vagabond の 徒然なるままに in ネリヤカナヤ

エメラルドグリーンの海,溢れる太陽の光,緑の森に包まれた奄美大島から,乾いた心を瘉す写真をお届けします。

ブリュッヘンの指揮を聴いたことがありますか?

2005-01-29 02:59:42 | 音楽
フランス・ブリュッヘンは,20世紀最大の音楽家の一人だと思う。彼は,リコーダー(そう小学校でみんなが練習したあのリコーダー!)を演奏し,その可能性を無限に広げるとともに,レオンハルト,ビルスマ,アーノンクールらと共に古楽器演奏運動を推進した。私も,ブリュッヘンのリコーダー名曲集を聴いて,一時期,リコーダーの世界にどっぷりはまり込んだものである。

そんなブリュッヘンが「もうリコーダーを握らない」と宣言してから随分経つ。
そして,1981年にオリジナル楽器による18世紀オーケストラを結成して以後は,この楽団を中心に指揮の世界で活躍し,現在はエイジ・オヴ・エンライトメントの首席客演指揮者を務める等している。
彼の指揮による音楽は,繊細,緻密で,響きが美しく,しかも,情熱的である。
私は,カルロス・クライバー亡き後,ブリュッヘンこそが生存する指揮者のうちでは最大の存在ではないかとさえ思っている(因みに,ブリュッヘンが好きな指揮者は,カルロス・クライバーであるとの話もある。)。
古楽器には拒否反応を示す人も多いと思うが,騙されたと思ってブリュッヘン指揮の演奏を是非一度聴いてみて欲しい。
彼の指揮したハイドンは,音楽が純粋で果てしなく響きが美しく,しかも,とても溌剌としている。
シューベルトでも,馥郁とした音楽の中に見え隠れする背筋の凍るような孤独で寂しい眼差しを見事に表現している。
そして,ベートーヴェンの交響曲全集が何よりも素晴らしい。ベートーヴェンの音楽の強固な構成力,実はデリケートな響き,そして最後にはたどり着く栄光を,大いなる熱情を込めて聴かせてくれる。

そのブリュッヘンが,2月の下旬に新日本フィルを振るということを,アルゲリッチの演奏会に行って初めて知った。
彼が日本のオーケストラの指揮台に立つは,初めてのこととのこと。
ブリュッヘンももう70歳。しかもヘビースモーカーのためか年齢以上に老けて見える(実際,5年ほど前に彼の指揮を見たときには,歩き方も相当ヨボヨボしていた。)。
あと何回来日できるか分からないなぁとふと思ってしまった。
ということで,思わず,アルゲリッチの演奏会場で,18日(モーツァルト「パリ」,シューマンの2番等。トリフォニーホール)と25日(シューベルト「未完成」「グレイト」。サントリーホール)のチケットを買ってしまった。
想像以上に老化が進んでいて,指揮もまともにできないかもしれないなあ,なんて思わなくもないが,この機会を逃すときっと後悔するに違いない。
ブリュッヘンが新日本フィルからどんな響きを紡ぎ出すのか,楽しみである。

アルゲリッチ ピアノ協奏曲の夕べ-グルダを楽しく想い出す会-を聴いて

2005-01-28 23:33:20 | 音楽
久々に素晴らしいコンサートを聴き,音楽の力を改めて感じた。昨日,すみだトリフォニーホールにて,アルゲリッチたちの演奏を聴いてのことである。
2000年1月27日に亡くなったフリードリヒ・グルダを偲んで,アルゲリッチ・ファミリーとグルダの息子たちが一堂に会したコンサート。
コンサート当日は,ちょうどグルダの命日であり,そしてモーツァルトの249回目の誕生日にも当たり,聴衆の期待も高まる。

出演は,フランスの気鋭,ルノー・カプソン(Vn)とゴーティエ・カプソン(Vc)の兄弟,フリードリヒ・グルダの息子たちである,パウル・グルダ(Pf)とリコ・グルダ(Pf),そしてマルタ・アルゲリッチ。
オケは,クリスティアン・アルミンク指揮新日本フィルハーモニー交響楽団。

曲目は,次のとおり盛り沢山。
1 モーツァルト 3台のピアノのための協奏曲ヘ長調 K242
2 モーツァルト アダージョホ長調K261とロンドハ長調K373
3 グルダ チェロ協奏曲
4 モーツァルト 交響曲第32番ト長調K318
5 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466
(アンコール)ベートーヴェン トリプル・コンチェルトから第3楽章

