ruruBの極楽な日々

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新しい水晶たち

2009-09-29 23:48:33 | ふしぎな話

友達Oと会った。

どこか行きたいところがあるか聞いたら「ブログに載ってた石屋さんに行きたい」と言うので、その石屋さんのある原宿にした。

その前にランチを食べた。前にOと行った「ベニーレベニーレ」というイタリアンのお店である。
ここの4種のチーズのピザ(蜂蜜つき)がめちゃくちゃおいしかったのでもう一度食べたかったのだ。



サラダはブッフェ、数種類のピザパンみたいなのもあって、これだけでもボリュームがある。スープとマンゴージュースも。

楽しみにしていた、4種のチーズピザに蜂蜜をかけるやつは、楽しみにし過ぎたせいか、前のときみたいな感動はなかった。
Oも私も食がすすまずに残しちゃったもんね。

あらら。

食後、いよいよ「コスモスペース」へ。

二人で狭い店内を1時間くらいウロウロして最後にはそれぞれ家に連れ帰るべき石を手に入れた。

私は、お墓のような、ひつぎのような(笑)形をしたシャーマンダウというアメジストを。



Oは、綺麗な緑色の雲母が入っためずらしい水晶を買った。





エジプトのオベリスクのような形である。全長8㎝ほどかな。

Oは最初に観たときにこの石に何か感じたそうだが、その後インカローズに惹かれたりしてあれこれ迷った末に、
ダウジング用の水晶を買ってお茶を濁して帰ろうとした。まさにそのとき、この石に呼び止められたという。
その後は早かったな~。まったく迷わず買っていたもの。

私の買った経緯もおもしろかった。
最初に気になったのはこのアメジストだったが、後にいくつか「買おうかな~」と思うものが出てきた。
でも、どれも決定打に欠け、やはり最後まで気になっていたのはこの石だった。ただ、主張が少ない静かな石だったので
「無理やり買おうとしてないか?」「無理して買わなくてもいいのでは?」という気になり、何も買わずにお店を出た。

数歩歩いたらOが買った水晶の「産地を聞くのを忘れた」と言うのでいっしょにお店に戻った。
Oの水晶はマダガスカル産だったのだが、私はササッともう一度アメジストを見に行った。
するとさっきまでだまっていたアメジストから何かパルスみたいなのがピピピと来て私の中にカチッとおさまった。

そして「やっぱりこれ、買いま~す」となったのだ。

お店の2Fにあるカフェで買った石を見せあいながら、
「コスモスペース」をほめ合った。

石の質がいいよね、とか、ネットショップの半額くらいの価格だよね、とか。
あれだけ狭いスペースにびっしりと石があるのに長くいても疲れたりイヤな感じがしないのもすごいことだ。

きっとそれは目利きのオーナーがいい波動の石を選んで買いつけて来ているんじゃないか、
あと、オーナーが儲けだけを優先せずに、本当に石が好きで売っているんだろうね、という結論になった。

(後日、友達Aちゃんが「あのお店には浄化装置があって、石はすべてその機械で浄化してからお店に出していると
店員さんが言ってたよ」と教えてくれた。なるほどそういうこともあるのか~)

前にけっこう人気のあるというパワーストーン屋に行ったことがあるのだが、狭い部屋にごちゃごちゃと並んでいる石を
見ているうちに息があがって酸欠になりそうなイヤな気分になったことがあった。
この商売でもうけてやろう的な想念が石たちに影響していたのかもしれない。そういうのって案外わかるものだ。




家でアメジストを撮り直してみた。

ダウというのは正面の先端部が7角形、隣りが3角形、その隣りがまた7角形と、7角形と3角形が
交互に3つずつ出ている水晶のことである。

ダウで、なおかつファントム(成長の跡)を有しているものがシャーマンダウと呼ばれ、めっちゃレアなのである。
アメジストのファントムはボヤボヤしているものが多いらしいが、私のシャーマンダウは中央部にくっきり2層のファントムが出ている。

シャーマンダウとはその名の通り、かなりあっち系な石らしいよ。
私ったら水晶歴はけっこう長いのにシャーマンダウっていう水晶があるのを最近初めて知ったんだよね。

「コスモスペース」のオーナーはシャーマンダウに凝りまくって「一時アメリカ中のシャーマンダウを買い占めていたんですよ」と
店員さんが言っていた。

これもそのうちのひとつなんだな~。

写真では大きく見えるけど7センチくらいの小さなものだから、これもエジプトに持って行っちゃおうっと。



石は生きてますよ、ええ、生きてますとも。
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Eさんとお茶&飲み会

