去年より20日遅れで、わが家の庭の紅梅が開花、ウオーキングをしてきた妻が「太宰府天満宮の飛梅も開花まであと1週間ばかりよ」と言っていた。地中の氷がとけはじめるという時節、見えぬところで春への蠢動が始まっているのだろう。
そんな時、白い封筒に白い便箋5枚もの手紙が届いた。軽キャン日本一周以来とくに親しくしていただいている親友のKさんからの書簡だった。聡明できらきら輝く彼女からラブレターをもらったような心地。
一昨年から年賀状をやめて、これからも交遊を続けたい人に限って手紙で近況をしたためることにしたとのこと。年賀状がこなかったので海外旅行でもしているのかなと思っていた。
私のブログをみての感想とか、深く研究しておられる聖書に関することとか、いずれにしてもこれからのシニアライフがますます楽しく希望をもつことができるようになったとか、私への檄をこめたうれしい手紙でした。
聖書が66巻もあるとは知りませんでしたがキリスト生誕以前の旧約聖書がもろもろすごい予言にみちており、それがことごとく当たっているとか。宗教への関心が現代人がどれほど抱いてるか定かではないが、暴走する欲望の資本主義の世界で眼先の欲望をみたす煩悩まみれの人間が多いのではないか。
私も両親や近親者の親の死に直面し、わが家の宗派が真宗大谷派(浄土真宗東本願寺派)であることを再認識したりして(今まで浄土真宗西本願寺派と思っていた)天台宗の武蔵寺での写経とか、作家の瀬戸内寂聴や五木寛之氏などの著書に親しむなかから宗教への関心を深めた次第。
今、筑紫野図書館で借りてきた「ブッダと法然」という新書を読んでいる。浄土宗の僧侶であり仏教哲学者の平岡聡と言う人の著書。インドの釈迦族の皇子としてうまれたシッダールタ(お釈迦さん)が29歳の時裕福な生活家族を放棄、出家して6年厳しい修業をしたが人間の苦の原因がわからない、法然も豪族の家に生まれたが若くして両親に死別、比叡山にこもり20数年、万巻の経典を読みつくし修業を重ねたが開眼できなかった。何がきっかけとなり開眼でき、当時の宗教観を180度かえるパラダイムシフトさせるようなことができたのか、なかなか興味深い
知的刺激をあたえていただけるKさんとの交流、これからも元気で続けていけることを願った・・・・
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