tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

広開土王碑文

2005年06月30日 22時30分17秒 | ニュース
私が小学生の頃、たまたま本屋の学習参考書売り場で目にした高校生用の歴史資料集に、。広開土王碑文の写真が載っていた。朝鮮かどっかの国王の業績を記したものらしいが、後々大陸に進出した大日本帝国陸軍によって、その内容が改ざんされたと書いてある。その写真は、モノクロで、発見された当時の姿が写っていて、そばに人が大きさの対照として立っていた。

「これを見るには学者でも難しいのだよ、一般人は見せてもらえない」と高校の歴史の先生がしゃべっていたことを思い出す。その後、別な写真を見たが、荒れた土地で発掘された前のモノクロの写真とは違って、屋根付きの立派なあずま屋みたいなものが碑文の周囲に建てられ、周囲も整備された公園になっていた。もちろんカラーの写真である。

さて、この碑文、北朝鮮のどこかにあるものだと考えていたが、なんと、中国吉林省にあるらしい。わざわざ日本軍が改ざんした内容にも興味を持ったが、広開土王は高句麗の王で、新羅や百済を属国とした人物だが、その新羅や百済を倭、つまり日本が征服したと書いてある・・・この書いてあるという部分が改ざん箇所で、本来、高句麗が海を渡って征服したという記述を日本が海を渡って征服したと書き換えたらしい。そのため、朝鮮、特に北朝鮮は高句麗が征服したと主張するが、日本の学者は、地続きの高句麗がわざわざ海を渡るわけではないから、日本が征服したと主張する。このあたりのことはリンクした、さわらび通信のTさんのレポートに詳しい。

こんなことを書いたのも、今日の新聞に広開土王碑文は改ざんされていなかったという論文が発表されたことを紹介されていたから、それに付け加えて、いつかしっかりと調べてみたかったからでもある。

解釈も色々あるが、そもそも広開土王が真実を書かせたのか?

それも疑問である

揚子江ラーメン

2005年06月28日 23時10分20秒 | Weblog
こちら関西、特に大阪はうどんの文化である。ラーメンはあまり根付いているようではなく、手打ちそばの店が最近奈良でも増えてきた。しかし、若者を中心にラーメンが広まりつつある。

ラーメン好きの向きには悪いが、総じて私が入るラーメンの店は味がよくない。その理由として、私自身が、薄味を好むというのがあるが、ブタか鳥の骨からとったダシは、これ腐っているんじゃないかと思うようなにおいを立てるものを出す店もある。この店は、チェーン店であちこちにあるが、ここ数年は行くこともなかった。なぜなら、腹がすいているときに、通りがかりの道にその店を見ることがなかったからだ。ただ、今度の職場の近くに、その店がある。あの店に吸い込まれるのは時間の問題か?

大阪の北区に「揚子江ラーメン」という店があった。最近、大阪の北区はどこも再開発が盛んで、ビルが次から次へとつぶされては、建てられる。その再開発の波に飲み込まれて、その店も消えたと思った。最後に行ったのが、後輩たちと飲みに行った帰りで、思い出深い。

残念に思っていたら、割と近くでひっそりと店を出していた。店員のイントネーションから、生粋の中国人だとわかる。

本当に揚子江の周辺でこんなラーメンを食べるのかどうかわからないし、あの川も相当な長さを誇るから、一概にこのラーメンをその流域で食べているとはおもえないが、薄味で春菊が入って、細い麺はまさしく私好みの味である。

あの川にはワニがいるらしい、名前はそのものズバリ「ヨウスコウワニ」ワニの生息する北限らしく、冬には冬眠するそうだ。店には何の関係もないが。

額に汗して働くことと、株式投資

2005年06月27日 23時25分04秒 | ニュース
「出版屋の仕事」主宰のタミオさんからバトンを渡された。お題と条件はフォントと内容の一部を英語で書くこと。えらいこっちゃと思ったが、たってのご要望、お答えしないわけにもいかない。ネタを考えるので、もうしばらくお待ちを。

