受賞ならなかったが、ここまでノミネートされるには何かあるはずだと思っていた。
今回dvd化され、見てみたら実に面白い。

1978年の実話に基づく、詐欺師とFBIが組むなんて日本では想像もつかない事件を描いている。
このとんでもない発想を描く脚本がお見事である。同時に現代アメリカ映画を代表する4人の俳優が見せる演技の水準が高い。
70年代前半に流行ったポップスとあわせて、リズミカルにストーリーが進む。 途中でだますほうとだまされる方との駆け引きがわかりづらくなる部分があったが、基本的には十分楽しめた。

クリーニング店を経営するアーヴィン(クリスチャン・ベイル)には詐欺師の裏の顔があった。相棒で愛人のシドニー(エイミー・アダムス)とコンビを組み荒稼ぎをしていた。

ところがFBI捜査官リッチー(ブラッドリー・クーパー)がカモのふりをして近づいてくるのに引っかかってしまう。彼らは逮捕されるが、無罪放免を条件におとり捜査への協力を持ち掛けられる。それは、架空のアラブ人富豪をダシに、カジノ利権に群がる政治家やマフィアを一網打尽にするというもの。

アーヴィンとシドニーは、標的のカーマイン市長(ジェレミー・レナー)に近づくが、二人の仲を嫉妬するアーヴィンの妻ロザリン(ジェニファー・ローレンス)がおとり捜査の邪魔をする。

1.ジェニファーローレンスの怪演と70年代ヒット曲の選曲
この映画のジェニファーローレンスが凄すぎる。「世界で一つのプレイブック」でアカデミー賞主演女優賞を昨年受賞した。
20代前半での快挙であった。今回はそれを上回る演技を見せてくれる。
アバズレ女で口が達者だ。詐欺師の夫も彼女には口では勝てない。
夫が好き勝手なことをやっているんだけど、離婚はしない。マフィアにも平気で近づいていく無用心さがある。

彼女のパフォーマンスに合わせて、曲が流れる。このセンスが抜群だ。
「evil ways」サンタナ、「傷心の日々 How Can You Mend a Broken Heart」ビージーズ、そして「007死ぬのは奴らだ」のテーマ曲 Live and Let Dieポールマッカートニー&ウィングス
この音楽の映像とのマッチ度がしびれる。

「evil ways」サンタナ
69年のウッドストックコンサートでも演奏されている。ファーストアルバムの2曲目の歌で、最初のシングルカットだ。
オルガンのグレッグローリーのボーカルがいい。EVILという単語に、この映画のジェニファーローレンスがぴったりだ。

「傷心の日々 How Can You Mend a Broken Heart」ビージーズ
1971年夏の全米ヒットチャート№1である。ビージーズにとって最初の№1なのに、日本ではシングルが発売されていなかった。当時映画「小さな恋のメロディ」が大ヒット中で、ビージーズが歌う挿入歌「メロディ・フェア」が日本中で流れていた。そのため「傷心の日々」は日本人になじみがないが、いい曲だ。強気のジェニファーも夫の愛人と遭遇して、涙にくれるという場面で流れる。

「007死ぬのは奴らだ」のテーマ曲ポールマッカートニー&ウィングス
ロジャームーア主演の007映画の主題歌だ。この映画も中学時代に同級生と見に行った。痛快なアクションで車が宙に飛んだのが印象的だった。ボンドガールもとびきりの美女で少年時代の自分もしびれたものだった。ジェニファーが曲に合わせてLive and Let Dieと歌い踊るのがしびれる。




2.エイミーアダムスの露出
清純派ムードが漂っていたエイミーもここではアバズレ女だ。
英国なまりのイングリッシュを話して英国人と言い切るが、実は出生の戸籍まで改ざんしていた。元々はストリッパーダンサー上がりで育ちも良くない。同じような処遇で育った詐欺師アービンと意気投合する。
露出がはげしい。ノーブラでバストがよくわかる服を着こなす。

3.クリスチャンベイルの醜さ
映画「ファイター」では、死にいたる病気にかかっているかのような激やせぶりで、アカデミー賞助演男優賞を受賞した。
ここではいきなり太鼓腹と禿げ頭をあらわにする。

