春の陽気に誘われるように若芽や花たちがたくさん咲き始めた4月11日 マロンばぁちゃんがジロー兄貴のもとに逝きました。
御年19歳
猫嫌いだったマロンばぁちゃんが唯一大好きだった ジロー兄貴が昨年の初夏に亡くなり、その294日後にママさんが見守る中で苦しまず静かに旅立ちました。
最期の最後までママさんの呼びかけに応えていたそうです。
オイラは事情がありその日はマロンの傍にはいられず、夕方帰って来るまで命がもってくれるだどうか…と思っていたが
オイラは看取れなかったが寂しがり屋のマロンだったので、ママさんが傍に居てくれ『 独りで逝かせなくてよかった 』と心底思った。
ママさんもジロー兄貴の時とは違い、一人で まーちゃんを看取ったので覚悟はしていたが寂しさと悲しさが一気に押し寄せ一人大声をあげて泣いたそうだ。
マロンばぁちゃんはライフ()がいなくなってすぐに腎不全ですでに腎臓の機能がほぼ動いていない事がわかり、 自宅にて 皮下点滴の闘病生活が始まった。
3年半ほど闘病生活を頑張ったんだ
人間でいえば90代という高齢。健康優良児でもこんなにも長生きするのは難しいといえるのに、病気を患いながらも長生きをしてくれた。
もともと マロンばぁちゃんは若かりし頃から小食・偏食であり食べるモノには『 どんなご飯なら食べてくれるのか? 』と苦労した覚えがある。
猫が夢中になるという「 ちゅ~る 」でさえもあまり好んで食べないという「 食の好みにこだわりがある猫 」であった。
4月にはいってすぐパタリと ご飯を食べなくなり、腎不全のために水ばかり・水しか飲まない日々。
小さじ一杯でもいい、食べなくては動けなくなってしまう なにか食をそそるようなモノはないだろうか…
毎日一日 3食『 味を変え・品を変え 』何か一つでも食べられるモノをと試した。
キャットフードやウエットパウチ・猫缶など今は豊富に売られているし、地元では売っていないような品(ご飯)もネットで取り寄せて、どれか一つでも食べてくれるならと必死だった。
それでも身体の調子が良くない・食欲すら起こらず食べる気力もない・身体が栄養を摂ることをやめたのかご飯の入った器を顔に近づけるも嫌そうな顔をしてプイッっと背け何も食べない
この数週間で食べない日が続き、身体も骨が浮き出て皮だけとなり前足の関節も痛みがあるのだろう普通には曲げられず寝ることもままならず
後ろ脚も関節が曲がらなくなり歩く時もロボットのように突っ張った状態で外側から足を開いて一歩を踏み出し歩くのがやっと。
猫特有の顔を洗う仕草をするも前足1本だけでは支えきれず倒れてしまう、指一本でちょっと押しただけでも倒れてしまうほど弱々しくなってしまった。
ほんの数年前までは 庭や近所を駆け回っていた姿を思い出すと…老いというモノに対し抗えないことは分かっているがやりきれない思いもある
毎日心配でたまらなかったけど食べたくなかったら無理に食べなくていい、見たい景色・お気に入りの場所・好きな匂い…存分に今を謳歌してくれたら嬉しいや
それでもオイラとママさんは マロンばぁちゃんには
今日もキレイね~ マロンはおばぁちゃんになってもカワイイね~
毎日毎日欠かさず言い続けてきた
脱水症状を防ぐための 皮下点滴も4月に入り食欲低下とともに随分と嫌がるようになってきた。
( ¯•ω•¯ ) 点滴をせねば死期が早まる… でも嫌な思いをしてまでするべきなのか…
点滴をマロンが嫌がるたびにオイラとママさんは葛藤し相談し合った
マロンには長生きをしてほしいが、老いて痛みを我慢しままならぬ身体を持て余し果たしてそれが正解なのか? オイラたちの失うことへの寂しさからのエゴではないのか?
