ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

旧水戸街道を歩く 第9回 府中宿から奥谷へ

2011年11月24日 | ウマさんの「旧水戸街道」を歩く
2011年11月24日(木)

「関東ふれあいの道」(茨城)を踏破したメンバーから、次の目標として”「旧水戸街道」を歩く”
が候補に上がり、今回の企画になった。
日本橋から水戸城中までの約120Kmを毎月1回歩こう、というものである。

第9回のこの日、府中宿(石岡駅)から奥谷までの約18.7Kmを歩いた。

8時頃の石岡駅
通勤時間帯のためなのか、タクシーがずらりと並んでいる。


この日は新たに1名が加わり、11名が集まった。


8時20分、出発。
もう少し遅く出発することも考えられたが、奥谷から石岡駅に戻る14時30分のバスに間に合わせるため早めの出発とした。
このバスに乗り遅れると、1時間30分近くも待たなければならない。
水戸行きに乗る手も考えられるが、本数も少なく、ちょうど良い時間のバスはないのが実情である。


石岡駅から国道355号線への道


国道355号線を進むと、蔵造りの古い建物が現れる。
商家のようだが・・・


常磐線の跨線橋を渡る。


歩道に水戸街道の絵タイルが一定間隔で敷かれている。
江戸街道(水戸街道の上り)武蔵国日本橋までは石岡から21里の距離とある。


こちらは、武蔵国千住まで石岡から19里の表示。
この他にも石岡から江戸街道や水戸街道(水戸街道の下り)の主な宿場までの絵タイルを見ることが出来る。
水戸街道(水戸方面)の絵タイルは道路の反対側に敷かれている。


石岡の一里塚(西側)
一里塚の頂上には立派な榎が植えられている。


東側にも一里塚があるが、こちらは二代目の榎に代わっている。
説明によると、平成十四年七月の台風でシンボルの榎が倒れてしまった。
当時の榎は推定樹齢400年、樹高約20m、幹回り4.2mの大木であった。
平成二十年三月、一里塚の裾野付近に育っていた苗木を移植して今日に至っている、とのこと。
初代と同じような大木に育って欲しいものである。


県道52号線をしばらく進み、県道7号線を過ぎると、行里川集落への分岐点がある。
左側を進むと行里川集落である。右側は新たに出来た県道52号線のバイパスだ。


行里川集落への旧道に入ると交通量が急に少なくなり静かになった。
バイパスのお陰だろう。


鷲の宮神社
今年の9月に造り替えられたばかりの真新しい鳥居。


鳥居をくぐって奥に進むと、質素な鷲の宮神社の本殿があった。
この日の安全を祈願した。


行里川集落の豪華な塀と長屋門の農家


園部川を渡った石岡市大谷付近


道端に道標らしきものが立っていたが、文字は殆ど読むことが出来なかった。
『何て書いてあるんだろうね?』
(裏側には はっきりと明和七年寅六月 石橋喬宣建之 と刻まれていた)
明和七年と云えば1770年、今から240年ほど前のことだ。江戸幕府は10代将軍徳川家治の時代である。


園部川の支流に架かる竹原橋付近
正面右手に竹原神社の森が見える。


竹原神社への石段を上る。


竹原神社の本殿


竹原神社の「アワアワ祇園」で担がれる神輿は旧美野里町指定文化財となっている。
小ぶりながら常陸国総社宮の神輿と同型で、総欅造りで美術工芸品として価値の高いものだと云われる。
「アワアワ祇園」では、”みろく””ささら”とともに町内を渡御する、とのこと。
アワアワとは、長い間水中にいたため寒さで震えていたことを表現したもの。
江戸時代に、川の水を手で神輿にかけ、手のひらを口にあて「アワアワ」と声をだしながら行った、そうだ。


みろく ” は、弥勒、彌勒とも書き、無病息災、五穀豊穣などを祈願する滑稽な人形の踊り、のこと。
ささら人形”は、ささら屋台に乗って神幸祭の行列の露払いを勤める格式の高いもの、だそうだ。
ささら屋台の前を“ ささら ”と書かれた提灯を提げた町会役員が先導し、”ささら人形”は舞いながら巡行する。
ささら人形は棒に括り付けられて、それを人が操るという珍しい形式の三匹獅子、とのこと。
「アワアワ祇園」は、毎年7月22日、23日に行われる、ということなので、一度見てみたいものである。


竹原神社を後にして、しばらく進むと国道6号線に出た。
ひっきりなしに車が通る。


ここからしばらく国道6号線を歩くことになる。
交通量が激しく音もうるさい。排気ガスも我慢して歩くしかない。


立派な薬医門の元庄屋木村家住宅


竹原下郷付近


道端にお地蔵さんが祀られていた。
馬頭観世音の碑も一緒だ。


北辰一刀流の師範?の碑


石岡駅を出発して1時間20分余り、中野谷中央付近のコンビニで休憩だ。
体調を整えるには、コンビニはありがたい。


美野里ロードパークがこの先150mとある。
しかし、ロードパークは道路の反対側にあるため、寄らずに通過することに。


大曲三差路の食堂


10時55分、大曲三差路を通過
順調なペースである。


大曲三差路を過ぎると歩道には桜並木が続く。
桜の時期には、一見の価値がある。


片倉宿への分岐点、堅倉三叉路
片倉宿へは左側を進むことになる。
車の喧騒から解放され、一息つける。


片倉宿付近
一里塚があるとのことだったが、見つけることは出来なかった。


ピラカンサスが真っ赤に咲いていた。


片倉宿付近の家並。


加藤家復旧門
説明碑によると「元治元年(1864)、天狗党の焼き討ちで母屋と門を焼失してしまったが、
わずかに焼け残った前柱2本を使用して復旧させた」のだそうだ。