曲目1では,パウルの洗練された粒立ちの良いピアノ,アルゲリッチの肉厚の存在感たっぷりのピアノに,リコのピアノが絡む。
三人とも楽しげな演奏で,幸せなひとときが始まる予感。パウルのピアノは,ディスクでは聴いていたが,実演は初めて。
瑞々しい演奏には,父フリードリヒの片鱗を感じた。
これからが楽しみなピアニストの一人である。

曲目2では,ルノー・カプソンのヴァイオリンが楽しめた。
こちらも確かなテクニックと伸びやかな音作りで好感の持てる演奏。
優れた演奏でこんなに沢山のモーツァルトを聴けて幸せな気分。

そして,曲目3が圧巻。
この曲は,クラシック音楽から出発しながら,ジャンルの垣根を超えてジャズの世界でも活躍したフリードリヒが作曲したもの。
編成は20人ほどのこぢんまりしたものだが,その中にドラムス,ギターが加わり,第1楽章は,60年代のロック風のリズムとメロディで始まる。
最初は,いかにもグルダらしいなぁとニヤニヤしながら聴いていたが,チェロが響き始めるや愕然とした。
そのフレーズの激しく,変化に富み,そしてスピード感溢れることと言ったら!
これはコダーイの無伴奏チェロソナタにも匹敵するような難曲だ。
それを若干23歳のゴーティエ・カプソンがグルーブ感溢れる熱演。
アルミンクの伴奏もスゥインギーで素晴らしい。
クラシックコンサート会場の聴衆みんなが,体中でリズムを刻み始めたようにさえ感じた。
オーストリアの大自然を感じさせるような第2楽章を経て,第3楽章のカデンツァも凄い。
ゴーティエの卓越したテクニックと堂々とした引振りには感服。
第4楽章は,懐かしくも哀愁漂うメヌエット。このメロディもたまらなく美しい。
フィナーレは,サーカス風の音楽風のメロディが奏でられる。
ブラスもいい音出している。
ここでも,ゴーティエのチェロは吼えまくり,大きな盛り上がりを見せる。
天才モーツァルトの天衣無縫の数々の楽曲に比べると,フリードリヒのこの曲は,ラフで通俗的な曲だとは思うが,30分間存分に楽しめた。
これだけの曲を,そして,ゴーティエの存在を今まで知らなかったとは!でも,今日は新しい出会いができたのでとっても幸せな気分。
演奏後は,ブラヴォーの嵐。
マイスキーが持っている音楽自体の恰幅の良さは欠ける嫌いがあるが,大器の片鱗を見せるゴーティエの今後の活躍に注目したい。
ちなみに,この曲のディスクは,残念ながら日本では未発売の模様。

曲目4は,10分程度で演奏されるミニ・シンフォニーだが,なかなか優れた演奏。
アルミンクの指揮は,溌剌と,颯爽としており,曲の要所を見事に押さえ,自在に緩急をつけた演奏。
オケも,暖かみのある豊かな響きを聴かせ,モーツァルトの魅力を存分に引き出していた。
はろるど・わーどさんが以前,アルミンクと新日本フィルのマーラー5番を聴いて,「マーラー特有の『うねり』がない」と評されていたが,確かにアルミンクの演奏は,モーツァルトやベートーヴェンのような古典派の演奏において真価を発揮するのかもしれないと思った。
この点は,まだ若いアルミンク(33歳)にとっても,オケにとっても課題なのだろう。
いずれにせよ,アルミンク,ちょっと目が離せない指揮者だと思った。

いよいよ曲目5はアルゲリッチの再登場。
カプソン兄弟もオケに加わりご愛敬。
実は,アルゲリッチのライブは初体験でとても楽しみ。
アルゲリッチは,13歳から一年半にわたりフリードリヒに師事し,その後も,音楽面の悩みや私生活面の悩みについて彼に相談していたらしい。
私は,以前からモーツァルトのニ短調コンチェルトは,グルダとアバドの振るウィーンフィルとが共演したディスクを愛聴している。こちらは,繊細で,音楽は自然に流れ,そしてキラキラとガラス細工が輝くような天上的な美しさの,それでいて胸を締め付けるような演奏。
アルゲリッチが,そんな師匠の演奏とどのような違いを見せるのか楽しみである。
まずは,イントロ,新日本フィルも切々と胸に伝わるなかなかに良い響きを聴かせる。
そして,ピアノの登場。
荒々しい。
が,音楽の「つかみ」が凄い。タッチが強く,音色が太く響く。
そして,アルゲリッチ独特の,(オケを半分無視したかのような)テンポの「揺らぎ」の感覚が心拍数を高める。
こんなニ短調コンチェルトがあったのか!
天国でモーツァルトにそっと寄り添うかのようなフリードリヒの演奏とは180度異なり,モーツァルトの哀しみを全身全霊を込めて振り払うかのような演奏だ。「私がいるから大丈夫よ」と思わせてくれるような演奏なのだ。
アルゲリッチの果てしなく大きな愛に包まれ,無上の感動を覚えた。
これは紛れもない名演である,そう思った。フレーズが重ねられる度,次はどんな音が聞けるのか楽しみであると同時に,少しずつ聴かれる音楽が減っていくことに悲しみを感じるほどであった。
やはり生アルゲリッチは凄かった。

