多くの人が今観てると思うけど、練馬区東大泉に母弟の居る私も
改めて、その時の備えの必要を感じているところです。
とりあえず母弟の避難場所は、母の夏の避暑地として立原に別宅を
確保してあるので心配は無いけど、関東地方に住む人達の避難場所の
確保は、その時が始まってからでは遅すぎるので、今からその対策を
政府は講じるべきだけど、言うまでもなく、岸田政府は様々な
トラブルを抱え、右往左往、ワカメの様に揺れてるだけなので、
国民は国に頼る事なく、それぞれ自分で考える必要があります。
そこで想うのは、コロナ禍が始まる3、4年前に思いつき、
所有者の某大学理事長と総務部長に相談して始めようとしたものの、
コロナ禍の予想を超える拡散で躊躇していた、南相木村で
廃墟になりつつある立原山荘の再生利用を、長年勤めた
鉄骨屋退職を機に、新たに始めてみるか、今日の
富士山噴火のような、いつ来るか分からないけど必ずやってくる
災害時の利用も含めて考えてみようと思います。
多分その時は共感してくれて協力してくれる人を募ると思うけど、
ちなみに、3、4年前、この想いを伝えた母弟、大学時代の友人で
唯一連絡が取れるT、早起き野球で一緒に戦ったSの反応は薄く、
興味ゼロのようでした。私の不徳の致すところもあるけど、
皆さんあまり未来に危機感を持っているという印象は無いようでした。
昨日久々に早起き野球の仲間だったSちゃんに
ツルハドラッグて会った。
同い年で似たような問題を
抱えているようだけど、それとは別に、コロナ禍のおかげて
足踏みしてる
立原山荘復活計画のその後を訊いてきたけど、
近況と今後の希望を話すと、以前相談しに行った時、
あまり興味無さそうだった村も
興味を持ち始めた様な事を言ってたので、もしかしたら
良い方向へ向かうかもしれない気がした。
色々構想が交錯してなかなかスタートラインが見えてこないけど
静かすぎて焦りも気負いもなくなりそうな環境だから、
ノンビリユックリ走ろうと思う。ちなみに、そのうち伴走人を募るかも知れませんが、、、
母の避暑用別荘として購入を進めていた
立原山荘下の住宅の登記手続きが昨日終わり
立原山荘復活計画もコロナ禍のお陰で停滞してますが
一歩まではいかなくても、やや前進したと思います。
ルー大柴さんが茶道? 「50、60代で何か始めても全然遅くない」
毎日新聞286
情報があふれ、何かとせわしない毎日。心静かな時間を取り戻したい人も多いのではないだろうか。「寝耳にウオーター」など英語交じりのトークで知られる、タレントのルー大柴さん(68)は、50代から茶道を始め、今では師範の免状も持つ。茶人名は「大柴宗徹(そうてつ)」。そんなルーさんがたてたお茶を頂きながら、茶道の魅力について聞いた。【大沢瑞季】
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ちなみに私の父は定年退職してから、60代で免許獲りました。
ちなみに私がこれからしたい事は、火星人の大使館を建設する事です。
かねてから私の棲んでる近辺で一緒に生活できる空間のある
避暑目的の家が欲しいと言ってた母。
一時は私が将来の生活拠点にと考えている某村秘境の山荘案は
アッサリ却下されたものの、その後偶然現場で畳屋の社長と
ン十年ぶりに再会し、その話をしたところ、仕事柄空き家を
何軒か知ってるので都合のいい時に連絡くれと名刺を頂きました。
その後天気に恵まれず未連絡だったけど、ようやく天気の心配を
しなくてよさそうな昨日、社長に電話したら、午前中は都合悪くて
行けないけど、場所は教えてくれたので、今一人で見に行ってきました。
そこは高原キャンプ場より少し下ったバス停近くの
一軒家で見栄えはごく普通の住宅ですが、周囲の雰囲気は別荘地そのもの。
しかも我が家3人と母弟2人が住むには十分過ぎる広さと車は3、4台は入る
スペース。
もうココしかないと思える物件でした。後は売値という事ですが、
街中の相場を考慮すれば山中なので母の予算半分位で買えそうな気がします。
後は私の交渉次第ですが、これまでの経過が必然のように流れているので
