よく姫路さんが
「星椎水精先生の浄霊に辿り着いている皆さんは、今世、試験に合格した人たちです。」
ということをおっしゃいます。
世の人たちの病気や不幸な話を聞くたび、まざまざとそうなんだと思い知ります。
先祖霊の苦しみに気づき、そして星椎水精先生の先祖供養(先祖の浄霊)を続けて頑張っている方たちは、皆さん幸せになっています。
幸せといってもいろんな形があり、私のように人生の目標を見つけた人、家族や自分のガンなどの病気が治った人、「将来への不安」が消え幸福感でいっぱいの人など人それぞれですが、まさに「本当の幸福」を手にした人たちと言えます。
逆に、一般のほとんどの人は、いろいろなところに「先祖に気づくきっかけ」はあるのに、それをスルーしてしまっているのです。
私自身、自殺者がきっかけで星椎水精先生に辿り着いたわけですが、もしあの時星椎先生ではなく、他の霊能者たちに、いわゆる「除霊」をお願いして終わっていたら…。
もしかしたら次は、身内から自殺者(犠牲者)が出ていたかもしれません。
それが分かるからこそ、あの時星椎先生を選べてよかった、浄霊していただいてよかったと思ってます。
このようなチャンスとなるきっかけは、皆さん一様に用意されているはずなのです。
その人その人に合った、気づくきっかけになるものが!
おそらくほとんどの人が一度はきっかけに触れているはずですが、それでもまだ気づかなかったり、または宗教団体に入って違う方向へと進んでいるのが現状です。
何を選ぶかは自由ですが、そこが大きな分かれ道になっているのは確かなことだと言えます。
大事なことは「見えない先祖霊に気づくこと」ですよね。
仮に、成仏できていない夥しい数の先祖霊の苦しんでいる姿が「見えて」いれば、誰だって何とかしようと思うはずです。
そして、「見えて」いれば、例えばある霊能者が「浄霊(成仏)出来る」と言っても、実際は全然出来ていないこともハッキリとわかるはずです。
つまり、「霊の姿」が見えれば、誰がニセモノで誰が本物の力を持っているか一目瞭然なのです。
ですが、そうなっていないのが現実ですよね。
それが何故なのか?です。
「そこが試験だよ」っていう事だと思うのです。
『霊の姿が見えている』というのは、大学などの入学試験でいえば、答えが丸見えの状態と同じです。
そんな状態であれば、みんな合格してしまいます。
試験を出す方としては、受験者がどこまで理解しているのか、またどのようなレベルなのかを見極め、ふるいにかけるわけするために行っているわけですから、答えがわかっていたら、試験の意味がありません。
「霊の姿が見えない」この状況で、どこまで気づくことが出来るか、また本物を選ぶことが出来るが試されているのだと思います。
そして、仮に試験に合格しても、ちゃんと卒業できるかは、また別の話です。
途中で消えていく、いわゆる「落第」する人も残念ながらいるわけなので、最後までやり抜き、卒業できるよう信念を持つ事は、とても大切な事だと思います。
いろんなところで「試されている」わけですが、頑張って邁進していってもらいたいと思います。
星椎水精先生のホームページ:先祖供養
携帯版はこちら
見届け役:姫路さんのブログ:こちら
クリックしてね !!
「星椎水精先生の浄霊に辿り着いている皆さんは、今世、試験に合格した人たちです。」
ということをおっしゃいます。
世の人たちの病気や不幸な話を聞くたび、まざまざとそうなんだと思い知ります。
先祖霊の苦しみに気づき、そして星椎水精先生の先祖供養(先祖の浄霊)を続けて頑張っている方たちは、皆さん幸せになっています。
幸せといってもいろんな形があり、私のように人生の目標を見つけた人、家族や自分のガンなどの病気が治った人、「将来への不安」が消え幸福感でいっぱいの人など人それぞれですが、まさに「本当の幸福」を手にした人たちと言えます。
逆に、一般のほとんどの人は、いろいろなところに「先祖に気づくきっかけ」はあるのに、それをスルーしてしまっているのです。
私自身、自殺者がきっかけで星椎水精先生に辿り着いたわけですが、もしあの時星椎先生ではなく、他の霊能者たちに、いわゆる「除霊」をお願いして終わっていたら…。
もしかしたら次は、身内から自殺者(犠牲者)が出ていたかもしれません。
それが分かるからこそ、あの時星椎先生を選べてよかった、浄霊していただいてよかったと思ってます。
このようなチャンスとなるきっかけは、皆さん一様に用意されているはずなのです。
その人その人に合った、気づくきっかけになるものが!
おそらくほとんどの人が一度はきっかけに触れているはずですが、それでもまだ気づかなかったり、または宗教団体に入って違う方向へと進んでいるのが現状です。
何を選ぶかは自由ですが、そこが大きな分かれ道になっているのは確かなことだと言えます。
大事なことは「見えない先祖霊に気づくこと」ですよね。
仮に、成仏できていない夥しい数の先祖霊の苦しんでいる姿が「見えて」いれば、誰だって何とかしようと思うはずです。
そして、「見えて」いれば、例えばある霊能者が「浄霊(成仏)出来る」と言っても、実際は全然出来ていないこともハッキリとわかるはずです。
つまり、「霊の姿」が見えれば、誰がニセモノで誰が本物の力を持っているか一目瞭然なのです。
ですが、そうなっていないのが現実ですよね。
それが何故なのか?です。
「そこが試験だよ」っていう事だと思うのです。
『霊の姿が見えている』というのは、大学などの入学試験でいえば、答えが丸見えの状態と同じです。
そんな状態であれば、みんな合格してしまいます。
試験を出す方としては、受験者がどこまで理解しているのか、またどのようなレベルなのかを見極め、ふるいにかけるわけするために行っているわけですから、答えがわかっていたら、試験の意味がありません。
「霊の姿が見えない」この状況で、どこまで気づくことが出来るか、また本物を選ぶことが出来るが試されているのだと思います。
そして、仮に試験に合格しても、ちゃんと卒業できるかは、また別の話です。
途中で消えていく、いわゆる「落第」する人も残念ながらいるわけなので、最後までやり抜き、卒業できるよう信念を持つ事は、とても大切な事だと思います。
いろんなところで「試されている」わけですが、頑張って邁進していってもらいたいと思います。
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