2015年9月5日、土曜日。
9月に入って、最初の演奏会です。
8月は、コンクールしか聴いていませんので、ある意味、“耳をリセット”したい。
そう言う意味で最適なのはプロの優れた演奏を聴かせて頂くのがイチバンです。
今回のTKWOの第125回定期演奏会に伺わせて頂いた理由は、そんなところでしょうか?
この日の演奏会は、2010年から毎年、秋に開催されている“ブラスウィーク”の一環のコンサートです。(“ブラスウィーク”とは東京芸術劇場が主宰し、ある特定の時期に固まってプロの演奏家による吹奏楽や管楽アンサンブルの演奏会が開かれる催しです。今年は、この日の演奏会と9月26日の東京吹奏楽団が対象になっているようですね。)
東京芸術劇場という素晴らしい“器”で、日本トップクラスの吹奏楽の演奏を聴けるのは素晴らしいことだと思いますね。
もう何度、訪れたかわからない東京芸術劇場。
それでも毎回、新鮮な気持ちになれますね、素晴らしい演奏を聴くことによって…。
いつものように一階のロビーから長い長いエスカレーターに乗ってたどり着くのは、“コンサートホール”の入口です。
そして、ここからは、まるで現世と隔絶された“夢の世界”。
音楽の魔法が飛び交う素敵な空間です…。
[演奏]東京佼成ウインドオーケストラ Tokyo Kosei Wind Orchestra
[指揮]本名 徹次 Tetsuji Honna
[マリンバ独奏]大茂 絵里子 Eriko Daimo
「ロメオとジュリエット」組曲(セルゲイ・プロコフィエフ/淀 彰 編)
“Romeo and Juliet”Suite/Sergei Prokofiev:arr. Akira Yodo
「モンタギュー家とキャピュレット家」The Montagues and Capulets
「仮面」Masks
「ジュリエットの墓の前のロメオ」Romeo at Juliet’s Grave
「アンティーユ諸島から来た娘たちの踊り」Dance of the Maids from the Antilles
「タイボルトの死」The Death of Tybalt
「中国の不思議な役人」組曲(ベラ・バルトーク/仲田 守 編)
“The Miraculous Mandarin”Suite/Bela Bartok:arr. Mamoru Nakata
【休憩】
マリンバとウィンド・アンサンブルのための
「ラウダ・コンチェルタータ」(伊福部 昭/和田 薫 編)
“Lauda Concertata”for Marimba and Wind Ensemble/Akira Ifukube:arr. Kaoru Wada
エローラ交響曲(芥川 也寸志/和田 薫 編)
Ellora Symphony/Yasushi Akutagawa:arr. Kaoru Wada
今回のプログラムはシブいです。
前半のプロコフィエフ「ロメオとジュリエット」、バルトーク「中国の不思議な役人」は、吹奏楽でも頻繁に演奏される曲ですが、プロの吹奏楽団がほぼコンクールに出場できる人数(多分、60人くらいで演奏してました)でどのような迫力を持って演奏して頂けるのかというところに興味津々です。
また、後半は吹奏楽では聴けない曲ばかりです。
日本の生んだ偉大な作曲家、伊福部昭、芥川也寸志両先生のプログラムは、プロの吹奏楽団の演奏会ならではのことであり、非常に貴重ですね。
今回の演奏会の指揮者は、ベトナム国立交響楽団の音楽監督である本名徹次氏。
さまざまな受賞歴や国内外の多くのオーケストラとの共演は、敢えてここには記しませんが吹奏楽と言うジャンルでどのような演奏を作り上げて下さるのか、楽しみですね。
同時に本名先生は、現代音楽の指揮に意欲的であるとか。
そのレパートリーは日本人作曲家にまで及び、そう言った意味でこの日の伊福部、芥川作品の演奏は注目すべきところでありました。
そして、伊福部先生の作品でマリンバのソリストとして登場した大茂絵里子氏。
まだ、30代前半という若さながら、凄まじい活躍ぶりです。
ベルギー国際マリンバコンクール優勝などの多くの国際コンクールでの最高位賞の受賞歴を持ち、現在は、ニューヨークを拠点として世界を舞台に演奏者として、指導者として活躍されている方です。
今回は、伊福部先生という民族音楽的な領域を持つ作曲家との“邂逅”にどのような“化学変化”を起こして下さるのか…。
いろんな意味で興味深い演奏会です。
突然ですが、ここでエピソードをひとつ。
私は、この日の座席は3階席でした。
コンサートホールのエントランスのところで芸劇の係員の方に「3階席のお客様はエレベーターをご利用下さい」と案内されました。
そこで、エレベーターの前へ。
しばし待っておりますと上階からエレベーターが到着。
扉が開いた瞬間、エレベーターの中から出てきたのが、大井剛史氏。(だと、思います。間違っていたらゴメンナサイ。)
言わずと知れたTKWOの正指揮者です。
私は、大井先生の指揮される時のTKWOの演奏がとても好きなので、とても感激致しました。(一瞬の出来事でしたが…。)
ご自分の出番でない時も会場にはいらっしゃるのでしょうか?
