goo blog サービス終了のお知らせ 

宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

スケートコーチの本

2015年03月11日 | 
今行動したり考えたりしていることと、文章に書こうとしていることの間にタイムラグがあるので、記憶が薄くなってしまって困るのだが。

年始から2月の間に、フィギュアスケートのコーチが著者である本を3冊読んだ。
(「著者」というか、正確には、彼らから「聞き書き」した本というべきか)

『チーム・ブライアン』(ブライアン・オーサー)
『素直な心が才能を伸ばす! だれでも結果は出せる』(山田満知子)
『君なら翔べる! 世界を魅了するトップスケーターたちの素顔』(佐藤信夫、佐藤久美子)

『チーム・ブライアン』は新刊を購入、後ニ者は今年になって借りるようになった図書館で。

『チーム・ブライアン』では、ソチオリンピックの男子シングルにおいて「マジカル・モーメント」がなかったことを、オーサー氏がとても残念がっていることに、深く共感。
あと、オーサー氏は家族の愛に恵まれていて、いい人だなというのが印象。
読んだ当時は、フェルナンデス君の愛すべき人柄の描写にもほほえましく思ったのだった。
(今は、のほほんとしてないでもちっとシャキッとしろと思ったりしているなぜだか(^^;)

山田満知子コーチって、伊藤みどりさんのころは、選手との関係は「お母さん」だったと思うけど、今は「おばあちゃん」というかそれ以上? そんなふうにはみえないが。
宇野昌磨くんが注目の今、山田コーチってほんとに「持ってる」人だなーと思う。
というか本にもあったが、子供の習い事のコーチがほんとに天職で、環境も理想的なのだろうなー。
教え子たちとの集合写真は壮観であった。まさにゴッドマザー。
そして、山田コーチの旦那さんは影の功労者ですな。

佐藤信夫コーチについて Wikipedia を見たら、全部が『君なら翔べる!』からの引用だった(^^;
フジテレビの早々に終わってしまった番組『ワンダフルライフ』でしたっけ、信夫コーチの回を見逃してしまったことをいまだに後悔している私としては、この本はたいそう面白かった。
(この機会に検索したら、現役時代の演技ビデオだけ You Tube で観られた。司会にちょっとイラついたので番組自体は観なくてよかったか(^^;)
日本のフィギュアスケートの歴史のあれこれが、とても興味深かった。
そして、なんか今はフィギュア=スター選手の魅力でもっているような錯覚があるけど、やっぱりあの、氷の上をブレードで滑ることそのものが、人の心を捉えるのだなーと、あらためて嬉しくなった。
そもそも佐藤ご夫妻がもともと関西ご出身というのも知らなかった。
関西大学ってそんな昔からスケート部の伝統があったのね。
娘の佐藤有香さんが英才教育じゃなくて小さい頃はほったらかしだったというのも驚いた。
この本はトリノオリンピックに合わせて発行されたのだと思うけれど、それから更に10年、大変なコーチ業を続けておられるのですね…
(去年の全日本、小塚選手の演技後のお二人の姿は記憶に残るなー)

本を読んで伊藤みどりさんと佐藤有香さんの演技をあらためて You Tube で観たのだけれど、演技はもちろん素晴らしいけど、二人ともなんてキュートでかわいいんでしょう。若さの輝きというものでしょうか。
特に有香さんはその後の辛口解説やコーチとしてのアルカイックスマイルの印象があるので、本の中のかわいいエピソードとともに意外な感じがあるんだけれど、人に歴史あり、ってことですね。

振り返れば、私が行っていた大学にもアイススケート部があったのだが、なんといっても伊藤みどりさん全盛時代、大学から新しく始めるものとはとても思えなかった…

作詞の秘密

2013年10月06日 | 
図書館で見かけ『安井かずみがいた時代』(島崎今日子 集英社)を読む。
「あとがき」を読むと、私は著者に執筆を勧めた編集者と同年代みたいだけれど、安井かずみ・加藤和彦夫妻には特に思い入れも記憶もない。加藤和彦氏はサディスティック・ミカ・バンド関連で、ちょっと名前を知ったくらい?
ともあれ、すごくおもしろかった。