多分いけるのではないかと期待しています。
またその家は、復活させたい山荘から1,2分の所にあるので
もし購入できれば、全ての点が下流に向かって流れていくのではないかと
益々妄想は膨らみます。また繰り返しになりますが、条件が揃えば
同じ夢を見れる方のご協力も募ると思いますのでよろしくお願いします。
かねてから母の希望である、夏場の暑い時期、避暑地になりえる
居場所探しに関して別の目的で再利用しようと考えていた某山荘の
兼用を提案してみましたが、現実にある新築、或いは空き家の増改築
といった物件として存在するものには出資してもいいけど、
山荘の再利用という先の見えない博打みたいな計画にはお金は出せないと
アッサリ断られました。残念だったけど、言われてみれば当然と言えば
当然か。銀行だってそうは簡単にお金は貸してくれないだろうし。
これで山荘に母を呼ぶ計画は消滅しましたが、私の意志が消えたわけではなく
山荘再利用と物件探しを平行して進める事になりました。
物件探しは近隣市町村役場やネットのHP等で探せばいいかと思うし、
山荘再利用はまずは学生時代の友人Tや早起き野球仲間だったSちゃんや
K君(いずれも同い年)に打診してみて仲間を増やす事から始めよう。
2年ぶり位に母と弟に会いましたが、二人には驚かされました。
実家に着いた時、偶然自転車に乗って母が買い物から帰ってきたのです。
ちょっと前まで膝が悪くて歩くのもおぼつかなかったから
まさか自転車に乗れる位改善してるとは思いもしませんでした。
それから弟。某大学病院で電気設備の管理をしてるから
懐具合は良いだろうとは思っていましたが、前回会った時
ホンダに乗ってた弟が今はベンツに乗ってました。
田舎で安い給料でサニーに乗ってる兄貴とはえらい違いです。
実家公開です。私は住んだ事無いので実家と言っていいのか悪いのか。
ココの近所にある前の一軒家には住んでいましたが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/03/327c4d990691c770cee0ca4de5534a34.jpg)
コロナ禍とタイミングが重なっていしまい
停滞を余儀なくされてる某村立原高原山荘の再利用計画についてですが、
いつまで待っててもコロナ禍は終息しない雰囲気なので
3日に練馬区東大泉の母に会いに行き、母の希望に沿うような
条件が揃っているか、また昌賢学園理事長総務部長さんに相談して
色々探ってみるつもりです。
その進展が見込める場合は私の学生時代唯一の友人に協力を
要請しようと思っていますが、他にも協力を求める事も
有り得るので、興味のある方は、たまにココをを覗いてみるか、
sbdmh247dk_1231@yahoo.co.jpへ返信をあまり期待しないで
メールしてみてください。話の進み具合によっては
本名その他全てを公開して活動を始める予定でいますが。
ちなみにこれからやろうとしてる事は
15、6の頃から影響を受けているアダムスキーさんや
北野恵宝さんの影響が強力にあります。
まずは、学生時代、週2、3回は巣鴨駅周辺で飲んで今も連絡がとれる唯一の友人で、最近国交省を定年退職し、再雇用という形で勤めているTと会って、私の第二の挑戦に手を貸してくれないかその他40年ぶりの再会の約束を果たそうと思います。
南相木村立原山荘の未来。
地震、豪雨、新型ウィルス禍その他人災、
次から次へと繰り出される文明末期現象だが
更に富士山噴火、南海トラフ地震も確実に日本を
襲ってくる。それが我々の世代で起こるのか、次世代
次々世代で起こるのかは分からないが、
いつ来てもいいように備えておく場所も必要だと、
リエックスの露天風呂でウトウトしながら下界を見てたら
そんな印象が湧いてきた。
いくらで買えるのか知らないけど、もし買えるなら
昌賢学園所有の南相木村にある
立原山荘を買うのと、
当選祈願にいった武水別神社に
お礼の寄付をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/e9/b5ec833c9b32bd6b2ff42ea88b925f4b.jpg)