昨日の午前中はMさんの取材だった。いつものようにケーキを食べながら。私が食べたのはマンゴーショコラ。Mさんと編集者Kさんが食べたのは奥に写っているヨーグルトクリームの乗っかったシンプルなもの。Mさんたちの食べたケーキ、ここのケーキの中ではめずらしく、甘さひかえめでサッパリしててとってもおいしかったんですって。
夜、ふと思いついて今までの2月9日の日記を見かえしてみた。私は2003年から日記をつけている。ブログの前につけていた日記は最新1年しかネット上では見られないが、それ以前のものも自分では見られるのだ。
するとそのうち2回がケーキの写真だった。
◎2005年の2月9日の日記
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/c9/029cc4c8bc39555342ae080af8a5364f.jpg)
きのう食べたランチのデザートのほう。こんだけしか食べられなかった・・・。
このデザート、ひとつひとつが小さいのよ。
だから胃の調子がよければ、時間があれば、もっと食べられたはず。ヤワな胃を鍛えて、また来ます。
…と書かれている。
そうだった、友達3人でデザートつきのランチブッフェに行ったんだけど、私は胃の調子が悪くてデザートをこんだけしか食べられなかったって話。
って、けっこう食べてるじゃんね。
◎2007年2月9日の日記
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/9a/c1f4cdb903fb8686bf64c2c52a411a2d.jpg)
昨日、映画を観た後でパシフィックホテルのピコロモンドでミルフィーユを食べた。
昔、ミルフィーユは恋人といる時は食べられない、食べにくくて、食べる姿がみっともないことになったりするから、なんて話があったね。
でも今ならまったく平気、無問題。みっともなかろうがどうだろうが かまやしない。そういう点でも、年を重ねるって、案外ステキなこと♪
…なんて内容。この観た映画っていうのはキムタクの「武士の一分」だったわ。
ふふ、おもしろいね。
去年の今頃は…とよく思い返していたのは母が亡くなった翌年のこと。人間、1年前の今頃は何をしていたか、というのは案外覚えているもので「去年の今頃は母はまだ生きていて、こんなことがあったな~」となつかし悲しく、よく回想していたものだ。ところが2年たつと2年前の今頃は?というのはもうハッキリ思い出せなくなっているのであまりそういうことはしなくなった。
その点、日記をつけていると便利だね。去年の今頃は、3年前の今頃は、ってサッと見返せるもん。
過去の2月9日の日記を見返したとき、ケーキのことを書いていたのが2回、試写会を観たことが1回、あとの2回は何も書かれていなくて空白だった。
空白ということはとくに書くようなことのない平凡な1日だったのか、書くことはあったのに書きとめる時間がなかったのか、いまとなっては知りようもないが、こんな風に私たちの人生は人間が認識している時間軸や暦の上に積み上げられて行く。
一生の最後には、らせん(1周につき1年)のような時間軸の上に、起こったことや経験が積み重なって、うず高いウェディングケーキのようになっているんだろうね。
そのウェディングケーキに入刀すると亡くなった年から0歳児までのその日(たとえば2月9日)に起こったことと自分の感情や思念などの反応が順番に積み重なっている、と。
死ぬときにはそのウェディングケーキを自分で丸ごと持って行くんだわね。
ふ~む、丸ごと持って行く時は、今は忘れていることも(日記の空白の日のように)すべてデータとしてくっきりと存在しているんだろうな。
うん、おもしろい。
☆ 今日もあたたかい ひと押しをポチッと!!
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ありがとうございます♪
夜、ふと思いついて今までの2月9日の日記を見かえしてみた。私は2003年から日記をつけている。ブログの前につけていた日記は最新1年しかネット上では見られないが、それ以前のものも自分では見られるのだ。
するとそのうち2回がケーキの写真だった。
◎2005年の2月9日の日記
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/c9/029cc4c8bc39555342ae080af8a5364f.jpg)
きのう食べたランチのデザートのほう。こんだけしか食べられなかった・・・。
このデザート、ひとつひとつが小さいのよ。
だから胃の調子がよければ、時間があれば、もっと食べられたはず。ヤワな胃を鍛えて、また来ます。
…と書かれている。
そうだった、友達3人でデザートつきのランチブッフェに行ったんだけど、私は胃の調子が悪くてデザートをこんだけしか食べられなかったって話。
って、けっこう食べてるじゃんね。
◎2007年2月9日の日記
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/9a/c1f4cdb903fb8686bf64c2c52a411a2d.jpg)
昨日、映画を観た後でパシフィックホテルのピコロモンドでミルフィーユを食べた。
昔、ミルフィーユは恋人といる時は食べられない、食べにくくて、食べる姿がみっともないことになったりするから、なんて話があったね。
でも今ならまったく平気、無問題。みっともなかろうがどうだろうが かまやしない。そういう点でも、年を重ねるって、案外ステキなこと♪
…なんて内容。この観た映画っていうのはキムタクの「武士の一分」だったわ。
ふふ、おもしろいね。
去年の今頃は…とよく思い返していたのは母が亡くなった翌年のこと。人間、1年前の今頃は何をしていたか、というのは案外覚えているもので「去年の今頃は母はまだ生きていて、こんなことがあったな~」となつかし悲しく、よく回想していたものだ。ところが2年たつと2年前の今頃は?というのはもうハッキリ思い出せなくなっているのであまりそういうことはしなくなった。
その点、日記をつけていると便利だね。去年の今頃は、3年前の今頃は、ってサッと見返せるもん。
過去の2月9日の日記を見返したとき、ケーキのことを書いていたのが2回、試写会を観たことが1回、あとの2回は何も書かれていなくて空白だった。
空白ということはとくに書くようなことのない平凡な1日だったのか、書くことはあったのに書きとめる時間がなかったのか、いまとなっては知りようもないが、こんな風に私たちの人生は人間が認識している時間軸や暦の上に積み上げられて行く。
一生の最後には、らせん(1周につき1年)のような時間軸の上に、起こったことや経験が積み重なって、うず高いウェディングケーキのようになっているんだろうね。
そのウェディングケーキに入刀すると亡くなった年から0歳児までのその日(たとえば2月9日)に起こったことと自分の感情や思念などの反応が順番に積み重なっている、と。
死ぬときにはそのウェディングケーキを自分で丸ごと持って行くんだわね。
ふ~む、丸ごと持って行く時は、今は忘れていることも(日記の空白の日のように)すべてデータとしてくっきりと存在しているんだろうな。
うん、おもしろい。
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