vagabond の 徒然なるままに in ネリヤカナヤ

エメラルドグリーンの海,溢れる太陽の光,緑の森に包まれた奄美大島から,乾いた心を瘉す写真をお届けします。

ダイエーの産業再生機構活用~神戸の落日

2004-10-14 23:18:26 | 日記
 私は,神戸で育った。神戸が生み出したものは多々あるが,戦後産業のうち神戸発の代表格はダイエーであった。第二次大戦で捕虜となった後復員した中内氏が,神戸市三宮に薬局を開店したのがその前身である。その後,「主婦の店ダイエー」を展開し,高度成長とともに,拡大路線を突き進む。その成長と衰退の過程は,かつては元気のあった日本全体の姿,さらに,ダイエー発祥の地,神戸市の盛衰とも重なる。
 神戸市は,ご存知のとおり,六甲山系を切り崩してベッドタウンを開発する一方,開発で出た土砂をベルトコンベアで海へ運び,人工島(ポートアイランド,六甲アイランド)を創造し,港湾施設,商業施設,流通機関等を誘致するといった政策をとった。さらには,ドイツマルクを運用して,人工島の開発等の原資の相当部分を調達した(財テクの走りである。)。70~80年代には「株式会社 神戸市」とも揶揄された。しかし,バブルの崩壊,続いて阪神淡路大震災が追い打ちをかける。この震災を契機に,ミナト神戸の港湾施設は,大阪へと移転してしまい,相当悲惨な状況になっていると聞く。産業は,漸く発展しつつあるものの,観光スポットから少し離れると未だに震災の傷跡の散見される町の姿には痛々しさを感じる。
 この大震災では,幹線道路,ライフラインがズタズタにやられ,市民の生活は経験した人しか分からない悲惨な状況にあったと聞く。そのとき,陣頭指揮をとって,「店から生活必需品を切らさない」との号令の下に,採算を度外視した商品調達を行ったのが,中内功氏である。中内氏の進めた拡大路線の行き過ぎ,価格破壊路線の失敗等,幾多の批判はある。しかし,インフレが急激に進行する高度成長期に「よい物をより安く」とのモットーのもと,「定価販売」の常識の壁を打ち破り,庶民のために尽くした姿勢,そして,大震災という危機的状況でも庶民のニーズを忘れないという有り様には,神戸っ子の心意気を感じる。
 その中内氏が創出したダイエーが,自主再建を放棄し,産業再生機構を活用することになったという。経産省のぐらつき,大手銀行の不甲斐なさ等,腹立たしく感じる部分も多々あるが,ビジネスとして,日本全体として,見た場合,おそらく今年度中にダイエーの再生の目鼻を付けるという選択は正しいのだろうと思う。ただ,神戸のそして日本の繁栄と歩調を合わせ,一時期は売上高5兆円を誇ったダイエーが,税金を使って,食料品のみに特化して,そして恐らく球団も手放して,小さな小さな所帯になって再出発を図るのであろうことは,とても,寂しい。さながら神戸の落日を感じる。
 神戸は,今でも山と海とが手に手をとり,美しく少しエキゾチックな町並みを誇る。レストランも洋菓子店も最高級のものが軒を連ねる。しかし,開港以来の往事の勢いを失ってしまった気がするといえば大げさだろうか。大好きな町はこれからどうなっていくのだろうか。
 ダイエーのニュースを聞き,そんなことを考えた。


頼みの経産省ゆらぎ ダイエー、迷走の裏側 (朝日新聞) - goo ニュース

嵐の夜の映画鑑賞3~博士の異常な愛情

2004-10-12 05:13:02 | 映画
博士の異常な愛情(1964・英・米)

嵐の夜の鑑賞第3作は,鬼才スタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情;または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」。最初に断っておくと,この映画は,ブラックユーモアに満ち溢れた作品で,万人受けするものではないし,それに,特定の時代背景を理解していないと真のメッセージは分からない。そういう特殊な映画であるが,20数年振りに見て,やはり名作だと思った。