アンコールも贅沢極まりない。
トリプル・コンチェルトは,これまでオイストラフ,ロストロポーヴィチとリヒテルの演奏をディスクでは聴いていたが,それほど大した曲ではないと思っていた。
ところが,この日の演奏は,最高!この曲の良さを再認識した。
アルゲリッチが,これでもかというほどにカプソン兄弟を煽り,それに若い二人が応えるスリリングな演奏。
ゴーティエは,この曲についてはちょっと練習不足だったかな,と思ったが,そんなことはとるに足らないと感じられるぐらい。
一緒に演奏するのが,そして聴衆も含めてこの場所・時間を共有できるのがみんな楽しそうなのである。
パウルがアルゲリッチの「譜めくり」をしていたが,その姿も何だか微笑ましかった。
アルゲリッチが,マイスキー,ルノーと録音した同曲のディスクが欲しくなってしまった。

午後7時から始まって終演は午後10時。
音楽っていいなと,そして,仲間っていいもんだなと,強く感じた3時間であった。

★★★2月20日のNHK芸術劇場で放映されるそうですので,コンサート会場へ足を運べなかった方も,是非共テレビでお楽しみください!ご覧になったら,是非,感想もお聞かせください!!★★★

草間彌生と芸術と英語

2005-01-26 01:20:47 | 英語
私は,あまりテレビは見ません。
が,NHKの「英語でしゃべらナイト」だけは,欠かさず見ています。基本的には英語バラエティで,ふざけたインタビューも多いのですが,毎回のゲストの下積み経験を踏まえた含蓄のある話が好きなのです。
ブロードウェイで「THE WINDS OF GOD」(「神風」。お笑い芸人がタイムスリップして神風特攻隊に巻き込まれるというお話)を上演した今井雅之のインタビューで,楽屋で,従兄弟が特攻隊に攻撃されて亡くなった米国人から,「特攻隊のことは今まで大嫌いだったが,劇を見て同じ人間の悲しみを感じた」と言われたとのエピソードには,思わずホロリと来たりしたものです。

ところで,先日の放送では,(メインゲストではないものの)草間彌生さんが登場。あの偉大な芸術家の草間さんが,ほとんど日本語そのものではないかと思われるぐらい,抑揚がなく,しかも単語を一言一言分かり易く,それでいて伝えたいことが次から次へと溢れてくるといった具合に英語で語られる姿を見て,「嗚呼,この人はこの語学力で,一時はアメリカを席巻したんだ。何を伝えるかが重要なんだ,結局」と,しみじみと感じ入ってしまった(そんな当たり前のことをしみじみ感じるほど,凄い英語でしたよ!)。
また,画廊から画廊へ,絵を売り歩いても買ってくれず,公園の鳩を見るうちに空腹に耐えかねて,鳩が啄むパンを横取りしたとのエピソードには,ジーンと来た。修羅場を耐え凌いでこそ,人間が大きくなるのだと感じました。
番組での草間さんの最後の言葉は,大切なのは"courage(勇気)"。

勇気を持って飛び込んでみようか,新しい世界へ。

アルゲリッチの室内楽ライブ 急遽実施!

