ついに、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したね!
おめでとう~~♪
この映画は11月に観た。
先に観た友達が絶賛していた通り、全体に流れる崇高なテーマといい、映画の持つ品格といい、すべてが素晴らしく、かといって堅苦しくなく人間的で、クスッと笑えるところもあって、私の中では去年観た20本の映画で堂々の2位だった。
昼間のテレビで、この「おくりびと」にまつわる話が紹介されていて、すごく興味深かった。
主演のもっくん(本木雅弘)はいまから15年ほど前、27歳のときにインドへ1か月ばかりプライベートで旅行し、ガンジス川で遺体が流れる光景を目にしたそうだ。死が日常に溶け込んでいるさまを見て死と生の両方を想う体験をしたと語っている。
帰って来てから出会ったのが「納棺夫日記」という本で、その本を読んだとき、いつかそれを映画の形にしたいと思ったんですって。
そして、紆余曲折あって、ある人に脚本を書いてもらったものがこうして「おくりびと」につながったのだそうだ。15年かかって。
昨年11月からの糸井重里・中沢新一との対談(@ほぼ日)では、もっくん自身、「おくりびと」のきっかけは、インド体験と「納棺夫日記」に感じた「光」だったと言っている。
この全12回に渡るロングインタビューの中で、たいへんに興味深かったのが第10回のこれ。
作品がなにかとてつもないパワーを持って出現し、存在するには、タイミングという「時(とき)」があるんだな~、と深いところで納得させられる話だった。
必ずしも爆発的な勢いや人間の強い情熱によるものだけが実を結ぶのではなく、もっとゆるくて地下水がジワジワ沁み出てくるように長い年月をかけて持続することで形作られるものもあるってこと。
逆にいえば、最初はほんの小さな「気づき」や「想い」みたいな種子が、色々なエネルギーを蓄えながら、あるタイミングで大きく羽ばたいていったんだな、とも言える。
おもしろいね~
私もかつてインドを訪れたことがある。21歳のとき、もうずいぶんと昔の話だ。半月ほどかけてインドを横断し、ネパールのカトマンズで1週間ばかり過ごしてふたたびインドのニューデリーへ戻ってから帰ってきた。
もっくんが死体が流れるのを見たというベナレスのガンジス川のほとりで私も死体を見た。
川のほとりに広場があっていくつかのやぐらのようなものが組まれていてそこに死体が置かれて火を放たれ、その中のひとつがボンボン燃えていた。
そうして焼かれた死体はガンジスの大いなる流れに流されるのだろう。
その同じ川で、人々は顔を洗い、歯を磨き、洗濯をし、そして沐浴をし、祈りをささげる。
生と死と神への祈りが同じ流れの中で渾然一体となっているのだ。
死体を焼くのは、少し離れた上のほうから見ていたから場所的に土手のようなところから見下ろしていたのかどうだったのか、はっきりとは覚えていない。
ただ、そのときに私が感じたのも、やはりもっくんと同じ、死の自然さだった。恐れたり、忌み嫌ったり、特別なことでもなんでもない、まったく生と同じような自然なことのひとつだったのだ。
それまでの私には、死はただただ怖いものというイメージしかなかったので、その死に対してそういう感覚を持ったことがとても新鮮だったのを今でも覚えている。私もきっと、メメントモリの一体験をしたんだろうな~。
死とは生と対極にあるのではなく、肉体を得て生まれて死ぬという生命のサイクルの中では死もまた生と同様に「大いなるやさしさ」の及ぶ範囲なのではないか。
死も生の一部、というぼんやりとした、でもあたたかな感覚…
もっくん、本当の納棺師の人に助手としてついて行って本当のお葬式にも立ち会ったというし、チェロも吹き替えにせず自分で練習して弾いたんだって。
すごいね、そういうことも映画に力(フォース)を吹きこんだんだね。
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ありがとうございます!!
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先に観た友達が絶賛していた通り、全体に流れる崇高なテーマといい、映画の持つ品格といい、すべてが素晴らしく、かといって堅苦しくなく人間的で、クスッと笑えるところもあって、私の中では去年観た20本の映画で堂々の2位だった。
昼間のテレビで、この「おくりびと」にまつわる話が紹介されていて、すごく興味深かった。
主演のもっくん(本木雅弘)はいまから15年ほど前、27歳のときにインドへ1か月ばかりプライベートで旅行し、ガンジス川で遺体が流れる光景を目にしたそうだ。死が日常に溶け込んでいるさまを見て死と生の両方を想う体験をしたと語っている。
帰って来てから出会ったのが「納棺夫日記」という本で、その本を読んだとき、いつかそれを映画の形にしたいと思ったんですって。
そして、紆余曲折あって、ある人に脚本を書いてもらったものがこうして「おくりびと」につながったのだそうだ。15年かかって。
昨年11月からの糸井重里・中沢新一との対談(@ほぼ日)では、もっくん自身、「おくりびと」のきっかけは、インド体験と「納棺夫日記」に感じた「光」だったと言っている。
この全12回に渡るロングインタビューの中で、たいへんに興味深かったのが第10回のこれ。
作品がなにかとてつもないパワーを持って出現し、存在するには、タイミングという「時(とき)」があるんだな~、と深いところで納得させられる話だった。
必ずしも爆発的な勢いや人間の強い情熱によるものだけが実を結ぶのではなく、もっとゆるくて地下水がジワジワ沁み出てくるように長い年月をかけて持続することで形作られるものもあるってこと。
逆にいえば、最初はほんの小さな「気づき」や「想い」みたいな種子が、色々なエネルギーを蓄えながら、あるタイミングで大きく羽ばたいていったんだな、とも言える。
おもしろいね~
私もかつてインドを訪れたことがある。21歳のとき、もうずいぶんと昔の話だ。半月ほどかけてインドを横断し、ネパールのカトマンズで1週間ばかり過ごしてふたたびインドのニューデリーへ戻ってから帰ってきた。
もっくんが死体が流れるのを見たというベナレスのガンジス川のほとりで私も死体を見た。
川のほとりに広場があっていくつかのやぐらのようなものが組まれていてそこに死体が置かれて火を放たれ、その中のひとつがボンボン燃えていた。
そうして焼かれた死体はガンジスの大いなる流れに流されるのだろう。
その同じ川で、人々は顔を洗い、歯を磨き、洗濯をし、そして沐浴をし、祈りをささげる。
生と死と神への祈りが同じ流れの中で渾然一体となっているのだ。
死体を焼くのは、少し離れた上のほうから見ていたから場所的に土手のようなところから見下ろしていたのかどうだったのか、はっきりとは覚えていない。
ただ、そのときに私が感じたのも、やはりもっくんと同じ、死の自然さだった。恐れたり、忌み嫌ったり、特別なことでもなんでもない、まったく生と同じような自然なことのひとつだったのだ。
それまでの私には、死はただただ怖いものというイメージしかなかったので、その死に対してそういう感覚を持ったことがとても新鮮だったのを今でも覚えている。私もきっと、メメントモリの一体験をしたんだろうな~。
死とは生と対極にあるのではなく、肉体を得て生まれて死ぬという生命のサイクルの中では死もまた生と同様に「大いなるやさしさ」の及ぶ範囲なのではないか。
死も生の一部、というぼんやりとした、でもあたたかな感覚…
もっくん、本当の納棺師の人に助手としてついて行って本当のお葬式にも立ち会ったというし、チェロも吹き替えにせず自分で練習して弾いたんだって。
すごいね、そういうことも映画に力(フォース)を吹きこんだんだね。
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