私がもう少し早く生まれていたらエッセイとか読み漁ってたかもしれないけど、懐かし歌謡曲の作詞者という以上の印象はまったくなかったので、他に「安井かずみ」関連で思い出して引っ張り出したものはごくわずかだった。
ひとつは『同級生交歓』(文春新書)の1ページ。
フェリス女学院中等部の同級生として女優の藤村志保さんとともに出ている。
紹介文は安井かずみさんが書いているのだけど、フェリスの雰囲気とか結婚願望のこととか書かれていて興味深い。
そういえば『安井かずみがいた時代』では、「人間死ぬ前にはやっぱり宗教が支えになるのかなぁ」というのも意外な感想のひとつだった。(安井さん入院後に夫妻一緒にキリスト教に入信している)

で、もうひとつは矢野顕子さんのピアノ弾き語りカバーアルバムに入っている『ニューヨーク・コンフィデンシャル』(詞 安井かずみ 曲 加藤和彦 加藤氏のアルバムの中の一曲)
うーん、これは、『安井かずみがいた時代』を読んだ後だと、いろいろリアルに感じられて、辛い曲だ・・・
で、こういう歌詞をよく夫に歌わせるなぁ・・・
で、矢野さんが他の曲ではなくこれをカバーしたのも、ただ New York だからってだけじゃないんだろうなぁ・・・
もちろん、現実の心情どうこうを昇華したすばらしい曲だと思うけれども。

私は年齢的にはもう十分に大人なのだけれども、こういう方向性の「大人」にはまったく不慣れでドキドキしてしまう。人間的には未熟だなと思い知らされる。ま、しょーがないですが。



いいわけ/文庫本3冊

2013年01月19日 | 
近頃、自分の態度が尊大なのではないかと気になっている。
最近ブログに書いた文章を読み返しても、なんだかエラソーな感じがして気になるのだが、どうしていいのか分からない。気にして時々「だ。である。」文体から逸脱してお茶目(?)になっているのが、かえって痛々しいような・・・
でも、気にしだすと何も書けなくなってしまうので、まぁそういう時期もあったという記録を残すことに価値を見出すことにして、また書いてみる。

昨日『The Girl of Integrity』の一節をモットーにしようかななんて書いてしまったけれど、未聴の方にはなんとなく誤解が生じそうだし、お聴きになっている方には「何言ってんの?」と思われそうで気になっている。
なんとなく、楽曲のもつあのインパクト、カッコよさを歪曲しているような気がして・・・
「歌詞に励まされる」とかそういうのとは対極にある(と思う)楽曲なんですがー
しかしながら歌詞のほうも、究極的にカッコいいと思ってもいるので(タイトルのintegrityという英単語からしてすごくないですか)、あえて書いてみたのであった。

----------
読み終わった文庫本
『小さいおうち』(中島京子 文春文庫)
列車内で読むものがなくなって急遽狭い本屋の少ない選択肢からたまたま選んだのだった。
豊崎由美さんが書評で褒めていたのが、なにか意外なような気がして覚えていたのだが。
たしかにこれはおもしろかった! こういうのが書けるのって作者としても嬉しいだろうな。
山田洋次監督で映画化されるそうで、どうなるのか楽しみ。

『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史 だいわ文庫)
この本を真に必要としていた若い頃のことを思い出して心がヒリヒリしたり、そこからどういう経緯をたどって今現在はニセモノの孤独に苦しまなくなったんだったかなと振り返ったりしてみた。
そして今ちゃんと孤独に向き合えているかなと思ったり。
孤独でも寂しくならないものだから、周囲に「おみやげ」渡してないなと思ったり。

『生きていてもいいかしら日記』(北大路公子 PHP文芸文庫)
今かなり前向きモードでいるのに、自堕落高齢独身女のエッセイってどうかしらと思わないでもなかったんだけどなんとなく気が向いて買ってみた。
おもしろいよ! なんだろう。やっぱり才能というものかしら 類似女性エッセイとは一線を画している、と思う。軽く嫉妬すらしたりして
で、文庫の帯に女優の長澤まさみさんがお薦めしてて「彼女はそっちの方向にいくのかな・・・まだ若いんだし結論を出すのは早いだろうに」と(ちょっと分かりづらいですが^^;恋愛小説とかじゃなくてこの本ってところが)思ったんだけど、ちょっと検索してみると、同じく女優の栄倉奈々さんもお薦めしている!
へー・・・とかなりびっくりしたんだけど、そういえば、私事ですが、私が中野翠さんの本を読んで「!」と思ったのって24歳頃だったなぁー
上記の女優さん達も、そういうお年頃なのかなー・・・なんて
どういうお年頃なのか書き出そうとすると、ものすごく考えてしまうので、一旦これにて。