演奏会が始まりました。
まずは、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」。
吹奏楽では、1980年代、90年代を中心によく流行った曲です。
データベースで調べてみました。
吹奏楽コンクール全国大会に限ってみますと自由曲として演奏されたのが37回。
賞の内訳は、金賞13、銀賞12、銅賞12と、ほぼ均等な結果です。
逆に考えてみますと自力のあるバンドが演奏すれば、好成績を獲得しやすい曲と言えるのではないでしょうか?(ちなみに部門別の内訳は、中学11、高校16、大学6、職場一般4)
TKWOの演奏は、さすがにプロだけあって、月並な言い方ですが素晴らしいものでした。
当然、オーケストラが原曲ですので比較してしまうのですが、何か“管弦楽”とは違う、新しいジャンルの音楽のような新鮮さを感じる演奏でした。
空間的な広がりを感じますね。
続いては、これもコンクール自由曲の大人気、「中国の不思議な役人」。
先程と同じようにコンクール全国大会で比較してみます。
演奏した団体が45、そのうち金賞を獲得したのが22団体。
比較的“金賞”を取りやすい曲のようです。
でもね、個人的にこの曲がコンクールの場で演奏されることに違和感があります。
確かに重厚感がありながらも華麗なるオーケストレーションは、聴く者を引き込む素晴らしいし、カッコイイ。
ですが、ザックリと言ってしまえば、この曲、「売春宿」の話です。
しかも「強盗」や「殺人」とかも絡んでくる。
作曲された当時も内容が“非道徳的”ということで、物議を醸し、上演中止になったりしている曲なのです。
それを大学、職場一般の皆さんが演奏するならまだしも、中学生や高校生がするのは如何なものか?
何もそんなに堅苦しく考えなくてもとおっしゃる方もいるかも知れませんが、これには理由がある。
私の若い頃と違って、今の中高生の皆さんの演奏技術の進歩には驚くべきものがあります。
単純に正確に演奏が出来るという領域を越えて、“表現力”を競う次元に入っているのです。(そうじゃないと今は、コンクールで“戦えない”?)
そうなると、曲に踏み込んでいく必要性が否が応でも高くなる。
楽曲の作曲された背景だとか、標題音楽だったら、それを理解し表現しなければならない…。
他面、教育的見地から勘案すると果たして「売春宿の話」は適切なのかどうか?
そう思ってしまう“浦和のオヤジ”でした…。
蛇足ながら実際、生演奏、CD等、この曲の多くの演奏を聴かせて頂きました。
しかし、高校では“上手な”演奏は、たくさんありましたが、“スゴい”演奏に出会ったことがないのも事実です。
高校生による「役人」の演奏には“限界”があるんですよ、きっと。
オペラやバレエ音楽が得意な市立習志野や埼玉栄がこの曲を自由曲として選んでいないのが何よりの証拠では?
この2校は、知っているんですね、完璧な演奏が出来ないって。
わかっているんです…。
どう考えたって、昨年のアンサンブルリベルテの「役人」のような色気のある音は出せませんもの、高校生には。
余計なことを長々と書いてしまいました…。
申し訳ありません。(謝るんだったたら書くなって話ですよね…。)
曲の題材は非道徳的なものではありますが、さすがプロ、TKWOは、恐ろしく“色気”あり。
“色気”ムンムンの演奏でした。
“淫靡”(笑)な世界を見事に表現していました!