2005-01-25 23:59:33 | 音楽
一旦確保したチケットが,女王様の「お風邪」のためにフイになったけれど,メンバーを替えて,急遽30日(日)に実施されることになった。
迷わず購入!
次はいつ聴かれるか分からないものねー
木曜日はコンチェルト,日曜日は室内楽で,アルゲリッチの世界にどっぷり浸かります!!
メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番,大好きなんです。
実は,堀米ゆず子さんのヴァイオリン,初めてなんです。
とっても楽しみにしています。
女王様,今度は心変わりしないでね

老化を防ぐにはローカロリー

2005-01-23 22:27:43 | 日記
駄洒落のようだが,どうもこのような説が有力になりつつあるらしい。ハードディスクに録りだめしたテレビ番組を整理していて,昨年放映されたNHKの老化防止を取り上げた番組を見ていて,初めて知りました。
カロリーを摂取しすぎると,活性酸素が過剰に発生して体内の組織を破壊し,血管等をはじめ老化が進行していくのだそうです。
また,アメリカでの研究では,100歳まで生き延びているひとの多くは,動脈硬化等の疾患の発生が相当遅いとのことです。

聖路加国際病院の日野原重明さんも紹介されていました。
日野原さんは,一日1400キロカロリー程度しか摂取しないそうです。
ある日の食事は,朝食は,リンゴジュース(サラダオイルを混ぜたもの),ニンジンスープ,牛乳,コーヒー(全て液体!),昼食は,牛乳のみ,夕食は,ステーキとサラダというもの。
93歳という年齢だから,これだけで我慢できるのかもしれないけれど,それでも,講演,執筆等で多忙のため,平均睡眠時間5時間で,週に一度は徹夜するというのだから,やっぱり凄い。
日野原さん曰く,「仕事に集中していれば空腹は感じない」とのこと。
いやはや,食べることが楽しみの凡人にはなかなか真似ができそうにありませんが

他に,脳の老化を防ぐには,とにかく脳を使い,前頭前野を鍛えることが大切との紹介もされていました。
98歳の方が,95歳から中国語を学び初めて,現在日常会話程度ならば可能になったとのこと。
この方も,現在自ら開設している脳に障害のある児童のための学園を,将来的には,中国にも開きたいとの夢があるとのことでした。
素敵な生き方ですよね。
将来の夢,改めて見つめ直してみようかと思いました。

異文化交流の成果の再認識~国芳 暁斎 なんでもこいッ展だィ!を見て

2005-01-22 23:15:43 | 美術
まことにふざけたタイトルの展覧会である。が,内容は,ステーションギャラリーで開催されたものとしては,10数年前のバルテュス展に匹敵するのではないかと思えるほど充実した展覧会であった。今回も23日の閉幕を間近にした駆け込みでの鑑賞。

この展覧会では,各分野ごとに,歌川国芳と河鍋暁斎(きょさい)の作品を対比する形で展示されている。
暁斎では,「新富座妖怪引幕」(酒を飲みながら4時間で描き上げたというもの。上の写真参照),「地獄太夫と一休」(サンゴ,「壽」の文字等のお目出度い要素で彩られた地獄絵という,まことにアンビバレントな模様の着物を羽織った地獄太夫の脇で,骸骨がロックンローラーっぽいスタイルで三味線を弾いており,その上で一休が乱舞している!)等,繊細かつ大胆で,しかも少しだけグロテスクな要素もあるという暁斎も魅力満点。

が,今回感心したのは,国芳の日本画の常識を遙かに超越した構図の大胆さとその色遣いである。
まず,最も有名な「宮本武蔵と巨鯨」(上の写真参照)。巨鯨のデフォルメされた形状,画面をはみ出すばかりの鯨の巨大さと余裕の笑みさえ魅せる口元,上下で対照的な波のスパン,そして武蔵の突き刺そうとする剣の角度。圧倒的な構成力を感じる。生命力が溢れ出ている。
そして,「鬼若丸と大緋鯉」で見られる,大緋鯉の尋常ならざる表情と,その動きに併せて弧を描いてうねる水の流れ。何を描きたいかという「つかみ」の凄みを感じる。
さらに,私が今回の展覧会で最も圧倒されたのは,「相州江之嶋の図」と「近江の国の勇婦お兼」。
「相州…」は,湘南江の島を描いたものであるが,今では情緒がありながらも少しふやけた感じを抱かせる江の島とは似ても似つかない。異常に盛り上がった奇怪な形状と毒々しい隈取り,そして,江の島の大きさと比べてとても小さく描かれた人影。国芳は,江の島の姿と存在に心底圧倒されきったのであろうか。この作品同様,「東都かすみが関の図」も,すさまじいデフォルメがされていて,とてつもないローアングルから描かれ,大空の無限の広さを感じさせる作品。
「近江の…」はさらに凄い。お兼が暴れる馬の綱を下駄で踏みつけて取り押さえるというモティーフ自体がぶっ飛んだ作品だが,この大空の果てしなく青い色,そして馬の克明な描写。絵の上手さでは足下にも及ばないが,私はそこにダリの荒ぶる精神と色遣いとを感じた。