これは ジロー兄貴の時と同じである。
相談して点滴をやめることにした。
つい先日 動物病院で新しい点滴を4セットも購入したばかりだったけれど ( ¯•ω•¯ ) もう必要がないんだ………
そう考えると、やっと病と痛みから解放され・自由に歩ける走れる動けることが出来て喜ばしいことなのに残された点滴を見ると居なくなったと実感して寂しさが溢れた。
ジロー兄貴とマロンの二匹は別々の場所から同じ時期に 我が家に来て育った。
本当は甘えたいのに愛情表現が不器用な仔で、瞳が黄金色と緑色の 宝石のように綺麗な仔で、若い頃には病気一つしなかった元気な仔で
歳をとるたびに気難しいところも出てきたけど可愛らしくもあり、愛猫のモナやライフを失った時にはオイラを励ますように何も言わずただいつも傍に居てくれた。
いつもオイラやママさんにサイレントニャ~ をしてくれた。
一日一緒にいる時間を設け、兄貴夫婦・甥や姪も 駆け付け皆が別れをした。
4月13日、荼毘に付しました。
火葬場の方に小枝のように細いと思っていた「 お骨 」はとても綺麗でしっかりしている方だと言われました
まーちゃん出逢ってくれてありがとう いつも傍に居てくれてありがとう
我が家のまた一時世代を築き上げた3匹が ジロー兄貴・ マロン・ ライフが 皆旅立った
自分が元気なうちに皆を無事に見送れて安堵もしたが、心の寂しさや「 もう重みを感じることはできないのだ 」という悲しみはいつになっても慣れるものではない。いつも大粒の涙が出る。
先に逝ったジロー兄貴がきっとまーちゃんを待ってる まーちゃんもやっと大好きなジロー兄貴の傍にいけるんだ
楽しい時間を共に過ごすことが出来たことに、ただただ感謝してる。
長い間、一緒に生きてくれてありがとうね 。必ずまた逢おう
御年19歳
猫嫌いだったマロンばぁちゃんが唯一大好きだった ジロー兄貴が昨年の初夏に亡くなり、その294日後にママさんが見守る中で苦しまず静かに旅立ちました。
最期の最後までママさんの呼びかけに応えていたそうです。
オイラは事情がありその日はマロンの傍にはいられず、夕方帰って来るまで命がもってくれるだどうか…と思っていたが
オイラは看取れなかったが寂しがり屋のマロンだったので、ママさんが傍に居てくれ『 独りで逝かせなくてよかった 』と心底思った。
ママさんもジロー兄貴の時とは違い、一人で まーちゃんを看取ったので覚悟はしていたが寂しさと悲しさが一気に押し寄せ一人大声をあげて泣いたそうだ。
マロンばぁちゃんはライフ()がいなくなってすぐに腎不全ですでに腎臓の機能がほぼ動いていない事がわかり、 自宅にて 皮下点滴の闘病生活が始まった。
3年半ほど闘病生活を頑張ったんだ
人間でいえば90代という高齢。健康優良児でもこんなにも長生きするのは難しいといえるのに、病気を患いながらも長生きをしてくれた。
もともと マロンばぁちゃんは若かりし頃から小食・偏食であり食べるモノには『 どんなご飯なら食べてくれるのか? 』と苦労した覚えがある。
猫が夢中になるという「 ちゅ~る 」でさえもあまり好んで食べないという「 食の好みにこだわりがある猫 」であった。
4月にはいってすぐパタリと ご飯を食べなくなり、腎不全のために水ばかり・水しか飲まない日々。
小さじ一杯でもいい、食べなくては動けなくなってしまう なにか食をそそるようなモノはないだろうか…
毎日一日 3食『 味を変え・品を変え 』何か一つでも食べられるモノをと試した。
