10日の日に九博ボランティア、環境部会の6期生を交えた部会があった。マスクをしたままの自己紹介、耳がとおくなったせいもあるかもしれないが名前がききとれない。コロナ以前でも意識してハッキリ話す人は少ないがマスクのお陰でサッパリ聞こえない。私は5期生で後半の3年間が始まる。6期生の発進式は2年遅れで週末にある。我々はアドバイザー的位置づけでボラ活動が始まる。おたがいの名前と顔をはやく覚えられるように写真名簿を作るための集合写真を撮る。写真趣味の私の担当。6期生の中から誰かに交代してもらいたいと思っているが?この時だけはマスクを外してもらって撮影。
(北斎が炬燵にはいったまま絵を描いている。左は娘のお栄)
ルミックスのコンデジFZ300にはセルフタイマーが10秒後に2秒於いて3回シャッターが切れるようになっているがこれまた目をつぶったりした向いたりする人が必ずでる。交流課のFさんに念のため撮ってもらうことにした。次の研修日の1日に配布予定。コロナが下げ止まりで活動も不確定要素は残しているがとにかく始動。アメリカなど8000万人が感染して99万人がコロナでなくなりいまだ収束していないがMLBなど見ているとマスクは全くしていないで野球を楽しんでいる。日本は観客制限はなくなったようだがベンチの選手はまだマスクをしてる。国民性はおもしろい!
(特別展で撮影可能コーナーの展示されている「日新徐魔図」)
久しぶりに九博までウオーキングをして始まっている特別展「北斎」をみた。エスカレータ前で入場コントロールするくらい盛況。葛飾北斎と言えば富岳36景を描いた浮世絵師くらいの認識だったが晩年には画狂老人と名乗るくらい絵への際立った執念と才能は世界レベルであったようですね。1999年にタイム誌がこの1000年で世界を動かした100人のリストに唯一日本から北斎が86位でランクインしたらしい。
90歳でなくなるまでに30回ほど雅号をかえたり、90回ほど引っ越しをしたらしい。家には食器などほとんどなく店屋物ばかりで着るものも無頓着、金銭感覚もなくただひたすら書き続けたとか。引越も家が汚くなってくる都度引っ越したとかいわれている。火事が多い江戸で火災にあうことがなかったが75歳ではじめて被災、ためおいた絵や資料などすべて焼失、この時ばかりは落胆。以後毎日、獅子たちをあつめた「日新徐魔図」を描き続けた。その連作200枚が九博の保有資産になっており今回大公開、九博でしか見れないのが特別展の売り物になっている。
北斎は終生、絵を探求し続けたようで「神奈川沖浪裏」にしても中国画家に学ぶなどして30年ほど探求した結果が浪裏の爪のような文様に至ったとか、凄いものですね。80歳を過ぎてから長野小布施町岩松院の6m四方にえがかれた天井画、鳳凰図などを依頼され完成させている。まったくもって特別な才能と努力の人だったようだ。酒やたばこは飲まずクワイをよく食べたのが長生きできたとか、いやはやすごい特別展でした。
1Fミュウジアムホールでデジタル北斎と称して20億画素とかの技術で実物大の「八方睨み鳳凰図」を江戸時代の小布施にいるかのように体感できるコーナーもあり、細い線、一本一本が詳細に確認でき非常に興味深い体験でした。
(ウオーキングコース)
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