国芳は,『苦心して集めた西洋画や絵入新聞などを大切にしていて,訪れる人に見せ,自慢かたがた,自分はこれに倣おうとするがとても及ばないと嘆息したという』(辻惟雄「奇想の系譜」(ちくま学芸文庫)より)。これら並外れた作品は,幕末の不穏な情勢を背景に,国芳の特異なキャラクターと,苦心して集め吸収した異文化のエッセンスとが有機的に合成して出来上がったものだと思う。日本画の中でも,歴史の流れのダイナミズムさえ感じさせる希有な作品群である,と思う。
国芳は,反体制的なハングリーさと諧謔趣味も持ち合せており,多数の風刺画等を残しており,これらも本展覧会で楽しめる。

以下,HPより。
勇壮な武者絵をきっかけに,幕末の浮世絵界で大活躍した浮世絵師,歌川国芳(1797-1861)。国芳は初代歌川豊国(1769-1825)門下にありましたが,北斎に私淑し,勝川派,琳派などに学び(『浮世絵師歌川列伝』中公文庫より),これを糧として自らの作風を確立していきました。武者絵はもちろん,風刺画,美人画,歴史画,風景画と幅広い分野で精力的に活躍し,役者絵や風刺画など,浮世絵に対する幕府からの規制が激しくなるなか,機知に富んだ作品を発表し,庶民の喝采を浴びました。国芳は一門を築きあげ,そこからは芳幾・芳年などの優秀な弟子が育ち,その系脈は水野年方(としかた),鏑木(かぶらき)清方(きよかた),伊東深水(しんすい)と,昭和期まで続きました。
一方,狩野派の号をもち,正統な画歴をもつ河鍋暁斎(1831-1889)は,国芳門に6歳で弟子入りした経験があります(のちに暁斎は『暁斎画談』で楽しげな国芳門の様子を紹介しています)。9歳からは狩野派門に学び,19歳で狩野派の号を得て,その仕事で名をあげました。しかしこれにとどまることなく多彩な分野で活躍したのは,国芳門での経験があったのではと推測されます。暁斎は,内外を問わず絵を研究し,画鬼と称され,活発に制作,その名は明治期前半において,富裕層から庶民まで,抜群の知名度を誇りました。また,日本国内だけでなく海外にも知られ,例えば弟子のなかには近代日本建築界において,強い影響を及ぼしたジョサイア・コンドル(1852-1920)もいました。
本展は両絵師の作品を,1.役者似顔絵,2. 武者絵・風景画,3. 戯画・風刺画・動物画4.画稿類,5. 美人画とテーマといったに分けて比較検討するものです。
それぞれの絵師の特徴を生かし,浮世絵版画を縦3枚につなげる珍しい国芳の版画や,暁斎の横17mに及ぶ妖怪引幕,猫好きで有名な国芳の猫を描く版画や,暁斎の百円という当時の破格の高値で買い手がついた,あの鴉の肉筆画など,盛りだくさんの贅沢な内容になっています。


阪神大震災から10年

2005-01-17 22:42:40 | 日記
10年前の今日,朝7時のNHKニュースをつけて,愕然とした。故郷・神戸の街並みが完全に崩れ去り,所々で火の手も上がっているではないか。神戸への電話も繋がらない。テレビニュースを見ながら,父母の生命はもう絶望的だと感じた…

あれから,10年が経つ。お陰様で,父母は無事だった。被害総額はおよそ10兆円ともいわれるが,震災後の再開発も進み,神戸の町は,少しずつかつての輝きを取り戻しつつあるように思う。人口も,昨年11月にようやく震災前の人口を上回ったという。少しずつ明るいニュースも聞かれるようになってきた。
しかし,被災後に仮設住宅を経て県営住宅等に住処を見出した人たちの高齢化が進み,孤独死等の問題も起きていると聞く。また,ただでさえ不況のために減少傾向にあった貨物船の寄港量も,ポートアイランドの埠頭の崩壊により大阪港等へ寄港地を変更したことに伴い大幅に減少した後,なかなか神戸へ帰って来ないとも聞く。さらに,昨年は,神戸経済の一つの象徴であったダイエーが産業再生機構の手続に入ることが決まるなど,暗いニュースも相次いだ。

