建築家で、大学教授で、市の都市計画局長という肩書き。おそらく日本では皆無に等しいのではないでしょうか。
「大都市的拡張」というのは、現代日本にも当てはまる課題であり、とにかく成長のためなら犠牲は仕方ないという風潮は横たわっています。
持続可能性ということがキーワードとして言われる一方で、実際には都市の開発は次々と行われているわけです。この一文は、大きな視座を与えてくれます。
チェルベッラーティは建築家で、当時はボローニャ大学建築学部教授と市の都市計画局長を兼ねていました。彼の文章から、そのころのボローニャの問題がどこにあったかが、お分りいただけるはず。
「現在の都市での日々の生活がいかに不十分なものか、その不十分な生活に市民がどれほど耐えているか、わたしたちはそのことを知りつくしているし、たくさんの計画が実施され、その全てが大失敗に終わったことも知っている」と前置きしてから、教授はこう続けます。
<失敗の理由ははっきりしている。……常に大都市的拡張を前提にしたものばかりであったからだ。都市は成長しなければならぬ、その代償も払わねばならぬ、という論理であったからだ。そのもとで、発展に伴う集中・混乱・崩壊・憎しみ暴力などが見過ごされてきた。……それが、誰かを、何かを犠牲にして、地域資源や隣人や弱者を犠牲にして、進められることをあまり問題にしなかった。都市は拡張しなければならぬから、技術者も政治家も経済学者も、皆この成長を保障すべきだ、その先に、都市の死や都市文明の死が、そして経済システムや政治システムの崩壊があろうとも、といった風潮であった。>(加藤晃規監編訳『ボローニャの試み』一九八六年、香匠庵刊)
成長すれば都市部の環境が悪化する、そこで郊外へ人口が流出する。つまり都心は荒れ果てた畑になってしまう。その荒廃した畑をもとの豊かな稔りの多い黄金の花畑に戻す試み、それがボローニャ方式でした(180〜181ページ)
にほんブログ村←日本共産党池川友一のオフィシャルブログ「都政への架け橋」を見ていただきありがとうございます。一日1回、応援クリックをお願いします。