博士の異常な愛情(1964・英・米) |
嵐の夜の鑑賞第3作は,鬼才スタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情;または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」。最初に断っておくと,この映画は,ブラックユーモアに満ち溢れた作品で,万人受けするものではないし,それに,特定の時代背景を理解していないと真のメッセージは分からない。そういう特殊な映画であるが,20数年振りに見て,やはり名作だと思った。
ソ連が崩壊し,ベルリンの壁もなくなった今では,「核戦争の危機」といっても,パキスタンのカーン博士のブラックマーケット関与やIAEAの北朝鮮査察問題を思い浮かべる程度で,あまりピンとこないかもしれない。しかし,ゴルバチョフの登場とそれに続くソ連崩壊に至るまで,第二次世界大戦後の世界は,1962年のキューバ危機に代表される米ソ間の核開発競争とそれに伴う核戦争の危機に常に直面していた。危機の度合いを示す指標として「終末時計」(アインシュタインらが考案した,核戦争勃発による地球壊滅までの残り時間を示す時計。午前0時を指した時が核戦争勃発時点)が考案され,国際情勢の変動の都度,時刻の増減も報道されたりしたものである(冷戦時代には2分前にまで迫った。冷戦終了により,17分前まで戻されたが,パキスタンの核実験,同時多発テロ等により,7分前にまで進められた模様。)。
この映画は,キューバ危機の2年後のピリピリした状況で公開された映画である。米空軍の将軍が,突如,ソ連の戦略核基地攻撃命令を出し,水爆を搭載した十数機の爆撃機が爆撃に向かう。これを知った米国大統領は,軍隊の首脳,ドイツから移住した博士(Dr.Strangelove~題名はこの博士の名前の直訳。直訳だが,作品自体を上手く表した名訳だと思う。),在米ソ連大使等を集め,爆撃を阻止するための対策会議を開くが,事前の「綿密な」計画の基に走り始めた爆撃を阻止することは簡単ではない。しかも,爆撃を受けたソ連からの報復も予測され… 核爆弾という人間の知能ではコントロールが不可能ではないかと思われる武器を持ってしまった恐怖,これを扱う人間の悲しいまでの凡庸さ,綿密・完璧な筈の「システム」の脆さ,そして,終末期を迎えても血統にこだわる狂気等を,キューブリックならではのキレの良い映像感覚で描く。ピンクパンサー・シリーズのクルーゾー役のピーター・セラーズが,大統領,英国軍大佐,Dr.Strangeloveの三役を名演している。
米国は,「世界の警察」を自負しているが,その歴史は,常に,果敢なまでのtrial & errorで進んでいる。朝鮮戦争時のマッカーシーによる赤狩り,ベトナム戦争への突入と泥沼化した戦争からの撤退,極端なまでのアファーマティブ・アクション等が象徴的だ。過激なまでの突撃,それに対する「言論の自由」が正常に機能した上での反論。これが至る所で働いている。キューブリックのこの映画も,冷戦時の危機的状況における,核保有による力の均衡(核均衡論)に対する痛烈なまでの皮肉であり,「言論の自由」が正常に働いている証拠でもある。時代全体が不安感を感じていたことの現れでもあると思うが,あの時期に,この手の作品をメジャーリリースできるのは,やはり凄いことだと思う。ストーリーや映像,美術自体も良くできているが,作品の存在自体が時代を象徴していると言う点で,時代を超えて語り継がれる紛れもない名作である。なお,核戦争の恐怖を心理的に描いた作品としては,他に,核爆弾を使用した第3次世界大戦勃発後の世界を描いた渚にて(スタンリー・クレイマー監督,グレゴリー・ペック主演。無線信号が印象的)があり,こちらもお勧めできる名作。
ところで,ソ連の崩壊後も,南北問題,食糧難,カンボジア等での地雷の悲劇,イラク問題等,人類が直面する問題は山積であるが,「映画」という媒体が,これにがっぷり取り組む機会はめっきり少なくなっている気がしていた。そんな中,その手法等に賛否両論があるものの華氏 911が米国で大ヒットした。大統領選にぶつけたことが大きいのだろうが,イラク問題に関して米国民が疑問を抱き始めているのが,最大の要因だと思う。ブレの激しい国を「同盟国」として持ってしまっている日本が,今後,国際社会でどのように立ち回るのかは,大きな問題だが,これも「言論の自由」の一局面なのだろうな,とそんなことを考えている。
【評価】9点(10点満点)