去年と年初に読んだ本いくつか

2013年01月12日 | 
2013年が明けましてはや11日が過ぎました。
本日は新月で、目標を立てるにはよい日だそうですよ。

本年の目標のひとつとして「読書量を増やす」がある。
かつて私が「読書量を増やす」という言葉を使う裏には、あわよくば「教養を身につけたい」「知的に見られたい」等の功利主義的な思惑がひっついていた。
今もまぁ、そういう思惑がなくもないのだけれど、もっと単純に、本(活字)とともに楽しい時間を過ごしている人がまぶしくみえる今日このごろ。

--------
年末に図書館で『とにかくうちに帰ります』(津村記久子/新潮社)を借りた。
津村さんは芥川賞を取った『ポトスライムの舟』で知って、それから何冊か読んでいる。
(文学系は大体図書館にあるので、自分でお金を出していないのだが^^;)
世の中何が普通なのか分からないけれど、まぁ普通の人の普通の描写がうまいなーと思う。
『とにかくうちに帰ります』は3作入っていて、表題作と『職場の作法』もおもしろかったんだけれど、びっくりしたのが『バリローチェのフアン・カルロス・モリーナ』だ。
フアン・カルロス・モリーナはアルゼンチンのフィギュアスケート選手の名前である。
えっ誰!? トリノオリンピックくらいからの人? この世界選手権は一体何年のこと?
たしかに本場の人こそピアソラを踊りたいよねー
You Tube で演技は見られるのかしらー
と、誘惑耐え難く、読んでいる途中でインターネット検索。
結果、いやぁ、津村さん、すごいです。

---------
去年読んで「こんなにおもしろかったのか!」とびっくりしたのが丸谷才一氏の『たった一人の反乱』である。
エッセイや日本語論は読んでいたけれど小説は読んでいなかったのだ。
追悼のような気持で、図書館にあった講談社文芸文庫を読んでみたのだった。
さすが村上春樹をデビューから推していただけのことはある(というのが、私の丸谷氏に対する浅い認識のひとつ・・・)、とにかく読みやすくおもしろくちっとも古臭くない。
他のも読みたい!と探してみたのだが、図書館に単行本は並んでおらず(正確には一冊あったのだが分厚くて持ち歩けず期限内に読み通せなかった)、文庫も売ってない。
えっなぜどうして?? 他年ならともかく、昨年は追悼コーナーができてしかるべきだろう。
と憤っていたら、個人全集がでるみたいですね。なるほど。
でも私は持ち運びやすく寝転がって気軽に読める文庫本を待望しているのである。

---------
ネットで話題になっていた『困ってるひと』(大野更紗 ポプラ社)は文庫になっていたので、去年秋に買って読んだ。
噂どおり、というかやっぱり読んでよかった!と思った。
いちおう今自分が福祉のはじっこに関わっていることもあって、そういう面でいろいろ考えさせられた。
また「難病もの」という以上に、著者の大野さんの生育歴、関心の方向、文体etcが、私の関心にフィットした。田舎育ち→フランス語科→難民援助という流れとか。手術中のBGMに清志郎さんの『夢助』を選ぶっていうのは20代のお嬢さんとしてはシブイような・・・名作中の名作ですが
ネットであらたに始められた連載、楽しみだけど更新は難しいのかなと思っていたが、今見たら更新されていた。読まなくては。

---------
書き出すとなんだかいろいろあるのだが、また項をあらためて。

外国語と母語

2012年08月28日 | 
内田樹氏の『街場の読書論』と『街場の文体論』を読んだ。
『読書論』は図書館で借りて、『文体論』を早く読みたくなって書店に行ったらたくさん平積みになっていた。多くの人に読まれているのだと実感。

その中で、外国語学習について書かれていた文章を抜書き。

(『街場の文体論』P244-245 言語は道具ではない)

《本来、外国語というのは、自己表現のために学ぶものではないんです。自己を豊かにするために学ぶものなんです。自分を外部に押しつけるためではなく、外部を自分のうちに取り込むために学ぶものなんです。

理解できない言葉、自分の身体のなかに対応物がないような概念や感情にさらされること、それが外国語を学ぶことの最良の意義だと僕は思います。浴びるように「異語」にさらされているうちに、あるとき母語の語彙になく、その外国語にしか存在しない語に自分の身体が同期する瞬間が訪れる。それは、ある意味で、足元が崩れるような経験です。自分が生まれてからずっとそこに閉じ込められていた「種族の思想」の檻の壁に亀裂が入って、そこから味わったことのない感触の「風」が吹き込んでくる。そういう生成的な経験なんです。外国語の習得というのは、その「一陣の涼風」を経験するためのものだと僕は思います。》
(抜書き終り)

