この前紹介した倉橋ヨエコの第二弾です。
やっぱりすごい人だ。私はあいかわらずこの人の歌に対して「好き」というわかりやすい感情があるのかどうかわからない。けれど、すごいはすごい。気になり過ぎ、引っ張られ過ぎです。
文学にせよ音楽にせよ映像にせよ、ホラーという分野は3次元に生まれてきた私たち人間の誰もが多かれ少なかれ持っているエネルギーに呼応するものを形にした表現方法のひとつだと思う。
そういう意味で、倉橋ヨエコって人はホラーにかなり近い音楽をやる人なんだと思う。メロディーなりリズムなりでホラー性を中和するものを持ってきているから普通に聴けるバランスにはなっているけどね。
これ、こわ~い、ホラーだ。さっぱりした形を取りながらも情念が渦巻いている。
これは見送る人と見送られる人、生と死と再生がクロスオーバーしている曲だと思う。
何度聞いても泣きそうになる。
かなり変わっていて印象深い。ギリギリネガティブから出発する蘇生力を含んでいる。
昨日の夜中、あまり小説を読まない私が昔から好きで何度か読んでいる小説を読んだ。
アゴタ・クリストフの「悪童日記」
む~、ゾッとしながらも引き込まれる。
この小説もホラーではないけれどホラーに近い。ホラーに触れると「自分」という普段は丸っぽい、あるいは楕円形に近いエネルギーが、斜め方向からギュ~ッと引っ張られて一瞬いびつな形に変形する気がする。これが案外ストレッチみたいな感じで気持ちがいいのだ。
健康、健全だけを目指していて何かつまらない気分になったときに、わざと意味のない不健全なことをして清濁混合の3次元に生きていることを実感したくなるようなもの。
それがホラーなんじゃないかしらね。
☆ 週末のひとポッチリをどうぞよろしく♪
↓
ありがとうございます!!
やっぱりすごい人だ。私はあいかわらずこの人の歌に対して「好き」というわかりやすい感情があるのかどうかわからない。けれど、すごいはすごい。気になり過ぎ、引っ張られ過ぎです。
文学にせよ音楽にせよ映像にせよ、ホラーという分野は3次元に生まれてきた私たち人間の誰もが多かれ少なかれ持っているエネルギーに呼応するものを形にした表現方法のひとつだと思う。
そういう意味で、倉橋ヨエコって人はホラーにかなり近い音楽をやる人なんだと思う。メロディーなりリズムなりでホラー性を中和するものを持ってきているから普通に聴けるバランスにはなっているけどね。
これ、こわ~い、ホラーだ。さっぱりした形を取りながらも情念が渦巻いている。
これは見送る人と見送られる人、生と死と再生がクロスオーバーしている曲だと思う。
何度聞いても泣きそうになる。
かなり変わっていて印象深い。ギリギリネガティブから出発する蘇生力を含んでいる。
昨日の夜中、あまり小説を読まない私が昔から好きで何度か読んでいる小説を読んだ。
アゴタ・クリストフの「悪童日記」
む~、ゾッとしながらも引き込まれる。
この小説もホラーではないけれどホラーに近い。ホラーに触れると「自分」という普段は丸っぽい、あるいは楕円形に近いエネルギーが、斜め方向からギュ~ッと引っ張られて一瞬いびつな形に変形する気がする。これが案外ストレッチみたいな感じで気持ちがいいのだ。
健康、健全だけを目指していて何かつまらない気分になったときに、わざと意味のない不健全なことをして清濁混合の3次元に生きていることを実感したくなるようなもの。
それがホラーなんじゃないかしらね。
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