ソ連が崩壊し,ベルリンの壁もなくなった今では,「核戦争の危機」といっても,パキスタンのカーン博士のブラックマーケット関与やIAEAの北朝鮮査察問題を思い浮かべる程度で,あまりピンとこないかもしれない。しかし,ゴルバチョフの登場とそれに続くソ連崩壊に至るまで,第二次世界大戦後の世界は,1962年のキューバ危機に代表される米ソ間の核開発競争とそれに伴う核戦争の危機に常に直面していた。危機の度合いを示す指標として「終末時計」(アインシュタインらが考案した,核戦争勃発による地球壊滅までの残り時間を示す時計。午前0時を指した時が核戦争勃発時点)が考案され,国際情勢の変動の都度,時刻の増減も報道されたりしたものである(冷戦時代には2分前にまで迫った。冷戦終了により,17分前まで戻されたが,パキスタンの核実験,同時多発テロ等により,7分前にまで進められた模様。)。

この映画は,キューバ危機の2年後のピリピリした状況で公開された映画である。米空軍の将軍が,突如,ソ連の戦略核基地攻撃命令を出し,水爆を搭載した十数機の爆撃機が爆撃に向かう。これを知った米国大統領は,軍隊の首脳,ドイツから移住した博士(Dr.Strangelove~題名はこの博士の名前の直訳。直訳だが,作品自体を上手く表した名訳だと思う。),在米ソ連大使等を集め,爆撃を阻止するための対策会議を開くが,事前の「綿密な」計画の基に走り始めた爆撃を阻止することは簡単ではない。しかも,爆撃を受けたソ連からの報復も予測され… 核爆弾という人間の知能ではコントロールが不可能ではないかと思われる武器を持ってしまった恐怖,これを扱う人間の悲しいまでの凡庸さ,綿密・完璧な筈の「システム」の脆さ,そして,終末期を迎えても血統にこだわる狂気等を,キューブリックならではのキレの良い映像感覚で描く。ピンクパンサー・シリーズのクルーゾー役のピーター・セラーズが,大統領,英国軍大佐,Dr.Strangeloveの三役を名演している。

米国は,「世界の警察」を自負しているが,その歴史は,常に,果敢なまでのtrial & errorで進んでいる。朝鮮戦争時のマッカーシーによる赤狩り,ベトナム戦争への突入と泥沼化した戦争からの撤退,極端なまでのアファーマティブ・アクション等が象徴的だ。過激なまでの突撃,それに対する「言論の自由」が正常に機能した上での反論。これが至る所で働いている。キューブリックのこの映画も,冷戦時の危機的状況における,核保有による力の均衡(核均衡論)に対する痛烈なまでの皮肉であり,「言論の自由」が正常に働いている証拠でもある。時代全体が不安感を感じていたことの現れでもあると思うが,あの時期に,この手の作品をメジャーリリースできるのは,やはり凄いことだと思う。ストーリーや映像,美術自体も良くできているが,作品の存在自体が時代を象徴していると言う点で,時代を超えて語り継がれる紛れもない名作である。なお,核戦争の恐怖を心理的に描いた作品としては,他に,核爆弾を使用した第3次世界大戦勃発後の世界を描いた渚にて(スタンリー・クレイマー監督,グレゴリー・ペック主演。無線信号が印象的)があり,こちらもお勧めできる名作。

ところで,ソ連の崩壊後も,南北問題,食糧難,カンボジア等での地雷の悲劇,イラク問題等,人類が直面する問題は山積であるが,「映画」という媒体が,これにがっぷり取り組む機会はめっきり少なくなっている気がしていた。そんな中,その手法等に賛否両論があるものの華氏 911が米国で大ヒットした。大統領選にぶつけたことが大きいのだろうが,イラク問題に関して米国民が疑問を抱き始めているのが,最大の要因だと思う。ブレの激しい国を「同盟国」として持ってしまっている日本が,今後,国際社会でどのように立ち回るのかは,大きな問題だが,これも「言論の自由」の一局面なのだろうな,とそんなことを考えている。

【評価】9点(10点満点)