なるほどなぁ。

また『街場の読書論』に「母語運用能力について」という項があり、気になったので抜書き。(P258-259)

《外国語を学ぶときに、私たちはまず「ストックフレーズ丸暗記」から入る。

自分が何を言いたいのかあらかじめわかっていて、相手がそれをできるだけ早い段階で察知できるコミュニケーションが外国語のオーラル・コミュニケーションの理想的な形である、

母語言語運用能力というのは、端的に言えば、「次にどういう語が続くか(自分でも)わからないのだけれど、そのセンテンスが最終的にはある秩序のうちに収斂することについてはなぜか確信せられている」という心的過程を伴った言語活動のことである。

ストックフレーズを大量に暗記して適切なタイミングで再生することと、言語を通じて自分の思考や感情を造形していくという(時間と手間ひまのかかる)言語の生成プロセスに身を投じることは(結果的にはどちらも「たくみにある言語を操る」というふうに見えるけれど)内実はまったく別のことである。》
(抜書き終り)

読んで思ったのは「おや、私は自分の外国語学習の究極目標を、分不相応に高いところに設定していたのではないか。そしてそれが達せられないことにイラついたり落ち込んだりしているのではないか」ということだった。
すなわち、私は外国語でも「言語を通じて自分の思考や感情を造形」したいと希望している。そして、ただ「ストックフレーズを再生する」することにどうも抵抗感がある。言ったり書いたりしてみてはじめて「ああ私はこういうことが言いたかったのか」と分かる喜びを外国語でも味わいたい、と自分は思っているようである。

ともあれ、「私は『外国語ができる』の意味を『母語レベル』と設定していたが、そりゃ大変だ」という発見があった。まずはやっぱりストックフレーズを適切に再生できること、からかなぁ・・・

熱意と愛情と、お金・・・

2010年04月04日 | 
またまたフィギュア関連ですが、読んだ本

『フィギュアスケートに懸ける人々 なぜ、いつから、日本は強くなったのか』(宇都宮直子 小学館101新書)

個々の選手・コーチについての詳細を知りたい人には物足りないのかもしれないけれど、必要不可欠な事項がコンパクトにまとまっていて面白かった。

第一章が伊藤みどりさんと山田満知子コーチの話で始まるのは当然だと思うけれど、最終章に、みどりさんと同年代で現在もアイスショーで活動するプロスケーター、西田美和さんを持ってくるところに、著者の、フィギュア界全体への理解と愛情を感じた。

私は、自分が運動と無縁だったせいもあるけれど、昔は、学校や企業がスポーツ特待生(社員)制度を設けていることに、すごくイヤな気持ちがあったのだった。
(高校野球で新設校がいきなり優勝したようなときとか)

けれど、世界基準で闘っていくためには、そういう金銭・環境面での支援は絶対必要なことだったのだ、ありがとうありがとう本当にありがとう、と評価が急転回した。
(紙面が割かれているのは、中京大、トヨタ自動車、西武鉄道グループ堤義明氏の発案によって始まったプリンスアイスワールド)

小塚家三代の話も興味深かった。佐藤信夫一家との関係も。
個人的には、佐藤信夫さんが、日本フィギュア黎明期になぜ突出して強かったのか知りたいところだ。
(関係ないけど、アイスショーの始まりのところで
「(前略)私も36歳にして、人生初の化粧をし、人前で滑るという恥ずかしいことをやってしまったというわけです」
と語っているところが、(失礼ながら)カワイイーー。
あと、メインの記述ではないんだけれど、佐野稔さんが当時、相当な人気で、女の子からキャーキャー言われていたというのにびっくり。・・・すみません、伊藤みどりさんより前はほとんど知らなかったもので)

学ぶことが多い・・・

2010年04月02日 | 
読んだ本

『浅田真央 age15-17』(宇都宮直子 文春文庫)

オリンピック後これをレジに出すのは少々恥ずかしかった・・・

便乗本と違って、早いうちから浅田選手を取材して信頼関係のある著者のようなので、読んでいて安心。
この手の人物ノンフィクションは、対象との距離の取り方が難しいと思う。客観性、冷静な視点という点では、ちょっと感傷的になりすぎかなーと思わないでもないけれど、真央ちゃん(と、ここでは書いてしまう)と長期間接してきて、そうならないわけにはいかないだろうしなー。

