目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
ああ 砕け散る宿命の星たちよ
せめて密やかに この身を照せよ
我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ ・・・・・
大阪府出身、アジアの星、天才シンガーソングライター、フォークの旗手、70年代ニューミュージックのリーダー、「昴」で日中をつないだ谷村新司さんが8日、病院で亡くなられた。享年74歳。
現役時代、「昴」は私の所属する部門の応援歌だった。企業の理念のキモが「挑む」であらゆることへチャレンジしてゆくチームにぴったりの曲でカラオケもふくめていろんな場で歌ったものだ。「昴、群青」などあのすばらしい詩をどのように創造したのか、まさに作詞や作曲の天才だね。ほんとうに惜しい才能がなくなったものだ。
私が26歳の1971年に堀内孝雄さんを誘ってアリスを結成、翌年レコードデビューし矢沢透さんをくわえた3人で活動を本格化、まさに我々と同世代の旗手であったわけだ。
1981年には中国北京で異例の本格的ポップスコンサート、当時の鄧小平国家主席ら中国共産党幹部の前で緊張感が支配する雰囲気の中で始まったらしいが、禁じられていた主席の前に近づいて堂々とギターをかき鳴らし主席が笑って手拍子、一気に会場がもりあがったとか、西日本新聞で紹介されていた。その後、日中友好に力をいれ、上海音楽学院で5年間現代音楽を教えたらしい。誠に大したものだ。
最近では「サライ」がヒットした24時間テレビなどあまり見ないのでどんな曲か知らなかった。ユーチューブで検索してみると2015年の国立劇場での谷村新司コンサートが収録されていた。
昼食後、2時間近くたっぷりコンサートを見させていただきました。谷村さんが66歳当時のコンサート、軽妙な語り口で大人の洒落たコンサートと言った感じで、演歌五木ひろしさんのコンサートとは若干雰囲気が違うね。図書館から借りてきたCD、NIHONハレバレがコンサートの中で紹介されていて3曲ほど歌っていた。ジャストタイミングでしたね。終盤、「群青、チャンピオン、昴」そしてアンコールに応えて「サクラサク」そして「サライ」を観衆を交えて歌ってフィナーレ。まさにユーチューブ有難しと言った感じでした。
ところで、あの大陸的な「昴」のメロディがどうして生まれたのか、今も説明できないと生前語っておられたらしいが、三国志を愛読するなど大陸的な感性が谷村さんの脳内に蓄積されていたのかもしれませんね。合掌・・・・
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