先週、先々週と セイレムが痙攣発作を起こすようになった。
発作の原因は脳腫瘍によるものだ。
痙攣し口から泡をふいた。
二度目の発作の翌日、6月21日に仕事帰りにセーちゃんに会いに行った。
最初は座布団やちぐらで横になっていたが、ムクリと起きだしフラフラしながらもゆっくり歩いていた。
それでも眼は完全に失明したわけではないが、ほぼ微かに見え光を感じる程度。
私が会いに行った当日は発作が心配になり病院へ連れて行った日だった。
注射を打ってもらったせいで少しばかりいつもよりは調子が良くなったみたいだった。
それでも、この注射も一時的な効果であって、いつ効果が切れるとも限らない。
6月20日、セイレムのお世話係の兄貴から セイレムの容態がおもわしくないという連絡が入った。
私が行った水曜日にはママさんもセイレムに会いに行き、お外に出たいというセーちゃんに数時間付きっきりで大好きなお外を満喫していた。
それなのに… 何も食べなくなり、グッタリとしているとのこと。
食べなければ体力が持たない
ただでさえ後ろ足の太ももの筋肉がゴッソリと落ちてしまっているのだ。
6月21日、またも兄貴から連絡が入った。
昨日同様 何も食べずぐったりとしているとのこと。
セイレムが気が気でない兄貴は夜通し眠らずセイレムの傍に居た。
セイレムに残された時間がほとんどないということが嫌でも突きつけられた
6月23日。
その日はママさんが朝から6時間ほどセイレムの傍にいた。
最近じゃ兄貴はほとんど眠らず仕事をしつつセイレムに付きっきりだったので、兄嫁さんとママさんと兄貴とで交代で傍に居ることに。
兄嫁さんは『 自分がトイレへ行くのすら心配だ 』と言っていた。
わずかな時間でも誰かが傍にいない時になにかあったら…と皆が心配していたのだ
23日は私も仕事が終わってから セイレム の顔を見るべく寄った。
21日に会った時よりもあきらかに容態は悪化していた。
傍には兄嫁さんが付いていた。
兄貴は寝ずにセイレムに付いていたので仮眠中だった。
ふかふか座布団に横たわり、もう眼が見えていないこともすぐにわかり、手足が冷たくなっていたので血圧が下がってきていることも分った。
数日前に兄貴たちもここらがヤマだと覚悟は決めていた
私はセーちゃんを撫でまわし、マッサージをして手足を温めた。
セイレムに会って20分位した時に異変を感じた。
その様子が
20年近く前、私の目の前で旅立った愛猫『 銀さん 』の死の間際を思い出した
慌てて兄嫁さんに 兄貴を起こしてきて!!!!!!急いで!!!!!!と叫んだ。
兄貴も飛び起きてセイレムを名を呼び、抱え… それからはすぐの出来事だった。
セイレムは大好きだった兄貴に支えられながら パセリ母ちゃんのところへ旅立って逝った。
セーちゃんのお世話係りの兄貴はセイレムをすごく可愛がっていた
人間でいえば80歳くらいだったけれど兄嫁さん曰く セイレムは生涯『 お嬢 』だったと。
それは兄嫁さんもヤキモチをやくほどに…また兄嫁さんもセイレムの面倒をよくみてくれていた。
兄貴が工房に泊まり込んで仕事をして、パセリが居なくなり兄貴とセイレムの二人っきりの時間は増えていった。
セイレムも兄貴を見ると私達に会うよりもあきらかに喜び方が違うのがみて分かったほど二人には絆があった。
野犬に襲われ生死を彷徨い、やっと病魔から解放され、痛みから解放され本当に良く頑張った。
独りで逝かせることなく、大好きだった兄貴に見守られながら旅立てたことが本当に良かった。
それでも兄貴含めて覚悟はしていたものの… 失った悲しみが溢れだした。
私達が泣く横で涙ひとつ見せなかった兄貴だけれど、誰よりも辛く、心にぽっかりと穴が開き、埋められぬ悲しさ寂しさを内に秘めていたのは他ならぬ兄貴なのだ。