個人的に印象に残った箇所

p44:中学進学の際、スケートと学業、どちらを優先させるかというところで、
「舞(いちおう注※真央の姉)には、どっちもやらせて失敗した。両方は体が無理なんだよ、申し訳ないと思っている」
というお母さん、匡子さんの言葉。

→浅田姉妹の仲の良さが不思議でもあったのだけれど、なんとなく(うまく説明できないが)納得した。

p91:真央15歳のときの言葉
「国語を頑張って勉強したいと思ってる。(中略)取材のときも、自分の気持ちをきちんと伝えられるように」

p92:まだこれほど有名でない頃(たぶん世間話の一環として?)、真央に、その頃著者がテーマにしていた生命の有限性について話したというエピソード

→うん、うん、学校へ行く時間がなさそうな真央ちゃんだからこそ、彼女に接する大人は、知的好奇心をかきたて、かつ、こんな大人になりたいなと思わせる人であってほしいな。

p138:うまくいかないときの、試合に臨む心境を、「心に橋が現われる」と語っているところ(冷静なときは現れない)

p175-176:匡子さんの言葉
「あの子は昔、『やります』と言い切っちゃうと、やれなかったときに困るという考え方をしていた。(中略)弱気な発言ばかりしていた。それじゃあ、駄目なんだって。結果は絶対、付いてこない。もっと向かっていかなくちゃ」

→真央ちゃんの、あの常に正直でポジティブな発言は、教育の賜物だったのかー。にわか鑑賞で真央ちゃんに教えられたことはたくさんあるけど、いちばんはこれだった。
(自分で逃げ道をつくる発言、私もよくやっていたんだけれど、ほんとにみっともないことだと、ここ1ヶ月あまりで痛感した・・・)
ほかのエピソードでも思ったのだけれど、子どもは親を選ぶというけど、さすが真央ちゃんが選んで産まれてきただけのことはある(?)すばらしいお母さんだ。

p270:2008年グランプリファイナルのフリーで彼女を奮い立たせたのは、打倒ライバルとかそういうのではなく、愛犬エアロの出産。

→エアロはほんとに特別な存在なのだろうなー。
私はペットを飼っていないこともあって、動物に愛情を注いでいる人がまぶしくもうらやましい。
オリンピックでの「エアロ~ティアラ~こまち~」の呼びかけが、かわいくて忘れられない^^
(「ソチのとき犬が20匹に増えてたら呼びきれない」というのをどこかで見かけて笑った)

オリンピック前の1-2年は、より苦難が大きかったのではないかと思うけれど、このころのエピソードのひとつひとつにも、胸がきゅうっとしめつけられるようで、なかなか読み進められない感もあった。
浅田真央選手のあれこれに感銘を受けている私としては、万事てきとうでサボリがちな自分をいましめるために、この本を座右に置いておこうかと思った。

ロシアへの入口1

2010年03月15日 | 
引き続き読んだ本の覚え書き

『強権と不安の超大国・ロシア 旧ソ連諸国から見た「光と影」』(廣瀬陽子)

著者の専門はコーカサス地域とくにアゼルバイジャンとのことで、私が漠然と求めていたスラヴ文化のことはなかったけれど、まるっきり知識も何もなかった旧ソ連諸国のことを知ることができてよかった。
著者が私より若い女性ということもあってか、なじみのない内容でも比較的読みやすかった。
本の中のコラムを読むと、著者はかの国々で相当危険な目にあっていてぞっとする。
こんな難しい地域を研究対象に選んだ理由ってなんなのだろう…と思うに、ちらっと、おじいさまが70年代モスクワに技術指導に行っていたと書いてあって、ふーん、そういう前の世代からつながりが無意識にせよ道をつけたりすることもあるのかなぁと思った。
(本書の内容とは関係ないけど、ひとがなぜその専門を選ぶかについてわりと気になるもので…)

それにしても政情不穏な国々のことを読むと、いろいろ問題があるとはいえ日本に住まうことの幸せをつくづく感じずにはいられない。
(政治はひどいと言われるけど、少なくとも挙げられている諸国家ほどにはひどくないと思う。言論は自由だし、信頼性のあるパスポートが得られて移動も基本的に自由)

エピローグの章ではソチ五輪招致の経緯を知ることができた。
ソチって素敵なリゾート地みたいだけど、地理的にはやっぱりなんだか危険な感じ…
プーチン首相みずからが熱心に働きかけて逆転勝利に導いたというのに驚き。