イナムラショウゾウ

2004-10-11 03:28:20 | 味わい
 マティス展,興福寺国宝展とめぐった後,cherry_jam69さんにご紹介頂いた,「パティシエ・イナムラ・ショウゾウ」(台東区上野桜木2-19-8)でケーキを購入。昼食抜きで美術館のハシゴをしてしまったので,今日は沢山食べるぞー(半分冗談です。同居人の人数より若干多めに購入しただけです。)。苺のロールケーキを2個,上野の森のモンブラン,マロンミルフィーユともう一品(名前を忘れてしまった)。
 ロールケーキは,生クリームは軽めで,挟み込まれている苺ジャムは濃厚な味わい。ほのかに子供の頃を想い出させる懐かしい味。ミルフィーユは,生地が香ばしく,マロン味も濃密で,秋らしい一品。特筆すべきは,モンブラン。これは,今まで,食べたことのない食感。まず,上に乗っているマロンクリームが,「こしあん」状で,結構重い。その下に入っているのは,生クリームとカスタードクリームの分離独立した層。こういった構成,私,モンブランでは初めてです。恐らく,好みが分かれるという気がしますが,フルボディの味わいで,「ケーキを食べた!」という感じは十分にします。私自身は,朝から歩き回って疲れていたので,ちょっと重く感じてしまいました。ロールケーキが一番良かったかな。

 いずれにしても,お店は今日も相変わらずの行列で,お買い上げまで20分ほどかかりました。以前から気になっていたお店のケーキをやっと食べられてホント幸せです。上野の森の人気店,美術館巡りの帰りには,また利用させてもらいます。今度は,パウンドケーキにも挑戦しようっと!

カルロ・ドルチと松方コレクション

2004-10-11 02:32:25 | 美術
 TakさんのHPで,カルロ・ドルチという画家の「悲しみの聖母」という作品があると知って,マティス展に引き続いて,西洋美術館の常設展にはじめて行った。「悲しみの聖母」は,Takさんご紹介のとおり素晴らしい作品。ビロード様の濃い青のベールを被り,深く澄んだ悲しげな表情を見せている。神秘的ですらある。今まで,なぜこの作品と出会わなかったのだろう,なぜこの画家の存在を知らなかったのだろうと思った。と同時に,Blogを通じて,こういった作品を知ることができて幸せにも思った。
 同時に,常設展の全容とその設立の経緯を知り,またまた感動してしまった。常設展は,行かれた方はご存知のとおり,ヴァザーリ,ヴェロネーゼ,ティントレットといった17世紀以前のイタリアの画家から,ブリューゲル,ルーベンス,それから,マネ,モネ(10点以上!),クールベ,それからそれから,ピカソ,ルオー,ミロまで網羅している。要するに,それぞれの画家の最良の一品が展示されているかどうかはともかくとして,常設展さえ見れば,美術史が一通り把握できるという優れたラインナップになっているのである。
 そして,これを構成する大半があの松方財閥の関係者 松方幸次郎のコレクション(いわゆる松方コレクション)である(昔,教科書で習った気がするがすっかり忘却の彼方であった。)。松方は,「日本の若者に本物の西洋美術を見せたい」との一心で,破格の大金を投じて欧州で美術品を収集したという。その後,経済恐慌による松方の本業(川崎造船)の不振,第二次世界大戦の勃発等で,収集した美術品が日本に来るのは戦後になるわけだが,この心意気は見上げたものだ。あの時代だからできたというのは簡単だろう。しかし,今の日本に,これだけの心意気を持った実業家が果たしてどれぐらい居るのだろうか。後進の育成を真剣に考え,そして実行した松方の行動に心から敬意を払う。
 松方コレクションと出会えたこと,それは,今日の大きな喜びであった。まだまだ世の中凄いものがありますね。もっと勉強しなくっちゃ!