発作の原因は脳腫瘍によるものだ。
痙攣し口から泡をふいた。
二度目の発作の翌日、6月21日に仕事帰りにセーちゃんに会いに行った。
最初は座布団やちぐらで横になっていたが、ムクリと起きだしフラフラしながらもゆっくり歩いていた。
それでも眼は完全に失明したわけではないが、ほぼ微かに見え光を感じる程度。
私が会いに行った当日は発作が心配になり病院へ連れて行った日だった。
注射を打ってもらったせいで少しばかりいつもよりは調子が良くなったみたいだった。
それでも、この注射も一時的な効果であって、いつ効果が切れるとも限らない。
6月20日、セイレムのお世話係の兄貴から セイレムの容態がおもわしくないという連絡が入った。
私が行った水曜日にはママさんもセイレムに会いに行き、お外に出たいというセーちゃんに数時間付きっきりで大好きなお外を満喫していた。
それなのに… 何も食べなくなり、グッタリとしているとのこと。
食べなければ体力が持たない
ただでさえ後ろ足の太ももの筋肉がゴッソリと落ちてしまっているのだ。
6月21日、またも兄貴から連絡が入った。
昨日同様 何も食べずぐったりとしているとのこと。
セイレムが気が気でない兄貴は夜通し眠らずセイレムの傍に居た。
セイレムに残された時間がほとんどないということが嫌でも突きつけられた
6月23日。
その日はママさんが朝から6時間ほどセイレムの傍にいた。
最近じゃ兄貴はほとんど眠らず仕事をしつつセイレムに付きっきりだったので、兄嫁さんとママさんと兄貴とで交代で傍に居ることに。
兄嫁さんは『 自分がトイレへ行くのすら心配だ 』と言っていた。
わずかな時間でも誰かが傍にいない時になにかあったら…と皆が心配していたのだ
23日は私も仕事が終わってから セイレム の顔を見るべく寄った。
21日に会った時よりもあきらかに容態は悪化していた。
傍には兄嫁さんが付いていた。
兄貴は寝ずにセイレムに付いていたので仮眠中だった。
ふかふか座布団に横たわり、もう眼が見えていないこともすぐにわかり、手足が冷たくなっていたので血圧が下がってきていることも分った。
数日前に兄貴たちもここらがヤマだと覚悟は決めていた
私はセーちゃんを撫でまわし、マッサージをして手足を温めた。
セイレムに会って20分位した時に異変を感じた。
その様子が
20年近く前、私の目の前で旅立った愛猫『 銀さん 』の死の間際を思い出した
慌てて兄嫁さんに 兄貴を起こしてきて!!!!!!急いで!!!!!!と叫んだ。
兄貴も飛び起きてセイレムを名を呼び、抱え… それからはすぐの出来事だった。
セイレムは大好きだった兄貴に支えられながら パセリ母ちゃんのところへ旅立って逝った。
セーちゃんのお世話係りの兄貴はセイレムをすごく可愛がっていた
人間でいえば80歳くらいだったけれど兄嫁さん曰く セイレムは生涯『 お嬢 』だったと。
それは兄嫁さんもヤキモチをやくほどに…また兄嫁さんもセイレムの面倒をよくみてくれていた。
兄貴が工房に泊まり込んで仕事をして、パセリが居なくなり兄貴とセイレムの二人っきりの時間は増えていった。
セイレムも兄貴を見ると私達に会うよりもあきらかに喜び方が違うのがみて分かったほど二人には絆があった。
野犬に襲われ生死を彷徨い、やっと病魔から解放され、痛みから解放され本当に良く頑張った。
独りで逝かせることなく、大好きだった兄貴に見守られながら旅立てたことが本当に良かった。
それでも兄貴含めて覚悟はしていたものの… 失った悲しみが溢れだした。
私達が泣く横で涙ひとつ見せなかった兄貴だけれど、誰よりも辛く、心にぽっかりと穴が開き、埋められぬ悲しさ寂しさを内に秘めていたのは他ならぬ兄貴なのだ。