ロシアへの入口2

2010年03月15日 | 
さて、ロシア語学習を始めるにあたって、『はじめてのロシア語』(中澤英彦)という新書も読んだ。

ロシア語の特色をざあっと概観できればいいかなという感じだったんだけど、著者のロシア語・ロシア語民族と言葉全体への愛情が感じられてほほえましく、この手の本としては意外なほど(文法説明が大部分なんだけど)読むのが楽しかった。
(覚えて活用するのはまた別の話で…^^;)

初学者の覚え書きとして
(と言っても、ほかの人には全く役に立たない)
・「スミルノフ」という苗字は「スミルノーイ=おとなしい子」という呼び名がもとになっている。→へー、フィギュアスケートロシアペアで川口選手とペアだったのは、スミルノフ選手だったよねー。そんなイメージ。
・「熊」のことを「メドヴェーチ」と言う。(もともと「蜂蜜食い」という意味だそう)→現ロシア大統領メドヴェージェフって、日本だと「熊のはっつぁん」って感じ?
(と私が思っただけで違うのかも…関係ないけど、メドヴェージェフ大統領の誕生日も9月14日だ。私のてきとう占いだと、謀反を起こして天下を取りたいとかは考えないタイプ。そういう意味でプーチン首相の後継者選びは正解かと)
・ヴォズネセンスキーの詩『百万本のバラ』の一説を解説→へー、加藤登紀子のあの歌って、この詩から来てるのね知らなかった。そういえば、学生運動世代の人はロシア語には近しいのだろうな(マルクスとか勉強してるから?)

この本の発行は1991年。ロシア人の性格をよく表すと言われる「ニチェヴォー=どうにかなるさ」という言葉が、90年代のモスクワではかつてほどには聞かれなくなった、と本文にある。
21世紀の世の中では、もっと聞かれなくなってるのかもしれない。
この本でなんとなく感じた、ロシア語のほほえましい雰囲気(動物のことわざがたくさんあるとか)も、今は失われてるのかもしれないなぁ…

一流の!思考法!

2010年03月14日 | 
図書館で借りてきた本をもう返さないといけないのに、まだ全部読んでいない…

読んだ本
『一流の思考法 WBCトレーナーが教える「自分力」の磨き方』(森本貴義)

こう書いてみるとなんだか気恥ずかしいタイトルだけど、これまた、普段は見ない図書館の分類「スポーツ」の棚でたまたま目についたもの。

これは、ヘタな自己啓発本よりも、よほどよくできている。
スポーツ選手なんて、自分とはまったく別の世界の人のように昔は思っていたものだけれど、彼らが本番で最高のパフォーマンスができるように日々実践していることは、普通の人の普通の生活にも敷衍して活用できるものなのだった。

しかしながら、たとえば
「自信とは、自分との約束を守ることからしか生まれない」
ということが書いてあるページ、
「(成果を出す人は「自分との約束」をつくり、着実に実行する)一方、「今日からジョギング始めたよ!」と言いつつ、1週間後に会ったら「もうやめちゃった~」という人もいます。こんな人には、あまり魅力を感じません。」
とある。
がーん、私のことかと…
日々一流の人と接している著者は、やはりキビシ~のであった。

でも、たとえば、無意識にやっていることは失敗しない→そのための準備に時間をかける→無意識=ルーティンにするために「型」をつくろう、とか、ほかいろいろなるほどと思うことばかり。

直球過ぎて気恥ずかしい(と思うこと自体、私が「王道」の人ではないからなのだろうなぁ…)という以外は、とてもよい本だった。

ちなみに本の中のコラムに、著者の人生の師は高畠導宏さんとある。
おととしやっていたNHKのドラマ『フルスイング』のモデルになった人だ。
このドラマ、予告の熱血ぶりに自分とは関係ないドラマだと思ってスルーしていたのだが、年末アンコール一挙放送があり、たまたま見たところ、ガーンとショックを受けてしまったのだった。
ドラマのもとになった『甲子園への遺言』(門田隆将)も(これまた図書館で借りたんだけど)読んだ。

なんなんだろうなぁーー私はちょっとやそっとの前向き明るさポジティブパワーには、かえって「ケッ」と冷めてしまうほうなのだが、ほんとうに広くて大きくて深いまっすぐさの前には、素直になってしまうということなのだろうか。うまく書けないなぁ…