今までの彼のキャリアを考えると、映画最初のパフォーマンスは屈辱的で別人のようだ。俳優業も大変だよね。アカデミー主演男優賞は、激やせのマシューマコノヒーに輝いたが、クリスチャンに敢闘賞をあげたい。ある意味カッコマンであるバットマンとダメ男の両方を演じられるクリスチャンベイルの七変化に驚く。

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映画「人生の特等席」 クリントイーストウッド

2012-12-04 06:02:25 | クリントイーストウッド
クリントイーストウッドの新作映画「人生の特等席」を劇場で見た。
「グラントリノ」で俳優業卒業と言われていたイーストウッドがメガホンをとらずに、俳優に専念する。
予想よりもよかった。
父娘の愛情をこんなに素晴らしく描いた映画はそうはない。見ていくうちに引き込まれていった。
どちらかというと、娘をもつ父親が感動する映画のような気がする。

主人公ガス(クリントイーストウッド)はアトランタブレーブスの老スカウトだ。ガンコ一筋の性格で妻と死別して27年の一人暮らしだ。弁護士の娘ミッキー(エイミーアダムス)とは別々に暮らしている。老いて最近は目の調子も悪い。検査してもらったら失明の危機すらある状況なのに、そのままスカウト業を続ける。体調の異変に気がついた同僚(ジョングッドマン)は娘に連絡する。娘は弁護士事務所のパートナーになれるかどうかの瀬戸際で、次の裁判に勝ったらパートナーに推挙すると言われていた。そんな多忙の娘であったが、病院に問い合わせて父親の目が悪いことを知る。娘は父に勧告するが、父娘ともに頑固で話はいつものように決裂だ。


主人公は有望選手の出る試合を見にノースカロライナに向かう。そんな主人公を見て、同僚は娘に一緒についていってあげたらという。自分の昇進がかかった大事な時であるが、娘は休暇を取り追いかけて行った。
その有望選手は強打者でドラフトの目玉だ。他のメジャーリーグのスカウトも黙ってはいない。そこには以前主人公がスカウトした男フラナガン(ジャスティン・ティンバーレイク)もレッドソックスのスカウトとして来ていた。投げすぎて肩を壊してブレーブスからはトレードされて、今はスカウトだ。主人公は昔の仲間と旧交を温めにバーへ行く。娘も一緒についていった。そこで娘は店にいた男にからまれた。すぐさま助けに来る父親が男の胸ぐらをつかみ修羅場になる寸前、止めに入る。それをきっかけに娘とフラナガンは近づくようになるのであるが。。。

英題は「Trouble with the curbe」という。curbeはこの映画の中にいくつか出てくる。人生でもあり、車道でもあり、ピッチャーの投げるカーブでもある。一瞬なんだ?という英題が見終わるとなるほどと思えてくる。

野球映画でもある。
「マネーボール」の舞台となったアスレチックスはID野球の本場のようなチームだった。今回はまるで反対で主人公はパソコンは一切触れない、自分の触感だけしか信じられないスカウトとして描かれる。娘もその父の元で育ったので野球好きである。名前のミッキーはミッキーマントルからとられたのは明白、それ以上に野球オタクの域に達している。
劇中に野球の記録知識に関するクイズをレッドソックスのスカウトである恋人とバーで語りあう場面が出てくる。「20勝投手4人いたのに優勝できなかったチームは何処?」「両リーグでMVPを取ったのは誰?」なんて質問を語りあう。この場面、背筋がぞくっとした。少年時代野球の記録オタクだった自分は知っていた。こんな楽しいデートってないだろう。自分も大学時代こんな話を飲み屋で後輩たちと語り合った記憶がある。相手は男だけど、楽しい瞬間なので30年たっていても記憶から抜けない。最後に出た「レジーがワールドシリーズで3本打った時のピッチャーは誰?」しびれるなあ!!レジージャクソンだよね。自分は答えがわからなかった。
そんな娘ミッキーが途中から野球で重要な役どころを見せる。
これは見てのお楽しみだが、楽しい展開だ。

そんな娘との父娘愛も語られる。強い遺伝子があるせいか、2人とも頑固だ。すぐケンカしてしまう。それでも仲直りというか、普通の状態で話ができるというのもやっぱり親子だからであろう。突如小さい時のつらい思い出を普通の食事の時にべらべら話出して、楽しい場面を台無しにしてしまういかにも女性的混乱のシーンを見せたりするのが象徴的だ。

