あっという間に一日の感染者が1万人に近づいてきた。やはりオミクロン株の感染力は強そう。しかしほとんどの人がマスクをしているはずなのにどんな経緯で感染してしまうのか、そのあたりの分析が欲しいがあまりTVででてこない。
「青春」の詩に刺激され、安易をむさぼる怯懦を打ち破る勇猛心をふるって、7日の夕刻、ここ数年行っていなかった太宰府天満宮の除災神事「鬼すべ」の撮影に出かけた。なにせ寒中の中を2時間は耐えねばならない。前行事の「鷽替え」神事とのタイミングもあり場所取りがうまくいかないといい写真が撮れない。
ルイガノの折り畳み自転車に充電式のヘッドライトをつけてリュックにカメラ、三脚をほりこんで18時半過ぎ勇躍出かけたが途中、なんとリュックの右肩紐が切れてしばし補修策考えたがどうしようもない。前ハンドルの安定性が悪いまま19時過ぎ、鬼すべ堂前に到着。正月の500円くじ、小吉だったことを思い出す。21時点火予想でまだ待機人まばら。
用心してトイレをさがしたが九博そばのトイレは閉まっており、本殿前まで移動。手水舎よこのトイレが開いていた。本殿にまいってから元に戻る。20時、鬼すべ堂右手の小高い場所にスタンバイ、人の隙間に三脚を設置。会場案内が両隣余裕をもってなどアナウンスしているができそうもないことを言って責任逃れをしている。しばしウエイティング。足元がしんしんと冷えてくる。
この「鬼すべ」は日本三大火祭りの一つとされていて、事前に説明があった。
・・・「鬼すべ神事」は、寛和2年(986)道真公の曾孫にあたる大宰大弐 菅原輔正(すがわら すけまさ)によって始められたと伝えられています。
当宮の氏子奉仕者およそ300人が鬼を退治する「燻手(すべて)」と鬼を守る「鬼警固」、そして「鬼係」に分かれ、炎の攻防戦が繰り広げられます・・・。
20時半、鬼と警護係が入場、堂を3回まわる。
20時40分、燻手係が入場。
鬼すべ堂前に松葉や藁が積み上げられている。
21時前、松明係が入場。
わらに灯油がまかれた後、御本殿前でお祓いがされる
お祓いされた御神火で火がつけられると、一瞬にして炎と煙が夜空を焦がします。
すかさず「燻手」が大団扇で煙を鬼すべ堂へ送り込み、鬼を追い出そうとします。
それに対し、「鬼警固」は堂の板壁を打ち破り、堂内の煙を外に出して鬼を守ります。
堂内では神職が鬼に向かって煎り豆を投げ、卯杖で鬼をたたき、警護係によって板壁が破られると荒縄で48ヵ所を縛られた鬼は、「鬼係」に囲まれて堂内を七回半、堂外を三回半まわります。堂外でも氏子代表が鬼に煎り豆をなげつけ、杖で打ち、鬼を退治した後、火の祭典「鬼すべ神事」は幕を閉じます。
9時40分、各係が集合,事故がなかったか反省会、その後燃え残った板壁は「火除けのお守り」として参加者に配られ、持ち帰って玄関先にお祀りすると除災のご利益があるとかの風習があります。
冷え切った下半身を叱咤しながら帰路に就く。なんと前照灯、放電。予備のLEDライトを手でもちながら坂道をぜいぜい言いつつ、無事帰還、22時をすぎていました。
9日の日曜日、どうしようかと思っていたが、妻に檄をとばされ、武蔵寺での定例の
写経会に出かける。写経後の為書きにコロナ第六波の早期収束をかきこみ、鬼すべに続き、仏さまにも祈願をした次第。まったく神仏にお願いせざるをえない、政府専門家の場当たり的対応策に疑問を感じる年明けではあります。
今日10日の成人式、取り止めになったり、去年の対象者と一緒にしたり、受験生も含めて人生の思い出ふかいエポックな年になるでしょうね。笑い話で語れるよう良い未来がおとずれることを願うばかりです・・・・
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