片倉宿には脇本陣と問屋場が各1軒、江戸時代後期には10軒の旅籠があった。
名主や問屋をはじめ名字帯刀を許される士分格の家が多く、現在も立派な板塀と門構えの家が多い。


籠旅かと家


旅館かと屋は移転したとの看板が。
従って、ここの”かと家”は現在は使われていないことになる。


北浦の支流”ともえ川”を渡る。
橋の欄干には”巴橋”と刻まれていた。


石船神社いわふねじんじゃ


石船神社の社殿
右側に杉、左側奥に欅の大木が立っている。


社殿に向かって左側に樹齢500年と云われる御神木の大欅(けやき)がそびえている。
樹高18m、根回り6.9mあるそうだ。


昼には少し早いがお腹も空いてきたので、石船神社の境内で昼食に。


めいめい、境内のひだまりで食事を摂る。


”お土産に”と落ちていた銀杏の実を拾い集める。
『これって美味しいんだから~っ!』
”実が付いたままだと重い”との理由で、実を剥いていたが、匂いは強烈だ。


国道6号の小岩戸交差点に出た。
写真中央トラックが走って行く方が国道6号線の水戸方面になる。


小岩戸交差点を渡って直進する。
ここからまた国道6号線とはお別れだ。


石船神社いしふねじんじゃ


本殿には、日本三社稲荷大明神と書かれている。
そのためか、社殿全体が赤に塗られている。


小幡宿へ通じる旧水戸街道の家並み。


ここから茨城町だ。


愛宕神社
愛宕神社は火防の神として祭られている。


鬱蒼とした長い参道を行くと・・・


あれっ! 本殿がない!
ビニールシートに覆われた奥の宮がポツンと残っていた。
本殿は、地震の影響で倒壊でもして、撤去してしまったのだろうか?
この愛宕神社は、戦国時代に小幡城主が奨励したという伝統芸能”小幡ひょっとこばやし”の発祥地である。
一日も早い復旧が望まれる。


愛宕神社の先に法円寺があった。
天安元年(857)建立の古刹で、天台宗のお寺だ。


立派な本堂である。
水戸藩主通行時の専用旅館に指定されていた。
本陣として使われたお寺である。


屋根には、徳川家の家紋が付けられていた。


小幡宿
今は宿の史跡らしきものはないが、大きな屋敷が建ち並んでいる。


今年は柿の当たり年なのだろう、鈴なりが見事だ。
我が家の柿はさっぱりだったが・・・


青龍大権現


比較的新しい祠であるが、東日本大地震?の影響で無残な姿を晒していた。


国道6号に出て直ぐに、千貫桜の碑がある。
かつてこの地に桜の巨木がああり、義公(水戸光圀)が終日めでて「千貫の価値がある」と賞賛したといわれている。
春風も心して吹け 散るは憂し 咲かぬはつらし花の木のもと


碑の直ぐ近くに桜並木がある。
今は若い木のようだが、かつては桜の古木が立ち並んで、義公の目を楽しませたのだろう。


東関東自動車道
北関東自動車道の茨城町JCTと茨城空港北ICを結ぶ有料道路である。
全く車の姿を見ることは出来ない。一日数便の発着では止む無しか。


6号バイパス付近、14時16分を過ぎていた。
果たして奥谷14時30分発の石岡駅行きバスに間に合うのか?
『急ぎましょう!』 それにしてもUさんのスピード&スタミナは凄い。


奥谷坂上交差点
あともう少しで奥谷だが、きつい、全身汗びっしょりである。
ここでバスを待つ手もあるのだが、できれば奥谷から乗りたい。
しかし、先頭のスピードに付いて来れない何人かは、ここでバスを待つことに。


14時26分、奥谷交差点が見えてきた。


14時29分、奥谷バス停に到着。
14時30分発の石岡駅行きに何とか間に合った。
次のバス(15寺55分)まで待たずに済んで一安心だ。


バスは定刻より1分ほど遅れて到着。
車内は我々の他には2人の客が乗っていた。


『間に合って良かったわねぇ』
『かなり歩いたけど楽しかったわぁ』と満面の笑みだ。


15時10分、石岡駅バスターミナルに到着。
料金770円のところ、割引券(1,000円で1,100円分)を利用することで、一人720円に。
50円の割引となり、ちょっとだけ得した気分。


『今日は、本当にお疲れ様でしたっ!!』
『随分歩いたもんだねぇ』
万歩計は30,000歩を越えていた。
ウォーキングで30,000歩を越えたのは、最近では珍しい。


ホームで電車を待つ間も次の最終回(奥谷~水戸)のことで話が盛り上がった。
(後ろに写っているのは、”試運転”の表示があるところをみると新型車両?)


ホームに滑り込んできた上野行き電車に乗り、帰路についた。




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