イーストウッドは明らかに「グラントリノ」から年を取っている。そりゃそうだろう、82歳だ。40年以上親しんだ彼の声も老いでかすれてきた。前回俳優業卒業を宣言した後のこの作品は本当に最後になるかもしれない気もした。劇中はほぼ出ずっぱりだったが、この声のかすれは限界に近付いている印象だ。

エイミーアダムスはいつもながらかわいい。今回は弁護士役でインテリだ。父親に距離を置きながら自立する女性を演じる。エリート弁護士に求愛されながらもふん切れない。相手との壁をつくってしまう。30過ぎの美人でインテリだけど結婚しない女の典型をうまく演じている印象だ。

映画「目撃」でも似たような親子愛があった。あの時泥棒役のイーストウッドはローラリニーと素敵な親子を演じた。自分が好きなイーストウッドの一つだ。今回の親子愛はもっと自分の心に響いた。
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ザ・ファイター

2011-10-30 19:06:05 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
ザ・ファイターを見ました。これは面白い。
「英国王のスピーチ」とは打って変わった社会の底辺を描いた作品だ。よかった。製作にも加わり主演をつとめたマーク・ウォールバーグは映画に打ち込んでいた。それにも増して、いつも端正な姿を見せるクリスチャンベールにはあっと驚いた。一見して誰かわからない。徹底的に役作りにこだわった。その怪演ぶりはクリスチャンベール扮するバットマンのライバル役故ヒースレジャーもびっくりするであろう。


マサチューセッツ州の労働者の街ローウェルにプロボクサーの兄弟がいた。兄のディッキーことクリスチャン・ベールは、以前は実力派ボクサーとして活躍していた。しかし、傲慢で欲望に弱く、麻薬に溺れていた。一方、父親違いの弟ミッキーことマーク・ウォールバーグは、兄からボクシングを教わりプロとなった。兄とマネージャー役の母ことメリッサ・レオの言いなりで、階級上のボクサーと戦わされたり、不利なカードで負けが続いていた。
ある日、マークはバーで働くシャーリーンことエイミー・アダムスと出会う。気の強いエイミーと相性が合った。大学でスポーツを専攻したという若者は周辺にはめずらしい存在だ。二人の関係は始まった。そんな中、クリスチャンベールは不良仲間と悪さをしつくしていた。結局窃盗の現行犯で逮捕され実刑となった。兄弟2人の父は別のトレーナーに話をつけた。スポーツ経験のあるエイミーの献身的なサポート、新トレーナーの訓練メニュー、そしてマークをスターボクサーにするための対戦カードが功を奏した。あれよあれよという間の連勝が始まったが。。。。


どんよりとしたムードで始まる。ボクシングを扱った名画はみんな同じだ。
「レイジングブル」「ロッキー」「ミリオンダラーベイビー」どれもスタートから30分の暗さは一緒で、どの映画も社会の底辺をもがいている連中を描く。ハングリースポーツであるボクシング映画には共通するところだ。ここでもマークウォールバーグは何度もドツボに落ちている。しかも兄クリスチャンベールのやることはめちゃくちゃだ。例にもれずに地に落とす。そこから這い上がらせる。みていてすがすがしい時間である。前述の映画にも同様の活躍パターンがある。「水戸黄門」的ワンパターンであるが、それはそれでいい。そこからが見せどころである。ここでも紆余屈折をつくる。

アカデミー賞でクリスチャンベールが助演男優賞、メリッサレオが助演女優賞を受賞するなど、2010年度の各映画賞をとりまくった。「英国王のスピーチ」のジェフリーラッシュも素晴らしい。でもこの映画のクリスチャンベールを見るとジェフリーラッシュが不運だと思うしかない。ボクシング映画には猛獣のようなボクサーが出てくることが多い。当然主人公である。「レイジングブル」でのデニーロがいい例だ。ここでの主人公マークウォールバークは相対的に静かだ。暴れまわり方が少ない。兄が猛獣なので弟を冷静に見せる。そういう構図だけにクリスチャンベールがなおさら目立つ。極端な減量を経ての登場はプロの仕事だと思う。