人は,時間が経つと色々なことを忘れ去ってしまう。新潟県中越地震,スマトラ沖地震等の参加のことも徐々に記憶の中で色褪せていくだろう。
他方,被災者の方々の心と体の傷には,計り知れないものがあり,時を経てもなかなか瘉されないのも事実だ。
我々にできることは,これらの惨禍があったことを少なくとも心の片隅には止め,募金でも,ボランティアでも,それぞれが実行可能なことを少しずつ実行することなのだろう。そして,気が向けば,その地を訪れること,実はそれがとても役に立つことなのかも知れない。沢山の人出があるとそれだけで賑やかになって気持ちも晴れやかになってくるし,それに,経済的な効果もあるから…
そんなことを10年の節目に考えた。

ザオ・ウーキー展を見て~「魂の浄化」

2005-01-16 23:32:28 | 美術
絵画を見て,心が洗われる思いをした,というと大袈裟だろうか。ブリジストン美術館で開催されていた,「ザオ・ウーキー展」を訪れての感想は,一言で言うと,「魂が浄化された」ということに尽きる。
抽象画はほとんど未体験の分野であったが,とても素晴らしい金曜の夜のひとときを過ごすことができた。このBlogを今読まれている方には大変申し訳ないのですが,本日までの開催だったのです,申し訳ありません...

TAKさん,はろるど・わーどさん,lysanderさんほか多数の人が絶賛していた「ザオ・ウーキー展」を漸く訪れた。
ウーキーの絵の題名の大半は,その作品の製作を終了した日付が用いられている(例えば,上の絵の題名は,「07.06.85」であり,1985年6月7日に完成したということ。)。したがって,その作品をどのように鑑賞するのかは,鑑賞者それぞれの「資質」に委ねられているといっても良いかも知れない。
ということで,若干構えつつ第1展示室へと滑り込む。そこには,「エメラルド・グリーン」という,文字通りキャンバス一面がその色に染められた作品。何と言う色遣いの美しさ!カタログ(2,500円する割りには,色の再現具合があまりよろしくなかった…)や画集では,到底理解できない,深く多彩で微妙な色合いが,目だけでなく,体中に降り注いでくる。木々や鳥を思わせる形状のものが一面に描かれているが,深く考える必要などない。
同じ部屋にある「風」も色彩と象形文字様のもので構成されるが,深くは考えず,作品の奥から流れ来る爽やかな息吹だけをただひたすら感じる。
心と体で作品から湧き出てくる何かを感じればよいのだ,これらの作品を見て,そう決心した。

第2展示室の「屈原に捧ぐ」は深いコバルトブルーが綺麗だ。その中にうっすらと浮かぶ青。そして,「呑み込まれた町」の深く悲しげな青。「無題,1958」の漆黒の闇の中にほのかに輝く残り火のような深い赤。どの作品も,無造作に描かれたように見えながら,巧みに配置された「色」が素晴らしい。
そして,美術館の配慮の中で嬉しかったのが,鑑賞者のために部屋の真ん中にポツンと置かれた鑑賞用の椅子。ここに座り,「夜明け,夜でもなく朝でもなく」とじっくりと向かい合う。大きな画面から,もやのような形が上へ上へと沸き立つ。左には,「無題,1958」の闇の中に静かに輝く赤。さながら原始,カオスの中から,ガイアが生まれるといった,世界の始まりすら感じる。

第3展示室は,墨彩が中心。大空に広がり地上へと今にも降りてきそうな雲を思わせる「無題」。体中が大自然の息吹に包まれたような錯覚に陥る。
と思う間もなく,廊下越しに第4展示室から見える鮮やかな赤色。「25.05.06」である。なんという心憎い配置。そして,地表の裂け目からマグマがゆるりと吹き出す様さえ感じさせる見事な作品。そう,ここから全てが生まれてきたのだと言わんばかりの生命のルーツの輝きである。

第6展示室の,「アンリ・マティスに捧ぐ」(マティスの「コリウールのフランス窓」がモティーフ),第7展示室の,「クロード・モネに捧ぐ」(モネのオランジュリーの「睡蓮」がモティーフ)もそれぞれ,本歌取りでありながら,本歌を凌ぎかねない名作。オランジュリーのモネには,目の衰えとともに忍び寄る死に対する深い悲しみすら感じ,少し暗いトーンが全体を覆っているが,ザオのこの作品には,あのモネの薄桃色の輝き,そしてザオの青とが見事にコラボレートし,手前の黒っぽい木を思わせる物体の静かな落ち着きと相俟って,見事な自然賛歌になっている。
 