キャットフードやウエットパウチ・猫缶など今は豊富に売られているし、地元では売っていないような品(ご飯)もネットで取り寄せて、どれか一つでも食べてくれるならと必死だった。
それでも身体の調子が良くない・食欲すら起こらず食べる気力もない・身体が栄養を摂ることをやめたのかご飯の入った器を顔に近づけるも嫌そうな顔をしてプイッっと背け何も食べない
この数週間で食べない日が続き、身体も骨が浮き出て皮だけとなり前足の関節も痛みがあるのだろう普通には曲げられず寝ることもままならず
後ろ脚も関節が曲がらなくなり歩く時もロボットのように突っ張った状態で外側から足を開いて一歩を踏み出し歩くのがやっと。
猫特有の顔を洗う仕草をするも前足1本だけでは支えきれず倒れてしまう、指一本でちょっと押しただけでも倒れてしまうほど弱々しくなってしまった。
ほんの数年前までは 庭や近所を駆け回っていた姿を思い出すと…老いというモノに対し抗えないことは分かっているがやりきれない思いもある
毎日心配でたまらなかったけど食べたくなかったら無理に食べなくていい、見たい景色・お気に入りの場所・好きな匂い…存分に今を謳歌してくれたら嬉しいや
それでもオイラとママさんは マロンばぁちゃんには
今日もキレイね~ マロンはおばぁちゃんになってもカワイイね~
毎日毎日欠かさず言い続けてきた
脱水症状を防ぐための 皮下点滴も4月に入り食欲低下とともに随分と嫌がるようになってきた。
( ¯•ω•¯ ) 点滴をせねば死期が早まる… でも嫌な思いをしてまでするべきなのか…
点滴をマロンが嫌がるたびにオイラとママさんは葛藤し相談し合った
マロンには長生きをしてほしいが、老いて痛みを我慢しままならぬ身体を持て余し果たしてそれが正解なのか? オイラたちの失うことへの寂しさからのエゴではないのか?
これは ジロー兄貴の時と同じである。
相談して点滴をやめることにした。
つい先日 動物病院で新しい点滴を4セットも購入したばかりだったけれど ( ¯•ω•¯ ) もう必要がないんだ………
そう考えると、やっと病と痛みから解放され・自由に歩ける走れる動けることが出来て喜ばしいことなのに残された点滴を見ると居なくなったと実感して寂しさが溢れた。
ジロー兄貴とマロンの二匹は別々の場所から同じ時期に 我が家に来て育った。
本当は甘えたいのに愛情表現が不器用な仔で、瞳が黄金色と緑色の 宝石のように綺麗な仔で、若い頃には病気一つしなかった元気な仔で
歳をとるたびに気難しいところも出てきたけど可愛らしくもあり、愛猫のモナやライフを失った時にはオイラを励ますように何も言わずただいつも傍に居てくれた。
いつもオイラやママさんにサイレントニャ~ をしてくれた。
一日一緒にいる時間を設け、兄貴夫婦・甥や姪も 駆け付け皆が別れをした。
4月13日、荼毘に付しました。
火葬場の方に小枝のように細いと思っていた「 お骨 」はとても綺麗でしっかりしている方だと言われました
まーちゃん出逢ってくれてありがとう いつも傍に居てくれてありがとう
我が家のまた一時世代を築き上げた3匹が ジロー兄貴・ マロン・ ライフが 皆旅立った
自分が元気なうちに皆を無事に見送れて安堵もしたが、心の寂しさや「 もう重みを感じることはできないのだ 」という悲しみはいつになっても慣れるものではない。いつも大粒の涙が出る。
先に逝ったジロー兄貴がきっとまーちゃんを待ってる まーちゃんもやっと大好きなジロー兄貴の傍にいけるんだ
楽しい時間を共に過ごすことが出来たことに、ただただ感謝してる。
長い間、一緒に生きてくれてありがとうね 。必ずまた逢おう