ruruBの極楽な日々

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純化されたもの

2009-02-20 20:45:14 | まじめな話
おととい友達Yと8時間半しゃべったときに本の話題が出た。

そのとき「今これ読んでるんだ」と
Yが見せてくれたのがトルストイの「戦争と平和」

小さな字がビッシリの500頁の単行本で全3巻のうちの1巻だそうだ。

なげ~~!

でもこんなに長くても本に力があるのでグングン読めてしまうんだって。

彼女は国文科卒で無類の本好きだ。

ただ彼女いわく古典と呼ばれる正統派の本は意外とそれほど読んで来なかったそうだ。
ところが何年か前にツルゲーネフの「初恋」を読み返した時に古典の持つ魅力にあらためて感動したらしい。

自然描写のすばらしさに心打たれたんだそうな。

それ以来、彼女は古典を読むようになった。時代も国も違うのにものすごくよくわかるところがあるのだそう。

とくにロシア文学は女性のキャラが立っててあたかも生きているかのごとく魅力的に描かれているんだって。

それに比べたら明治の某文豪の作品で描かれた女性像なんて屁みたいなものらしいよ。そっか。

古典の魅力ってそれなんだろうね。
普遍のテーマが時代を超えた形で表現されているからこそ作中の人間が生きているかのようなんだわね。

「たとえばさ」と言って話してくれたのは、いま読んでいる本の中のエピソード。

20歳くらいの若い男の子が戦場で負傷して倒れている。見上げる空はどこまでも青く美しい。彼は今まで自分が大切にされて生きてきたことを回想しながら「なのになぜ自分は今こんなところで倒れているんだろう」という理不尽な想いを抱く。そんな記述があったんだとか。それを読んだときYはまるで我がことのように感じとれたんだそう。

Y自身も人生のどこかの場面で同じ思いを抱いたことがあり、それが二重写しのように思い出されたのかもしれないね。

トルストイの作品はこんな風に人間がよく描かれているんだってさ。

その筆力もだけど、訳者も大切だね、といっていた。

同じ作品でも訳者によってまったく違うそうだ。まぁ、そうだろうね。
彼女の気に入っている訳者は自分も文学を書く人だから原作の魅力をよく引き出せているらしいや。

思うのだけど、

文学にしても絵画にしても音楽にしても今の時代に古典として残っているものに共通しているのは「純化」あるいは「純化されたもの」なんじゃないかしらね。

不純物が存在しないもの。

人間が形としてあらわしたものではあるけれど、その作品には、生きた人間が持っている不純物が内包されていない。どんなに人間のドロドロとした側面が描いていたとしてもさ。

作者の純化された部分だけで作られたものだから最初から純化された作品なのであって、だから時を超えて存在しているんだと思う。

逆に不純物の含まれたものは時代を超えて生き残っていく力はないのかも。

そして、その不純物とはズバリ「エゴ」なんじゃないかな。

あ、香水も似てるね。

コロンやトワレは含有物があって純度が高くないから何年もたつと変質して元の香りは失われてしまう。

それに比べて香水は純度が高いから香りが変わらないよね。

アルコールも同じか。

純度の高いものに腐敗はない。

あと100年、200年たったときに同じ輝きを保ちながら残っていくもの。それは今は雑多なものにまぎれて見分けがつかないが、もうすでに決まっている気がする。



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