興福寺の復活に向けて~興福寺国宝展

2004-10-11 00:30:37 | 美術
 今日は,マティス展に引き続き,「興福寺国宝展」を鑑賞した。
 『秋風や 囲いもなしに 興福寺』と正岡子規は詠んだそうだ。
奈良公園に行くと,寺同士がシームレスに繋がっていると強く感じる。
どこまでが寺の所有地で,どこからが公有地なのか不明確なのである。
その象徴が,あちこちに自由に出入りする「鹿」である。よく言えば,敷居が低いのだが,見方によっては,権勢の衰えを感じる。これは京都では感じられない感覚だ。

 それでも,東大寺には,(少なくなったとはいえ)ひっきりなしに修学旅行生等が訪れるので,それほどの衰えは感じない。しかし,興福寺は,奈良公園の中にほとんど埋れかかっているようにさえ思う。
子規が「囲いもなしに」と詠んだのも,幾度もの災に見舞われながらも,その都度復活を遂げてきた興福寺が,子規来訪の当時には凋落しきっていた,そう感じたからではなかろうか。
「古寺巡礼」(和辻哲郎)も繰ってみたが,やはり興福寺は正面からは取り上げられていない。「阿修羅像」「乾漆十大弟子立像」「銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊)」等の素晴らしい仏像を山のように所蔵しているにもかかわらず,である。

 と,前置きが長くなったが,「法相宗」の大本山興福寺は,創建当初(和銅3年(710))の「天平の文化空間」を再構築するため,創建1300年の大きな節目を迎える平成22年(2010)を目途に,中金堂再建(享保2年(1717)に焼失後,仮金堂のまま)をはじめとする境内の整備事業に取り組んでおり,その一環として,興福寺国宝巡回展を計画したとのこと。これは行かねばなるまい。今回の展覧会のコンセプトに合わせて,出品作品は,鎌倉期大復興の折りに制作された仏像が中心となっている。
 治承4年(1180),源平の争乱の中,興福寺は平重衡によって焼き討ちにあい,壊滅的な打撃を被る。そして,康慶,運慶らが文字通り総力を結集して仏像を作り上げた。今回の展覧会では,その諸仏のご尊顔を拝することができ,全てに力が漲っており実に素晴らしい。

 入口のフロアには,曼荼羅図等があるが,これは前座。メインは,3階で,まず,木造無著・世親立像が出迎えてくれる。無着と世親は,4世紀のインドで法相教学を確立した兄弟で,運慶が,表情等を日本風にアレンジし,日本彫刻史上の最高傑作ともいわれる両立像を創造したとのこと。衣文の力強さ,両腕と両袖の作り出す懐の深さが素晴らしい。そして,表情については,兄・無着像(老年期。右側)は,老いた表情の中にも一徹な厳しさを醸し出し,弟・世親像(壮年期。左側)は,覇気と自信・頑固さを見事に映し出している。西洋美術とはまたひと味違った求道者の姿がそこにある。他にも,チケットに使われている龍燈鬼立像(玉眼に注目!)も素晴らしく,仏像のパワーが,そして当時の復興に向けた情熱が満ち満ちている(木造十二神将立像の勢揃いを望むのは高望みというものだろう。)。そんな中でも,注目したのは,木造金剛力士立像の衣の文様。かなり色あせているが,よく見ると,蓮の葉や鳳凰のようなものが見えるが,そのタッチは繊細極まりない。力強さと細部での繊細さのミスマッチに感動した。

 ところで,治承4年の焼き討ちの翌年,平清盛が死に,平氏は衰退の一途を辿っていく。これと逆行するかのように,興福寺の鎌倉期大復興が始まり,今回の出品作をはじめとする大傑作群が生まれるわけである。諸仏を見ながら,今回の2010年に向けての復興作業の成功を祈らずにはいられなかった。

 本Blogを読んで関心を覚えたら,是非,興福寺国宝展に足を運んでみてください。歴史的な経緯と現状を知ると,何かを感じますよ。そして,もし感動したら,是非,奈良へも足を運んでください。秋の奈良,裏寂れた興福寺国宝館で,阿修羅像や千手観音像を見ると,更なる感動間違いありませんよ。