2009-09-28 22:31:45 | 楽しかったこと

昨日から実家で1泊し、父と夕飯を食べたり散歩したりした。

その後Eさんからメールがあり、夕方待ち合わせてお茶をすることになった。



自宅近くのコメダでミニ・シロノワールを食べながらイタリアの話を聞いた。

Eさんはこの連休、家族でイタリアへ個人旅行で行ってきたのだ。

そのおみやげにチョコ菓子の詰め合わせや堅焼きビスケット、絵ハガキやしおり、イケメンバレエダンサーの載った雑誌(笑)をもらっちゃった。ありがとう♪

この前Eさんに会ったのはイタリア旅行の前日だ。Eさんちで1時間くらいかけて初ジェルネイルをしてもらった。
Eさんは2年間ほどネイルサロンでカルジェルというジェルネイルをしてもらっていたのだが、UVの機械やキットを購入すれば自分でもできると知り、この夏から自分でジェルネイルをするようになった。

それでやってもらった。おもしろい。そしてマニキュアより落ちにくい。あれから10日間、金タワシでガシガシ掃除をしたこともあったのにはげない。マニキュアなら間違いなく全滅だ。爪をプラスチック化するようなもおだから、爪が固く、丈夫になる。

気に入った。私も機械とキットを買おうっと。

Eさんとは2時間ほど話したが「夕飯もいっしょに飲みながら食べよう」という話にまとまった。

そこでEさんは車を置きにいったん帰り、駅前でふたたび集合して「魚民」で飲んだ。

今までふれたことのないディープな話に夢中になるうちに、夜中近くになっていた。




イケメンバレエダンサーとはロベルト・ボッレ。
知らなかった~
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シンクロ二シティ

2009-09-27 23:11:12 | ふしぎな話


今日、友達Hと電話で話していて

「ありえないよね~!」と爆笑したことがあった。

シンクロニシティ、いわゆるシンクロとは、ちょうど友達のことを考えていたらその友達から電話がかかってきたとか、まったく異なる場所で同じようなことをしていたなど「意味のある偶然の一致」のことである。

Hはこの前シルバーウィークのときにJちゃんと会い、そのときに本の話になったという。そして、つい最近同じ時期に同じ本を買っていたことがわかったそうだ。

Hは何年か前にその本を買ったのだけどその時はあまりピンと来ずに一度処分してしまった。でももう一度読みたくなってまた買った。

Jちゃんは以前その本を図書館で借りて読んだのだが、最近たまたま古本屋で見つけてもう一度読みたくなり購入したという。

その本とは掃除の本らしい。

え??掃除の本?? 

私はある予感がして聞いてみた。

「それってもしかして○○○○…(本の題名)?」

そしたら、そうだった!


ぎゃ~、その本、私も買ったんだよ~!!!


実は1週間くらい前にアマゾンでその本を見つけ、本屋に行くことがあったら買おうと思っていた。でも、近所の本屋には置いていなかったし、大きな本屋に行く機会もなかったので「やっぱりアマゾンで買おうっと」と2日前に注文したのだった。

出たばかりの新刊本でシンクロしたのならまだわかるよ。でもそうじゃないんだから。

この本は2002年に発売された7年も前の本だ。

それにちょっと前からのお掃除ブームで掃除の本は山ほどある。アマゾンで検索したらお掃除関連は492冊もあった。

その中で7年も前に発売された同じ本を、友達3人がまったく別々にほぼ同時期に購入していたというのは、ものっすごいシンクロじゃないかい?