この演奏こそが、“The Miraculous Mandarin”という曲の“本質”なのだと感じさせられた次第。
休憩の後は、最初に紹介したとおり、邦人作品2曲。
どちらも、元々はオーケストラ曲であるのですが、吹奏楽に編曲したのは作曲家の和田薫氏。(今回の演奏会のプログラムに伊福部、芥川両先生のステキな“思い出”を寄稿されておられます。)
まず、最初は伊福部先生の作品。
編曲された和田先生は東京音大で伊福部先生の“弟子”でありました。
その関係で若干23歳の時にこの「ラウダ・コンチェルタータ」を伊福部先生指導のもと、吹奏楽版に編曲をされたのだそうです。
この曲は、1976年に木琴独奏者の平岡養一氏のために作曲されましたが、なかなか演奏の機会にめぐまれず、結局はマリンバ独奏として書き直し、1979年に新生日本交響楽団10周年記念曲として日の目を見たとのこと。(初演は、安倍圭子独奏、山田一雄指揮)
プログラムの『曲目解説』によると「ラウダ・コンチェルタータ」とはイタリア語で『協奏的頌歌』という意味で『祈りと蛮性との共存を通じて、始原的な人間性の喚起を試みたもの』なのだそうです。
私のような素人には、よく理解はできませんが、何となく“土俗性”にあふれた曲なんだろうなということは、想像できます…。
伊福部先生と言えばゴジラの音楽でも、わかるようにアイヌの音楽や民族的な雰囲気のする曲を作られている印象があります。
また、「オスティナート」、すなわち、“執拗な反復”は先生の作品では重要な意味を持つのです。
そして、この曲も伊福部先生の魅力を網羅した、とてもステキな曲でした。
どこかエキゾチックな感じもするのですが、私は個人的に雅楽っぽいフレーズもあったような気がしました。
だから、躍動的な曲の中にも日本人の本来感じる“懐かしさ”のようなものが見え隠れしていて共感できる音楽に聴こえました。
それにしても、大茂絵里子氏の演奏は素晴らしかった。
技術はもちろん、表現力に脱帽。
エネルギッシュな演奏は聴く者の心を支配し、音楽の世界の中に埋没させてくれましたね。
特に曲の最後の方の短いフレーズの“執拗な繰り返し”は見事でした!
ブラヴォーです!
最後の曲は、芥川也寸志先生の「エローラ交響曲」。
今年は、芥川先生の生誕90周年にあたるのだそうです。
私が20代くらいの頃、“N響アワー”の司会をなさっておられましたね。
あの端正な顔立ちで柔和な笑みを浮かべられていたお姿が強く印象に残っています…。
平成元年、63歳で亡くなられたのは、音楽界にとって大きな損失であった事でしょう。
90歳の方もめずらしい存在ではなくなった昨今のことを考えますと、存命でいらっしゃったら、どんなに素晴らしい楽曲を作られたかと思うと残念でなりません。
この曲名の中にある「エローラ」とは、インドの「エローラ石窟群」のことです。
仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教などの34ヶ所からなる石窟寺院がある壮大な風景は、1956年に訪れた芥川先生に大きな衝撃を与え、この曲が出来たとのこと。
何でも、この曲は、「マイナス空間論」という高尚な理論によって構築されているらしい。(私には難しくてわからない…。)
1958年のNHK交響楽団初演時(指揮は岩城宏之)は短い20の楽章で構成されていたそうですが、後に8、14、15、16番目の楽章が削除され、3番目と4番目の楽章がひとまとめになったので、現在では全15楽章として定着しているようです。
この日の演奏を聴いて思ったこと。
とにかく、スケール感がスゴカッタ。
“迫力”なんて表現で片づけられるものではなかった。
空間的な広がりを持つというか、東京芸術劇場コンサートホールという物理的な器を越えた響きを感じたような気がします。
“珠玉”の演奏でした!
(蛇足ながら、今回の演奏会のプログラムに芥川先生の奥様が“ご挨拶”を寄稿されておりました…。)
吹奏楽の素晴らしさを再認識できた演奏会でした。
もともとは、管弦楽曲であるものを“吹奏楽と言う手法”を使って、新しいもの、別のものに見事に作り上げていると言う事です。(今年の3月に聴かせて頂いた“芸劇ウインドオーケストラ”の演奏会で指揮の井上道義先生がおっしゃっていたことを完璧に“具現化”していました!)
技術はもとより、優れた演奏は独自の世界を生み出せるのだと感じ入った次第。
また、こんな豊かな時間を作って頂いた本名先生、大茂氏、そして、TKWOの皆さんに感謝!
浮世の心の汚れを洗い落としたが如く、すがすがしい気持ちになって埼京線の車中の人となった“浦和のオヤジ”でした…。(素晴らしい演奏会だったので、思わず、トートバッグを“オヤジなのに”買ってしまいました…。)
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