赤,赤,赤!~マティス展を鑑賞して

2004-10-10 21:01:38 | 美術
○ 色彩のダンス マティスの作品は,赤,青,白,黄,黒,緑と様々な色彩(いろ)がダンスをしている。その中でも,最も魅惑的なのは独特の「赤」色である。一言で「赤」といっても,様々な色合いがある。現在,国立西洋美術館で開かれている「マティス展」には,ポンピドゥーセンターをはじめとする世界各地から,多数の名作が集められており,様々な「赤」を堪能できる。「ルーマニアのブラウス」(#66(本展覧会の作品番号))や「夢」(#67)では,神社の鳥居で見られるような鮮やかな朱色,「模様のある背景の装飾的人体」(#62)では,茶色がかった濃密な赤,「白い羽根帽子」(#13)では,ビロードのような芳醇な赤,そして,「青い室内にいる二人の娘」(#21)では,ややくすんだ感じの渋い赤が見られる。
 マティスは,絵で描かれている「物体」を描きたかったのではなくて,「赤」を表現するため,際立たせるために,人物を描いたり,静物を描いたりしているのではないかとさえ思われる。

「大きな赤い室内」
 例えば,「大きな赤い室内」(#104)では,床に,黄色のトラか豹のような毛皮の敷物様のものが2つ描かれている。これが何かは良く分からない。しかし,「赤い室内」を描くには,この2つの物体が不可欠だったのだろう。もしこの場所にこの物体が存在しなかったら,非常にバランスが悪い。また,「赤い室内,青いテーブルの上の静物」(#102。一番上の画像)では,赤い壁に,幾何学様の模様が規則的であるようでありながら不規則に描かれており,訳が分からない!これに加えて,なんと,壁は,窓の外にまではみ出して行っている!!赤という「色彩」が物質の「輪郭」や「形状」を無視して,独自の動きを見せているのである。もの凄い絵である。「形」から描かれていると思ってアプローチすると到底理解不能だが,「色彩」だけを素直に見ると,他の作家では味わえない絶妙な味わいがある。#102では,青のテーブル,緑の草木,オレンジ色の壁掛けと窓といった色彩が溢れる中に,「この色しかない」といった具合に,「赤」の壁と「赤」の果物が描かれるのである。そこへ,雷のように差し込む幾何学模様の黒。素晴らしいバランスである。先に紹介した絵でも,全て,「赤」は,他の色彩との絶対のハーモニーを維持して書き込まれおり,例えば,「青」色が少しくすむと,「赤」もそれにあわせるようにくすむといった具合である。
 …という感じで,今回の展覧会は,色彩のハーモニーを楽しんでみた。こういった楽しみ方を十分にできるだけの良い作品を集め,しかも,うまく配置した,とても良い展覧会であった。

○ 展覧会で感心したこと
 この展覧会で感心したのは,他に2点ある。1つは,映像を効果的に利用している点である。今回の展覧会のテーマは,「変奏(バリエーション)」と「過程(プロセス)」であり,作品創作の過程で,マティスが推敲を重ね,例えば形状を大胆に変更していくといった過程を辿られるように工夫されている。これ自体は,マティスを集めた展覧会では,ときどき採られる手法のようだが(例えば,1996年のコーン・コレクション展での「ピンク・ヌード」等),映像でもそれを体感できるようになっている点に特徴があった。まず,受付を過ぎて,エスカレーターを降りたところでNHK制作のビデオが流されており,これは短時間ながらマティスの制作過程がかいつまんで理解できるようになっており良かった。もう一か所,「白い服を着た若い女,赤い背景」(#19)の脇では,マティスを扱ったドキュメンタリー映画が放映され,この作品を描くマティスの動きが具体的に把握できるようになっている。マティスは,第二次大戦後もしばらく生きていたから,これら映像が残っているのは当たり前といえば当たり前なのだが,作品のすぐ脇で,どのように作品が創造されたのかを生々しく見ることができたのは,とても感慨深かった。
「白い服を着た若い女,赤い背景」
 もう1つは,作品にはめられたガラスと照明のこと。海外から借り受けてきた作品には,ガラスがはめられていることが多く,これに照明が当たって鑑賞が妨げられることが多い。が,今回の展覧会では,ほとんどそのガラスの存在が感じられなかった。ガラスに特殊加工をしているのか,作品と照明の角度に工夫を凝らしているのか分からないが,この点は,他の展覧会でも是非見習って欲しい最低限のところである。

