映画「ねばぎば新世界」を映画館で観てきました。
「ねばぎば新世界」は大阪通天閣のふもと新世界を描いた赤井英和主演の映画である。その昔の新宿昭和館跡地のk’sシネマで上演しているというだけで。BC級映画の匂いを感じさせる。実際そうだが、たまにはいいものだ。
ボクシングジムをたたんで大阪新世界で串カツの店員をやっている主人公(赤井英和)が、かつてぐれていた頃の舎弟(上西雄大)が出所して再会する。新世界の町中で浮浪者のように彷徨う少年とたまたま出会う。ある新興宗教のアジトで母親ともども囚われていることに気づいた上に、かつての恩人(西岡徳馬)の娘(有森也実)も幹部になって布教していることを知り、少年と恩人の娘を救出しようとする話である。
見つけた少年は言葉がしゃべれない。母親が子の将来を心配して新興宗教の狂信的信者になっているのだ。少年もその宗教の囚われから抜けきれない。主人公と舎弟にボクシングを教えた恩人の娘に至っては、自分を助けてくれた教祖を信頼しきっている。そう簡単にはいかない。しかも、ヤクザが新興宗教の用心棒のように絡んでいるのだ。
⒈積み上げた人情話
「ねばぎば新世界」の根底に流れるのは人情物の色彩である。知性や教養とは無縁の世界だ。大阪の下町でお互い助け合って生きている面々に、町のヤサグレ者も絡んでいく。人間関係はいろんなところでつながっていて絡み合う。
ヤクザと赤井英和たちのアクションも何回か登場するが、それがメインではない。おそらくは、監督脚本の上西雄大が温めて積み上げていった町の小さな逸話をここぞとばかり登場させているという印象を受ける。
⒉赤井英和と大阪が似合う出演者たち
赤井英和はまさに土着の大阪というイメージが強い。腕っぷしが自慢で男を競い合う大阪人の典型みたいな男だ。浪速のロッキーと言われていた全盛期を知る人も少なくなったであろう。「どついたるねん」や「王手」での俳優への転向は成功だし、一時期出番が妙に多かった。こうやって元気な姿を見れるのはうれしい。
「ねばぎば新世界」では、そういう赤井英和に相性の良い上方俳優を選んで、出演させている。大島渚の初期作品に「太陽の墓場」という西成近辺が舞台になる下層社会を描いた映画がある。もう60年も前の映画なのにそこに出てくる出演者たちとほぼ同類に見えるのに気づく。阪急エリートカラーとは対照的なキャラだ。それに加えて、Vシネマの帝王小沢仁志や田中要次をはじめとして、この映画にあった俳優がうまくキャスティングできている。まさに新世界が舞台なので、ロケハンもやり易いはずだ。
⒊有森也実と西岡徳馬
親子役だが、最悪になっている2人の関係をどう取り戻すかというのがこの映画の主題の1つ。そんな2人を見ていて、ちょうど今から30年前の「東京ラブストーリー」にともに出演しているというのに気づいた。ちょうどその頃大阪にいた。え!そんなに時が過ぎたのかと驚く。有森也実は江口洋介と織田裕二の間をさまよう女の子、西岡徳馬は鈴木保奈美の元恋人で織田裕二の上司だ。2人に役柄上つながりがあったわけではない。
それにしても、あんなに可愛かった有森也実も歳とったね。女に嫌われるタイプなのか?いじめられてたいへんだったと聞き驚く。
⒋大阪新世界と自分の大阪
平成に入ってすぐ、生まれて初めて東京を出て大阪へ異動した。辞令の一言はショックだったが、行ってみると良いところだった。昭和の最後に東京のバブルに陰りが出ていたのに対して、平成元年に限って関西は異常なくらいのバブルであった。事務所は難波で、担当エリアは堺より南の泉南地区である。住む人たちの身なりは良くないが、南大阪は自営業者が多く得体のしれない大金を持っている人が多かった。ある意味、前近代的資本主義で貧富の差が激しい場所である。大阪の事務所の近くには、ミナミの大繁華街があったので新世界には行かずに用が足りていた。
当時、天王寺より一駅先で阿倍野区に住んでいた。車で会社に行くと、西成のあいりん地区や新世界の近くを途中通る。でも、大阪の地元の人たちからは通天閣のそばには行くな!と言われていて、素直に守っていた。結局、新世界のディープエリアに行く機会がなかった。
当時自分も若かったので、全盛時のあべのスキャンダルには行った。裸の女のこみんなかわいかったな。あべのの街もごちゃごちゃしていた。でも、家からがんばって歩けるくらい近いのに飛田新地には行っていない。病気があるからやめろと地元の人に言われていたからだ。
関西には結局5年いて、お世話になった人が多い。付き合いが長くなるほど情が厚くなり、その良さがわかるのが関西だと思う。コロナ騒ぎで、この1年は結局1度しか行けていない。義理が果たせず残念だ。それだけにこんな映画が観れてうれしい。