今回の展覧会では,ザオという人間の,自然の中から感じた霊感と魂や心の美しさを深く感じた。そして,冒頭で触れたように,鑑賞して「魂が浄化された」ことから考えると,さぞ,ザオという人は,澄み切った美しく高貴な心の持ち主に相違ないと感じた。
ザオは,パウル・クレー,セザンヌらの影響を受けてきたと言われる(第1展示室の作品の色遣いからは,シャガールの影響も感じた)が,彼は,これらの先達を大きく超えたのではないか,その魂の美しさにおいて。そんなことすら感じさせる素晴らしい展覧会であった。

アルゲリッチ&フレンズ(室内楽の夕べ)が中止に

2005-01-14 21:30:20 | 音楽
来週月曜日に予定されていたアルゲリッチのコンサートが中止になってしまった。
アルゲリッチの風邪のため来日が遅れたのが原因とのこと...
残念!
でも,27日のトリフォニーホールでの「グルダを楽しく想い出す会」までには是非来日を!
これも中止になったら怒っちゃうよ

今週は,メチャ仕事が忙しくて,気が付くと久々の投稿でした...

チョン・ミュンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団 マーラー交響曲第3番を聴いて

2005-01-09 22:39:16 | 音楽
昨日は,文京シビックホールで,チョン・ミュンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団のマーラー交響曲第3番を聴いた。
ミュンフンはいつもながらの彼らしい熱い指揮ぶり。オケも,彼の指揮にグイグイと引っ張られ,これが東フィルかと見違えるような,気迫のこもった演奏で,弦楽器の音色も楽章ごと,場面ごとに微妙な色づけがされており,全体としてはなかなか素晴らしい演奏であった。また,第3楽章はポストホルンが大活躍で,こちらも大自然の爽やかさを見事に演じていた。さらに,東京レディースコーラス(「東京オペラシンガーズ」の女声部門で構成された合唱団)のコーラスは,澄み渡りながらも,厚みがあり,しかも均整がとれたもので,私にとって今回の最大の収穫の一つであった。
快晴の休日,マーラーが描いた自然賛歌の名曲を存分に堪能することができた。

と,ここでレビューを終わってもよいのだが,やはり鑑賞中に心の中でウズウズと蠢いたものを書き出さすにはいられないのが,私の性分。
それは,ミュンフンに是非欧米の一流オケの音楽監督等に就任して欲しい,それもできるだけ早く,ということである。

ミュンフンは,1994年にパリ・オペラ座バスティーユの音楽監督を解任されて以降,一流オケとの関係では,「放浪の指揮者」の状態である。
最近のディスコグラフィにも非常に寂しいものがある。特に録音嫌いという風評を聴かないにもかかわらず,である。
私は,1993年に,バスティーユでミュンフン指揮のベルリオーズ「ベンベヌート・チェルリーニ」を聴いたが,マイナーな演目ながら,超名演で,パリの観衆も大興奮し,スタンディングオベーションしかねない勢いであった。そのころは,ミュンフンは,ラトル,サロネンらと並ぶ若手有望株といわれており,私も,大いに期待したものであった。
しかし,バスティーユを解任されて以後,申し訳ないが,「失速」したとしか思えない。
確かに,東フィルは,ミュンフンの下,大成長を遂げていると思う。しかし,昨日の演奏でも,弦楽器の微妙な濁り,管楽器の高音域でのトチり,大音響になったときの楽器同士の音の混ざり(これは多分にホールの音響の悪さも寄与しているとは思うが…)等,例えばN響と比べても相当技術的な課題を抱えている気がする。
ミュンフンが,歴史に名を残す指揮者となるためには,「放浪の指揮者」から早く脱出を図り,欧米でのキャリアをより強固なものとしつつ,できる範囲で東フィルとの蜜月も続けて欲しい。その方が,彼自身のためにも,そして東フィルや多くの日本のファンのためにもなると思うのは,私だけだろうか?
フィラデルフィア管,ロンドン響,シカゴ響etc.どこでもよいから,是非,ポストを得るための活動をしてみては,そう思わずにはいられないのである。

そして,もう一つの注文。それは,得意曲・分野を早く築いて欲しいということ。
名指揮者は,必ず十八番をもっているが,ミュンフンには,まだないような気がする。
昨年5月には1番を,今年1月に3番を,3月には4番を,来年2月には9番を振るなど,ここのことろミュンフンは集中的にマーラーを取り上げているようである。確かに,ミュンフンのドラマティックな音楽作りは,マーラーの交響曲に向いているような気がする。それならばそれで良い。若干の荒削りな部分を感じるその指揮振りに,繊細な部分を鍛錬し,是非,バーンスタイン,テンシュテットの跡を継ぐ,マーラー振りに成長して欲しい。
今のレパートリーと,それぞれの曲の完成度を考えると,まだ指揮者自身がどこを目指すのか決めきっていないような気がするのである。
若手といわれたミュンフンも今年で52歳。60歳までには,例えばマーラー全集を出すことを目標として欲しいものである。