○ その他雑感
 ポンピドゥーから借りてきた作品の額縁はとても貧相。絵を見に行くのだから,額縁はどうでもよいといえばそれまでだが(それがフランス流の合理主義!?それとも美的感覚の違い?),素晴らしい作品には相応の額縁が必要な気がする。
 マティスの鑑賞者は,結構賑やかな気がする。他の展覧会では,皆が息をのんで鑑賞することが多く,そのためヒソヒソ声での会話が却って気に障ったりするのだが,マティスの展覧会では,いつもみんなが普通に会話していて,それがまたマティスの愛好者らしさを感じさせるような気がする。今回の展覧会でも同様に感じた。これもマティスの芸風の反映なのだろうか?(単に,作品が「若い」ので,照明の輝度が高く,普通に会話しやすい雰囲気を醸し出すだけだったりして)
 三連休の中日の午前中に鑑賞したが,展示スペースが比較的広かったためか,余裕のある鑑賞ができた。

○ まとめ
 というわけで,今年は,栄光のオランダ・フランドル絵画展という一点豪華主義の展覧会もあり,これはこれでフェルメールの「画家のアトリエ」に会えただけでも大満足の展覧会だったが,「展覧会」というトータルで見た場合,マティス展は今年の展覧会の中では断トツに素晴らしい展覧会だと感じた。

●12月12日まで 国立西洋美術館

嵐の夜の映画鑑賞2~スパイダーマン

2004-10-10 09:18:02 | 映画
スパイダーマン(2002・米)

嵐の夜の鑑賞第2作は,「スパイダーマン」。「スパイダーマン2」(未鑑賞)の評価が比較的高かったことから,普段はあまり見ないハリウッドアクションものを見ることにした。昔,テレビでアニメ版をよく見たが,当然のことながら,CG版は,格段の迫力とリアリティがある。また,ストーリー的には,単純な勧善懲悪だが,その裏にあるヒーローの『苦悩』が比較的丁寧に描けており,アメコミを映画化したものにしては,そこそこ楽しめる。
 全編を支配するキーワードは,「大いなる力には,大いなる責任が伴う」(このキーワードが,恐らく,Part2以後に繋がっていく。)。
 身につまされる言葉ではあるが,この映画が公開されたのが,2001年の「911」の直後であるということ,その当時のアメリカの状況(世界の警察アメリカがテロリスト=悪の枢軸国を駆逐しなければならないという機運が猛烈に高まっていた),そして現在のイラクでの何が「正義」かほとんど分からなくなっている泥沼の状況等を考えると,少し背筋が寒くなる気もする。
 もっとも,そういったことを考えなければ,ストーリー展開はキビキビして無駄がないし,スパイダーマンを演じるトビー・マグワイアは悩める青年を好演しているし,楽しめる一編ではある。
 ところで,悪役ゴブリンを演じるのは,ウィレム・デフォーであり,見事な悪役振りを演じている(顔自体が,悪役顔という気もする。)。彼をはじめて認識したのは,既に古典の領域に達してしまった感のある「プラトーン」。この映画の中で,彼は,村人たちの虐殺を阻止しようとするエリアスを演じており,それ以来,注目していた。その後も,「ミシシッピー・バーニング」「最後の誘惑」等の上質の作品で好演していたが,最近は,「スピード2」をはじめ,B級アクションものでの悪役振りが目立つような気がするが,気のせいだろうか?