「ねばぎば新世界」は大阪通天閣のふもと新世界を描いた赤井英和主演の映画である。その昔の新宿昭和館跡地のk’sシネマで上演しているというだけで。BC級映画の匂いを感じさせる。実際そうだが、たまにはいいものだ。
ボクシングジムをたたんで大阪新世界で串カツの店員をやっている主人公(赤井英和)が、かつてぐれていた頃の舎弟(上西雄大)が出所して再会する。新世界の町中で浮浪者のように彷徨う少年とたまたま出会う。ある新興宗教のアジトで母親ともども囚われていることに気づいた上に、かつての恩人(西岡徳馬)の娘(有森也実)も幹部になって布教していることを知り、少年と恩人の娘を救出しようとする話である。
見つけた少年は言葉がしゃべれない。母親が子の将来を心配して新興宗教の狂信的信者になっているのだ。少年もその宗教の囚われから抜けきれない。主人公と舎弟にボクシングを教えた恩人の娘に至っては、自分を助けてくれた教祖を信頼しきっている。そう簡単にはいかない。しかも、ヤクザが新興宗教の用心棒のように絡んでいるのだ。
⒈積み上げた人情話
「ねばぎば新世界」の根底に流れるのは人情物の色彩である。知性や教養とは無縁の世界だ。大阪の下町でお互い助け合って生きている面々に、町のヤサグレ者も絡んでいく。人間関係はいろんなところでつながっていて絡み合う。
ヤクザと赤井英和たちのアクションも何回か登場するが、それがメインではない。おそらくは、監督脚本の上西雄大が温めて積み上げていった町の小さな逸話をここぞとばかり登場させているという印象を受ける。
⒉赤井英和と大阪が似合う出演者たち
赤井英和はまさに土着の大阪というイメージが強い。腕っぷしが自慢で男を競い合う大阪人の典型みたいな男だ。浪速のロッキーと言われていた全盛期を知る人も少なくなったであろう。「どついたるねん」や「王手」での俳優への転向は成功だし、一時期出番が妙に多かった。こうやって元気な姿を見れるのはうれしい。
「ねばぎば新世界」では、そういう赤井英和に相性の良い上方俳優を選んで、出演させている。大島渚の初期作品に「太陽の墓場」という西成近辺が舞台になる下層社会を描いた映画がある。もう60年も前の映画なのにそこに出てくる出演者たちとほぼ同類に見えるのに気づく。阪急エリートカラーとは対照的なキャラだ。それに加えて、Vシネマの帝王小沢仁志や田中要次をはじめとして、この映画にあった俳優がうまくキャスティングできている。まさに新世界が舞台なので、ロケハンもやり易いはずだ。
⒊有森也実と西岡徳馬
親子役だが、最悪になっている2人の関係をどう取り戻すかというのがこの映画の主題の1つ。そんな2人を見ていて、ちょうど今から30年前の「東京ラブストーリー」にともに出演しているというのに気づいた。ちょうどその頃大阪にいた。え!そんなに時が過ぎたのかと驚く。有森也実は江口洋介と織田裕二の間をさまよう女の子、西岡徳馬は鈴木保奈美の元恋人で織田裕二の上司だ。2人に役柄上つながりがあったわけではない。
それにしても、あんなに可愛かった有森也実も歳とったね。女に嫌われるタイプなのか?いじめられてたいへんだったと聞き驚く。
⒋大阪新世界と自分の大阪
平成に入ってすぐ、生まれて初めて東京を出て大阪へ異動した。辞令の一言はショックだったが、行ってみると良いところだった。昭和の最後に東京のバブルに陰りが出ていたのに対して、平成元年に限って関西は異常なくらいのバブルであった。事務所は難波で、担当エリアは堺より南の泉南地区である。住む人たちの身なりは良くないが、南大阪は自営業者が多く得体のしれない大金を持っている人が多かった。ある意味、前近代的資本主義で貧富の差が激しい場所である。大阪の事務所の近くには、ミナミの大繁華街があったので新世界には行かずに用が足りていた。
当時、天王寺より一駅先で阿倍野区に住んでいた。車で会社に行くと、西成のあいりん地区や新世界の近くを途中通る。でも、大阪の地元の人たちからは通天閣のそばには行くな!と言われていて、素直に守っていた。結局、新世界のディープエリアに行く機会がなかった。
当時自分も若かったので、全盛時のあべのスキャンダルには行った。裸の女のこみんなかわいかったな。あべのの街もごちゃごちゃしていた。でも、家からがんばって歩けるくらい近いのに飛田新地には行っていない。病気があるからやめろと地元の人に言われていたからだ。
関西には結局5年いて、お世話になった人が多い。付き合いが長くなるほど情が厚くなり、その良さがわかるのが関西だと思う。コロナ騒ぎで、この1年は結局1度しか行けていない。義理が果たせず残念だ。それだけにこんな映画が観れてうれしい。