しかもHの買った本は1週間以上前に注文したのに2回も誤送で返送されたので、昨日やっと届いて読み始めたんだそう。

と、そんな電話をしている間に「ピンポ~ン」とアマゾンからうちへその本が届いたので、Hと私はたった一日違いで読み始めることになる。

なんだかすごいよね。


そういえば、Hと私のトランクのシンクロ話もすごかったな。

私は7月に二子玉の高島屋でREMOWAの赤いトランクを衝動買いした。

そのことをHに電話で話したら「私も昨年手に入れて持っていますよ、REMOWAの赤。まだ使ってないけど」と言われた。

えぇぇぇぇ~~~、メーカーも色もいっしょだよ。

で、Hとは7月下旬に香港へ行ったのだが、おそろいのRIMOWAの赤いトランクをお互い初おろしでゴロゴロとひいていったのだった。

これもものっすごい偶然だよね。

まぁ、本にしてもトランクにしてもシンクロしたからといって、何かどえらいことが待っているわけじゃないけれど、

おもしろいじゃんね。

興味や惹かれるもの、惹かれる時期や時間帯がピッタリと似かよっていて、

どんだけ仲良し波動なのよ、って話かな。



わたしたちが同時期に買ったのは、この本





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ありがとうございます♪


ネジと紙幣

2009-09-26 23:50:43 | 演劇

天王洲アイルの銀河劇場で「ネジと紙幣」を観てきた。

このお芝居のことを知ったのはつい先週。で、すぐにオークションでチケットを落とした。

反応した理由は、近松門左衛門の作品が元になっていることと、森山未来とともさかりえが主演だったことかな。

8月の終わりだったと思う。たまたま観ていたテレビで近松門左衛門の番組をやっていた。士農工商が厳然としていた江戸の時代に、武門に生まれた武士が身分を捨て、30代になって名前を近松門左衛門と変えて人形浄瑠璃の世界に入った。そして70代で亡くなるまでに130作品もの歌舞伎と浄瑠璃を作った。

有名な曽根崎心中は、当時実際に民間で起こった事件を題材にして大ヒットした。

といっても歌舞伎に詳しくない私はそのとき初めて知ったのだが。とにかく不変の人間性を描き、江戸の人たちに強烈に受け入れられた天才だったのだ。

「ネジと紙幣」は彼の「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」という作品がもとになっている。それで興味を持った。

ただ、歌舞伎でのこの作品は非常に重くて暗く、二度と見たくないという人もいるらしい。

それが現代劇になるとどうなるのか、そんな興味もあった。


町工場の次男坊「行人(ゆきと)」は家業も手伝わず悪い仲間とつきあっている。
家族からもうとまれているが行人がそうなるには色々複雑な事情もある。花火大会の夜に起こしたけんかがきっかけでゆきとの人生は坂道をころがり落ちるように転落していく。そんなゆきとを幼なじみの桃子は姉のような気持ちで気にかけていたが最後にゆきとに殺されてしまう。

観終わったあと、私はこの芝居のテーマってなんだろう、と思った。すぐには思いつかなかった。

でもこれかな?とも思った。

最後のほうのふたりの会話。

「これは一体何から始まったのかを考えると、どこが「始まり」なのかわからなくなる、これが始まりかと思うと、もっと前から始まっている気もするし。疲れるから「始まり」は考えずに「終わり」を考えることにする」

と言う行人に「だったら「ちょっとだけ先」を考えるようにしたらいいじゃない」と諭す桃子。

そう、人生に起こる出来事はどの時点から始まっているのかわからない。終わりを探すほうが簡単なもしれない。

その後、ふたりは金銭のことで争ううちに、

桃子は行人に「あんたもうダメだ」的なことを言ってしまう。禁句。おそらく桃子は行人にとって最後の砦だったんだよね。その桃子に全否定され、振り子がわずかに傾いて殺人者になって終わらせることを選んでしまった。ただそれだけ。