【評価】7点(10点満点)

嵐の夜の映画鑑賞~スクール・オブ・ロック

2004-10-09 22:04:25 | 映画
スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディション(2003年・米=独)

 関東地方は,昨晩から風雨が激しく,今日は一日家に籠もりっきり。というわけで,この24時間で,3本も映画を見てしまった。そのうちの一つが,「スクールオブロック」。嵐の夜はコメディに限る!
 人気上昇中のジャック・ブラックが演じるのは,売れないロック・バンドのリードギタリスト。バンドを首になって食い詰めたあげく,友人に成り済まして名門小学校の代用教員になった彼は,ロックの歴史とスピリットを子供たちに教え始め,お利口さんの子供たちの影響を受けながら,彼らの能力を引き出していく…というお話。
目を血走らせながら真面目にロックンロールスピリットを子供たちに教え込む役どころを怪演するジャックは最高!!全編に70年代のロックの名曲とそのパロディが溢れる。何よりも一番の魅力は,性別も,人種も,そして個性もすべてがバラエティに富んだ子供たちが,自分たちの能力を伸ばしていくところ。
 「おまえ何ができるんだ」「私は,~ならできる」「やってみろ」ってな感じで,どんどん子供たちをその気にさせる展開には,『お約束』的なものも感じながらも,やっぱり感動しちゃいました。特に,太った黒人の女の子が,「私,やっぱり歌いたい」と言い出して,アレサ・フランクリンのエピソードが出てくる場面は大好き。アレサが,カフェの女店主を演じる,あの名作ブルース・ブラザーズを想い出しちゃいました。この作品は,盛りだくさんの笑いもあるんだけれど,子供たちとのやりとりの中でほろりとくる場面があるんですよ。子供たちの「演奏」も見事で,本当に弾いているのかなと思わせるほど。
 反体制・反権力でありながら,自分は負け犬というロックの根本精神を押さえつつ,やっぱり「夢」は諦められないという非常に好感の持てるスタンスのこの映画は,お奨め。ロックを愛する人もそれ程ではない人も絶対に楽しめます(AC/DCはもちろんのこと,ツェッペリンもキッスも,下手をするとデビット・ボウイさえ知らないうちの同居人もかなり楽しんでました。)。

【評価】9点(10点満点)

秋の到来と金木犀

2004-10-08 07:34:40 | 日記
四季の中で一番好きなのは,秋。特に,日々,空気がキリッと引き締まっていくのが感じられる今の時期が大好き。朝は,晴れやかな気分で迎えられ,夜は,静かに虫の声や音楽を聞きながら読書をする。そして,この季節に欠かせないのが金木犀の甘い香り。一年のうちでたった1週間程度しか咲かないが,あの香りが漂ってくると,幸福感に包まれる。今年も,この季節がやってきた。
週末は,天気が崩れそうなので,今だけのお楽しみ。

空の青さを見つめていると...

2004-10-06 21:13:56 | 
ここ数日のどんよりした天気を一掃して,今日は晴天。6時に起床し,少し遠回りして出勤することにして,日比谷公園へ。透き通るような青さだ。久しぶりに空の青さをじっと眺めてしまった。
空の青さを見つめていると 私に帰るところがあるような気がする...(谷川俊太郎)という気分の一日でした。
久々にいい気持ち!

アジアの英雄~イチロー

2004-10-05 08:07:40 | Tigers etc.
米誌「タイム」(アジア版)が選ぶ「アジアの英雄」イチローも選ばれたとのこと。
メジャー年間最多の262安打を放ち,打率372という抜群の成績を残す彼が選ばれるのは,当然と言えば当然だろう。
思えば,彼のバッティングをはじめて生で見たのは,およそ10年前,神戸グリーンスタジアムであった。当時も,野球の「応援」といえば,ラッパやメガフォンで盛大にやるのが定番になっていたが,イチローの打席だけは違っていた。声だけで,「イチロー,イチロー」とゆったりしたリズムで連呼した後,イチローのバッティングを文字通り固唾をのんで見守るのである。走攻守における彼の一挙手一投足,特にバッティングには,神々しさすら感じた。そして,それらを支える日々の鍛錬を思うにつけ,「求道者」や「修行僧」を連想した。野球選手にそのような思いを抱いたのははじめてのことだった。
イチローは,抜群の成績を収めた今シーズンを終えて,何をしたいかと問われ,「一弓(いっきゅう・愛犬の名前)とゆっくり散歩したい」と答えていた。この言葉にも,シーズン中の厳しい鍛錬と自己管理,そして想像を絶するプレッシャーの存在を感じた。
イチローおめでとう!!そして,オフは,ゆっくり羽を伸ばして,これからあと5年,いや10年は,「野球道」を極めて行く姿を見せてください!!!

