次にご紹介するのはDD54型ディーゼル機関車。1966年から39両が製造されました。西ドイツのマイバッハ社設計の1820PSの大出力のエンジンを1基搭載し、当時実用化されていたDD51型と同等のエンジン出力を誇りました。軸配置もB-1-Bという珍しい形態ですが、軸重が分散されるため、線路等級の低い路線にも入線できるようになっています。
32両が福知山機関区、8両が米子機関区に配置され、山陰線・福知山線・播但線で活躍しましたが、複雑なエンジンや液体変速機のトラブルに悩まされ、エンジン周り以外でも故障も多く、新製からわずか10年ほどでDD51型に置き換えられて廃車されてしまった短命の機関車です。
本機は1971年に製造され、米子機関区に配置されました。米子機関区では寝台特急出雲号の牽引指定機に選ばれ、20系寝台客車への空気圧供給用の元空気だめ管とヘッドマーク取り付け金具が装備されました。現在でもその装備は残っています。現存する唯一のDD54型です。
そして国鉄通勤型電車のスタンダード103系です。1963年に製造が開始され1984年まで製造されました。そのため単一形式では鉄道史上最多の3447両が新製、72系や101系からの改造編入を含めると3503両にも及びます。首都圏や関西圏の通勤電車として広く活躍をした車両です。
当車は制御車のクハ103形の1号車で1964年に新製され、池袋電車区に配置されて山手線で活躍しました。1974年に山手線ATC仕様に伴いATCを取り付けたクハ103形に置き換えられて、森ノ宮電車区に転属してきました。以後、大阪環状線で活躍していましたが、晩年は日根野電車区に転属し、山手線時代に相棒だった2番と編成を組んで阪和線で活躍しましたが、2011年に廃車となり、吹田総合車両所に保管されていました。
博物館に入るにあたり、大阪環状線時代のオレンジバーミリオンに塗り替えられましたが、現役時代と違い車両番号とJRマークがついていません。また行き先方向幕は大阪環状線を表示していますが、運転室内にある行き先表示制御装置の対照表には、現役最終配置の日根野電車区時代のものが残っており、おそらくその時の方向幕が入っていると思われます。鉄道博物館に保存された103系は時折方向幕を変えて京葉線の表示を出していましたが、こちらは環状線固定のようです。できることであればJR化後に閉塞された戸袋窓を復活させて原形に戻していただきたかったと思います。