なんだかな~。

8月の終わりに観た「ダイバー」も殺人がらみの話で感情移入しづらかったけど、今日のもそうだったな。

ただ、それぞれの役者たちのたたみかけてくるようなせりふと体を張った演技が素晴らしく、すごく芝居らしい芝居だった。

そういう点でとてもおもしろかった。



銀河劇場の入っていたシーフォートビル。初めての銀河劇場は全746席のわりと大きな馬蹄型のホール。

帰ってから近松門左衛門について調べていたら、彼は大津の三井寺で若いころの3年間を過ごしたらしい。

えぇぇ、三井寺、なつかしい!
私も父の仕事の関係で三井寺のすぐそばで10代の2年半を過ごしたんだよ~。奇遇。時空を超えたニアミスだ。

こういうのってうれしいもんだよね。

会ったこともない江戸時代の天才戯曲家に親近感を覚えたりして。

いや、かつてその時代に生きたことのある私は彼の手になるお芝居を嬉々として観に行ったかもしれないし。



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汐留で昭和三昧

2009-09-23 22:48:04 | 展覧会

連休の最終日は友達Hと汐留に行った。

先週友達Fがアド・ミュージアムでやっている「広告跳躍時代~昭和の広告展Ⅲ」に行き絶賛していたので、私たちも見ることにしたのだ。

まずお昼を食べた。汐留シティセンタービルの「オレゴン・バー&グリル」。前日にネットでチェックしておいたんだ~



42Fだから見晴らしがいい。メインは魚か肉から選び、サラダとデザート、ドリンク類がブッフェになっている。お値段もリーズナブル。



デザート。

食後に取りだしたのはおとといのファントムといっしょに測り売りで買った小さな水晶たち。4個買ったからHに一個あげようと思って持ってきたのだ。



Hが選んだのは、ダッフィーが持っている向かって右側の水晶。この水晶からHは呼ばれたらしい。Hが家に持っている水晶と形が似ているそうだよ。

ダッフィー、初めて見た。Hはこの前ディズニーシーに行ったのだが、最近のディズニーシーにはこのダッフィーのぬいぐるみを持って歩いている人があふれているんだそうだ。
ダッフィーって、船に乗るミッキーがさびしくないようにミニーがあげたテディベアなんだってね。

それからアド・ミュージアムへ行った。



1970~80年代のテレビCM、ポスター、チラシなどの広告、当時のなつかしいものなどが展示されている。

当時のヒットCMを次々と手掛けていた元電通社員のトークショーもあって興味深かった。

商品を売るのにハッピーな部分だけでCMを作るときれいごとのようで嘘っぽくなってしまう。そこへネガティブな要素を少しだけ入れるとぐっとリアリティが出て人心をつかむCMになる、みたいな話があり、なるほど、と思った。

何でもそうだよね。文章や芝居でも。薔薇には少々の毒の部分があるからあそこまで美しいっていうのと同じかな。深い。

当時のものに接すると記憶の扉が次々に開き「あ~、これ、あった!」「そうそう、思いだしたよ~」と興奮状態になり、なつかしくて楽しくて2時間以上はいたと思う。

「なつかしい」で思い出したのは友達Fさんのこと。
Fさんは昔から「過去をなつかしむ」という感覚がないんだそう。というよりもともと感覚がないから「なつかしい」っていうのがどういうことなのかよくわからないんだと言っていた。

ひょえ~~、そうなんだね。
Fさんに「『なつかしい』っていうのはね、そのころのことを思い出すとちょっとせつないんだけどうれしい、っていう感覚だよ」と言ったのだけど、いまいちわかっていない表情だった。昔の何を思い出しても彼女はとくにうれしくはないんだそうだ。

ただ、私にもわからなくなってしまった感覚がある。「さびしい」っていう感覚だ。
昔はね、私はひと一倍さびしがりだったと思う。ところが今は「さびしい」って感じることがない。「さびしい」っていうのがどういう感覚なのかも忘れちゃった。思い出せない。いつからこうなったかもわからない。たぶんこの10年ほどの間の「いつからか」なんだろうけど。

「なつかしい」っていう感覚のわからないFさんは(私より数歳年上)未だにものすごくさびしいんだって。ああっ、わからない。そのさびしいっていう気持ち。

要するに「さびしい」っていうのは自分に「何かが足りていない」「欠けている」って感じてしまうことなんだろうか。もちろん物質的ものではなく精神的なものだろう。

ということは「さびしい」感覚のない私は「足りているのか」?

うん、ちょっと違うな。さびしい気持ちはないけれど、孤独は孤独としてあるんだよね。私にも。
だけど孤独は避けられる、あるいは避けるべきことじゃなくて「孤独は避けられない」「だから孤独でいいんだ」と魂から納得しちゃったんだろうな。いつのころからか。孤独の自然な完全肯定、なのかな。

だから孤独を補う何かを自分の周りに望んだり求めたりしなくなった。
それで「さびしい」っていう感覚がなくなったんじゃなかろうか。

広告展を見たあと、新橋の中華屋さんで早めの夕食を食べ、銀座までブラブラ歩いて、石屋さんを2軒ほどのぞき、甘いものを食べた。



紅芋パフェ。紅芋モンブランの中はバニラアイス。器の半分から上はカステラとラズベリージャム、半分から下はプリンだった。

迷った末、メニューに「毎年シーズンには大人気」と書いてあったこれにして大正解。

本当においしかった! 

幸せ。





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YouTubeにはなつかしいCM集がいっぱい出てるね。は~、なつかしい。