と,批判めいたことを書き連ねたが,ミュンフンに期待すればこその苦言である。是非,今後の活躍を期待するとともに,その指揮振りに近いうちに再度接することを熱望する。
また,かなりの偏見に基づいたレビューなので,批判,反論等,ご意見お待ちしております。
最後に一言。でも,とても興奮し,感動したことは間違いないのですよ。音楽性が高いと思うからこそ,厳しいことも言いたくなるのです...

(注)最近は「ミョンフン」とも表記する模様ですが,昔から「ミュンフン」と呼んできたので,そちらに従いました。「グレゴール・ザムザ」か「グレーゴル・ザムザ」かを思い出してしまいました...

宝くじ当選金の使い道

2005-01-05 20:20:20 | 日記
今日調べてみると,年末ジャンボ宝くじが当選していた。
これまで最下位の賞しか当選したことがなかったのに,はじめての下から3番目の賞の当選です。
使途は...スマトラ沖地震の寄付に充てることにしました。
日ごと明らかになる被害の実態を知るにつけ,いても立ってもいられなくなりまして。
シューマッハーの寄付額に比べると,豆粒のように微々たる額ですが,少しでも役にたてれば思います。

F1=M・シューマッハー、津波被災者に1000万ドルの義援金 (ロイター) - goo ニュース

ニューイヤーコンサート2006はヤンソンス

2005-01-03 01:34:09 | 音楽
ニューイヤーコンサート2006は,ヤンソンスらしい。今年のニューイヤーコンサートは,ボスコフスキーに次ぐ11回目の出演のマゼールが,彼らしい老練なワルツを聴かせてくれた。それはそれで,お約束どおりの演奏で楽しめたが,来年のコンサートは熱血派ヤンソンスと来れば,もう興奮せずにはいられない!
是非,熱血振りはそのままに,独自のコシ,テンポ,リズムとを開拓して,ウイナーワルツに新風を吹き込んで欲しい。
個人的には,クライバーの登場以来の興奮です!

雪の六義園&獅子舞,貫井囃子,猿回し

2005-01-02 22:17:47 | 
大晦日の雪が残っているかもと思い,六義園へ。予想通り少し雪が残っていた。
澄み切った青空の下,見事な風景。
「新春祝い酒」も振る舞ってもらい,最高のお正月気分。
雪吊りも本物の雪と一緒だと映えます。

積もった雪の中,午後の暖かな日差しに囲まれ,幸せな気分。
多分明日も少しは雪が残っていると思います…

もうひとつのお目当ては,民俗芸能。
獅子舞を見るのは久々。
なかなか元気な獅子で,結構楽しめました。
お正月気分が盛り上がります。

目黒流貫井囃子保存会の貫井囃子も,子供たちの愛嬌溢れる踊りで楽しめた。
この「顔」が良いでしょ。
貫井囃子は小金井地方に古くから伝わる民俗芸能らしい。
お囃子もグルーブ感がありなかなか良かった。
こういう芸能を地道に伝えていく人々には頭が下がります。


高尾山で活躍するラッキー君の猿回しも,素人っぽい町田師匠の回し振りで,ハラハラドキドキ(?)楽しめました。
これで入園料300円は安い!
2日,3日は,都立庭園で各種催しものがあるようで,お出かけされてはいかがですか?
明日も天気良さそうですし。

21年ぶりの雪で迎えた新年

2005-01-01 18:43:03 | 日記
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
東京では,21年ぶりに大晦日に雪が振り,銀世界の中で迎える新年です。
昨年は,「災」が立て続けに起こった一年でしたが,この雪がすべての災厄を洗い流してくれれば,と思います。
積もった雪の中,めずらしく静まりかえった東京の街で迎える新年,新たな年を迎えるにあたって,色んな思いも湧き上がって来ました。

マゼールのニューイヤーコンサートが間もなく始まりますね。
それまでの間,クライバーのニューイヤーコンサート(1989年)のCDを聴いています。艶やかでありながら軽妙な響きに酔いしれています。ワインも進みます

上の写真は,雪の中,たわわに実る八朔の実です。最近のお店に出ている八朔はあまり酸っぱくないのですが,天然物の八朔はとっても酸っぱくておいしいんですよね