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星椎水精先生の先祖供養 -正しい先祖供養で最高の幸せを手にした人たち

アトランティス神による本物の浄霊(先祖供養)の素晴らしさを紹介。

慰霊

2012年08月30日 13時43分29秒 | 天国
もう2週間ほど前になりますが、ちょうど世間がお盆休みの頃に、戦没者の慰霊祭が各地で行われていました。
TVなどでも放映されていましたから、ご覧になった方も多いかと思います。

毎年恒例で、会場にはたくさんの人が集まり、神妙な面持ちで黙祷を捧げたりしていますよね。

戦争の悲惨さを忘れないためにも、このような行事は必要な事なのかもしれませんが、結局のところ、慰霊祭をしたからといって、何も解決などしていません。

テレビを見ても、霊感も何もない宮司の格好をした人が何かを述べたり、参列者が献花をしたりしていますが、これらを見れば見るほど、『形だけだな。こういう形式が本当に好きなんだ!』と思わずにはいられません。

この「慰霊」という言葉は“霊を慰める”と書きますが、昔から私は、この慰霊というものに違和感があり、重苦しく感じて仕方がありませんでした。

というのも、戦争で悲惨な死に方をされた方は可哀そうだと思いますが、しかし死んで天国に行っているというのであれば、「霊を慰める」という言葉の使い方はおかしいのではないでしょうかね!?

「慰める」という言葉を辞典で調べると、

1、何かをして、一時の悲しみや苦しみをまぎらせる。心を楽しませる。心をなごやかに静める。

とあります。

この「何かをして、一時の悲しみや苦しみをまぎらせる。」というのが、慰めるというイメージそのものですよね。

そうなると、慰霊の意味は、『何かをして、霊の一時の悲しみや苦しみをまぎらせる。』という事になります。

漢字はよく、そのものの体というか真髄を表していますが、これがまさにそうだと思いませんか?

「戦争で亡くなった方たちは、成仏していないで今も苦しんでいるだろうから、線香をあげたり祈りを捧げたりして、霊を慰める」、というのならわかるんです。慰霊という言葉がぴったりですものね!

しかし、天国から見守っていてくれていると思っている(思い込んでいる)霊に対し、慰めるというのは明らかにおかしくないですか!?

苦しみのない天国にいる(と思い込んでいる)人に対し、涙を流す事も慰めるという事も、全ては矛盾しているのです。

私は、本人たちは理解していなくとも、本体の魂が『成仏していない』という事を理解しているから、無意識に慰霊という言葉を使ったのではないか、と思えてならないのです。

慰霊祭をしたからといって、霊が成仏するわけでも救われるわけでもないのですが、いつまでこのような形式的な行事を続ければ、おかしいということに気が付くのでしょうかね?

全ては、生きている人間の自己満足でしかないのに・・。

「おかしい?」と思う感覚も、霊感の一つではないでしょうか。


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