「フローズンリバー」の主演でもメリッサレオは社会の底辺をさまよう女を上手に演じた。ここではパワーアップしている。じゃじゃ馬女で自分勝手だ。主人公をバックアップする立場なのに逆に足を引っ張る。こんな女の人は割と世の中にいるかもしれない。彼女に加えて一緒になって足を引っ張る小姑たちがいっぱいいる。これもスパイスのように映画にきいている。
エイミーアダムスもマンハッタンのキャリア女性を演じているときとはちがう。妙にエネルギッシュに見えるところがいい。彼女の存在もこの映画には欠かせない。
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サンシャインクリーニング  エイミーアダムス

2011-04-13 16:02:29 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
「サンシャインクリーニング」はエイミーアダムス主演のコメディタッチのドラマだ。「ジュリー&ジュリア」でも活躍した人気急上昇中エイミーアダムスのさわやかイメージを想像したが、少し違った。妹役と一緒にする役柄は事件現場の掃除が仕事だ。えげつない仕事だ。



主人公ことエイミー・アダムスは30代半ばのシングルマザーだ。ハウスクリーニングの仕事をしながら、警察官の恋人との不倫関係を続けていた。主人公の妹エミリー・ブラントは、どんな仕事に就いても長続きせず、父親と実家で暮らしている。二人の姉妹は、幼い頃に目撃した母親の死にまつわるトラウマを拭い去ることができずに生きてきた。そんな中、エイミーの8歳になる息子オスカーは、先生の足をなめるなどの奇行が目立ち、小学校の校長から厳重注意を受けた。エイミーは腹を立て、自主的に転校させ息子を私立の小学校に入れることにした。恋人から「事件現場を掃除する仕事で金が稼げる」と聞いたエイミーは、嫌がる妹を誘った。ワゴン車を買い、そこに“サンシャイン・クリーニング”という会社のロゴを刻み込みスタートした。しかし、犯罪現場の後始末は究極のどぎつさで、二人は四苦八苦した。次から次へと舞い込む仕事をこなしながら姉妹は順調かと思えたが。。。。



以前サミュエルジャクソン主演の「クリーナー」という映画を見た。今回と職業的には一緒だが、サミュエルはこの仕事が似合う顔をしている。逆にこの女性2人はまったく似合わない。「おくりびと」の主人公本木くんが最初に死体の処理をしたときに戻したのと同じように、事件処理をした二人はいきなり戻してしまう。匂いは臭いし、虫はでるじゃやってられない。自分には到底無理だ。

美人の主人公2人なのに、えげつないシーンが続く。でも2人はお金を稼がなければならない。脇役に個性的な存在が目立ち、この2人をひきたてる。脚本には優しさがにじむ。悪くはない。
でも「リトルミスサンシャイン」のスタッフがつくった映画ということで注目した割にはもう一歩だった。実は「リトルミスサンシャイン」は個人的には高く評価している。ロードムービーとしての面白さに展開のスピード感が重なってすばらしい。逆にこの映画は序盤戦からスピード感がなく、取り上げる逸話もやさしさがにじむが今一つおもしろくない。ものたりないなあ。
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ダウト メリル・ストリープ

2009-11-10 19:06:14 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
オスカー俳優メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの共演である。カトリック教会に付属する学校が舞台である。話自体はそんなに面白くない。教会だけを舞台にしたおそらくは二人のギャラが予算のほとんどであったと思われる低予算映画である。単調な展開の中、おそろしい演技を見せるのは主演二人だけでなく黒人女優ヴィオラ・デイヴィスである。

時はケネディが暗殺されたあとの60年代半ば、ニューヨークの教会のカトリック学校が舞台である。周りの尊敬を集める神父フィリップ・シーモア・ホフマンは、生徒への性的ないたずらの疑いがあることが噂されていた。それを若いシスターであるエイミーアダムスが厳格なシスター校長であるメリルストリープに話をする。神父と話していったん疑いを解いた若いシスターの代わりにメリル校長が疑いを持つようになるが。。。。

舞台風景が単調で、話も単調。早く終わらないかなと思ってしまったころ。突如違った展開となった。そこにはまだ黒人差別に根ざされた社会背景がある。60年代半ばといえば、シドニー・ポワチエの「夜の大捜査線」がオスカーをとったころ。その映画で映る世界はかなり強烈な差別社会である。
それを背景にしたメリルストリープとヴィオラ・デイヴィスの掛け合いはすごいシーンである。ヴィオラのセリフにはシーンと来る。このシーンだけでヴィオラはオスカー助演賞の候補になったというのがよくわかる。ともかくこの二人の掛け合いが強烈に印象に残った。
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