それにしても,日本人から選ばれた他の2人は,イチローに比べると見劣りするように感じるのは私だけだろうか?人のことはさておき,自分自身も自分なりに「道」を極めていきたい,そんなことを感じた。

最後に,昨日は,我がタイガースの井川くんが,71人目のノーヒットノーランを達成した。消化試合とはいえ,非常にめでたい。来年は是非,優勝争いの最中で,活躍する姿を見たいものだ。

衝動買い~水野晴郎シネマ館

2004-10-02 01:41:20 | 映画
私は,せっかちである。そして,欲しいもの(欲しかったもの)が手に入らなかった時には,大いに落ち込んでしまう。ゆえに,衝動買いも多い(今一つ三段論法になっていない...)。ということで,先ほど,水野晴郎シネマ館(DVD10枚組・2,700円)をゲットしてしまった。数か月前から,巷では話題になっていたようだが,私は知らなかった...
これは,いわゆる食玩である(ジューシーのカバヤ)。著作権が切れた作品を集めてセット販売しているようだが,いずれの作品も水野氏らしいこだわりのあるもので,いずれもそこそこ定評のあるもののようだ。
500円DVDにも驚いたが,このシリーズは,これを遙かに凌駕するもの。
私は,今何かと話題の楽天で買ってしまったが,コンビニ等でも扱っている模様。
手許に届くのが待ち遠しい!

タイトル・バックに魅せられて

2004-10-01 23:59:44 | 映画
 ほとんどの人はご存じないと思うが,"Pen"という雑誌がある。と,若干居丈高な書き出しだが,かくいう私も,実は,今日はじめて書店で出会った。手に取った瞬間,独自のこだわりがあってなかなかいい味を出していると思った。最新号の特集は,「名作がいっぱい 映画のデザイン」。タイトルバック(キャスト,スタッフ等を紹介した部分),ポスター,字幕,ロゴといった普段は,本編の刺身のツマ的な役割しか果たさない脇役たちのために,全力投球したアーティストたちを集めた特集である。
 この特集には,映画に対する強い 愛 を感じた。個人的には,タイトル・バックデザインの名手と言われているモーリス・ビンダーとの出会いが嬉しかった。
 今日まで,「モーリス・ビンダー」という名前は,私の辞書にはなかった。が,あの「シャレード」の洒脱で当時としてはモダンなタイトルバックを作り,なおかつ,007シリーズのタイトルバックも長年手がけた人物と知り,私の脳裏に深く焼き付いた。
 007といえば,シルエットを巧みに使ったタイトルバックは誰でも知っていると思う。私は,英国の水戸黄門といっても過言でないこのシリーズのフリークではないが,あのタイトルバックが流れる前の,前座的なエピソードは大好きだ。あの短時間で,いつもグイッと本編へと引き込む凝縮したストーリーには,マンネリ感はあるものの,いつも感心する。これをグイッと引き締めているのが,あの独特の美的センスを持ったタイトルバックと有名すぎるテーマソング。
 そして,「シャレード」(オードリー・ヘップバーン&ケーリー・グラント)は,マンシーニの甘美な音楽が全編に流れる佳品だが,のっけから作品の中へと引き込むのが,台詞なしに映像だけで「おいおい!」と思わせる冒頭のエピソード。これに続くのが鮮烈な印象を残すタイトルバック,そして,タイトルバック直後にいきなりオードリーが瀕する危機…この展開だけで,もう映画の世界にのめり込んでしまう。タイトルバックを中心とした冒頭部分だけでも,「シャレード」は一見の価値がある,と思う。
 というわけで,007シリーズとシャレードといった素晴らしいタイトルバックを創ったビンダーの存在を知っただけでもPenの最新号には大感謝。他にも,スペイン,チェコ等,普段は目が届かない映画の脇役も盛りだくさんに紹介されている。
 こんな素敵な特集を組む力をもった雑誌の編集者はどんな人なのだろうと,興味深く考えた。しばらく,この雑誌から目が離せそうにない。