津波被災の集落が「解散」
震災を理由に集落が解散したのは南相馬市で初めてで、被災地全体でも珍しいということです。
解散を決めたのは福島県南相馬市の沿岸部にある港行政区で、21日の解散式には住民などおよそ50人が集ました。
港行政区には震災前、37世帯およそ130人が暮らしていましたが、津波でおよそ3分の1の45人が犠牲になりました。
震災後、住民はほかの地区に移り住み、地区のほぼ全域が災害危険区域に指定されたことから、集落の再建が困難と判断し、震災から5年を前に、解散することを決めました。
式では犠牲者に黙とうをささげたあと、田中憲一区長が「行政区を閉じるのはさびしく悲しいですが、前を向いて頑張っていきましょう」と呼びかけました。
そして、全員で「ふるさと」を合唱し、入植が始まった明治後期からおよそ100年あまり続いた集落の歴史に幕を閉じました。
住民たちはかつての集落での暮らしを語り合ったり、写真を撮ったりして、ふるさとでの思い出を懐かしんでいました。
住民の前川敏章さんは、「まだ実感がわきません。元の場所の方がいいですが、一歩ずつ前に進んでいくしかありません」。
と話していました。
南相馬市によりますと震災を理由に集落が解散するのは南相馬市で初めてで、被災地全体でも珍しいということです。
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サンピアへ行く途中、ラジオから飛び込んできたニュース。
あれから5年経った今も、明日が見えない被災者がいる現実に、
何のために復興庁があるのだと、役人の「高学歴なのに無能」を改めて感じる。