本日のお題。日曜日の新聞で読んだ。明星食品の社長がリストラを進め、社内開発を盛んに行って、ようやく再建が出来てきたかと思えば、村上ファンドが株を多数所有し、乗り込んできて、株主としてさんざん要求したあげくに、利益を得て、とっとと手放したことに憤りを覚えた社長のコメントの中に見た。「金を動かすだけで、利益を得る。額に汗して働くこととがアホらしいと思わせるような社会になっている。」しかし、リストラが行われたことは確かだし、そういった彼らから、「額に汗してはたらくこと」を奪うようなことを過去に行ったのも事実。リストラされた社員が、自分の所属した会社の株を買いあさるような事態になれば、もう少し何かが変わるのかもしれない。実際には、多くの立場があって、どの立場が正論かなんて、判断しようがない。

こんなことを考えるのも、本屋勤務時代にある事件が起こったことに由来する。
夕方の忙しいさなか、新店開店で店を見に来た、もう70過ぎの自分の会社の社長が、女性社員だけ誘って、お茶を飲みに行った。残った男性社員はオロオロするばかり、私はレジにずっと張り付いていたから、ことの状況が見えなかった。日和見的なほかの男性社員は、お茶を濁したような言葉で私に説明する。正直、怒りがこみ上げてきた「社長を遊ばせるために、額に汗して働いているのではない」と。

私にしてみれば、放漫な経営を行う社長よりも、目的持って会社を買収し(金を得るのも十分な目的だ)、抜本的に改革しようとするこうした黒船のような存在の方がずっといいように思う。それにしても、本当の所、いまの日本に必要なのは、経営関連のビジネス書を読むことや自分で会社をおこし、社長になることよりも、マルクスの『資本論』を読んで、あの類の社会変革を行うことを目指す人間をある一定数出さなければならないことかもしれない。

夏日大行進

2005年06月26日 23時24分16秒 | Weblog
夏といえば毎日暑い日が続く。当然だが、今日は夏日なんて簡単にわかるものではない。何らかの情報を得て、今現在の暑さを感じて、ようやくわかる訳だ。だから、外部から今現在の温度がどのくらいかというような判断基準となる「情報」がないと、今日はとりわけ暑い日などという判断が下せる訳でもなく、毎日暑い日の延長の暑い日というくらいに感じるものである。

今日の朝刊を見ると、昨日はものすごい「夏日」で全国で熱射病にかかった人が多く出たそうだ。この場合も、新聞を見て、「昨日はすごい暑さだったらしい。」というのがようやくわかるのである。

私もそんな恐怖の夏日の昨日、炎天直下で長距離を歩いてきた。冷房の効いたところから出たら、10分くらいはケロッとしていられるが、11分になると汗が出始める。さて、こんなときはコンビ二でペットボトルのお茶を買う。最初は冷たいが、そのうちぬるくなってくる。鞄に入れて歩いて移動するから、泡がたってくる。

これまでも緑茶、ウーロン茶、麦茶、その他のお茶などいろいろ飲み比べたが、相対的に緑茶は苦みがあって、なかには飲みにくいものがある。特に炎天直下でノドが乾きだすと、水ならなんでもいいという判断の他に、その味が以外にも敏感に感じる事が多くなる。それで飲んだ昨日のカルピスブランドの緑茶は、あまりよくなかった。メーカにしても、試飲テストなどのからからにノドが乾いたときに飲ませるというようなテストは行っていないだろう。面白い結果が出そうだ。

キネツカ

2005年06月24日 22時45分18秒 | Weblog
仕事でDTP関連をする傍ら、フランス語の翻訳も行っている。

「なんで・・・」という方もいるかもしれないが、多言語マニュアルの制作を中心にした会社だから、という説明で納得いただけると思う。確かに数十ページくらいの本文になると、本物の専門家や精度の高い翻訳ソフトが必要になるが、A4一枚くらいのレターの翻訳も業務の一環として行い、その場で翻訳すれば簡単に済み、早く仕上がって、特急料金として高く取れる。さすがに最初やりだした頃は、何年も使っていなかった道具だから、大変だったが、基本的に仏和辞典一冊あれば、充分事足りる。

それにしても、研究者志願のときは覚悟はしていたが、そこから離れるともう縁がないと考えていたから、翻訳で金がもらえるなんて意外である。それも対して難しくない内容を訳して喜ばれるのだからすごいもんである。

フランス語は大学の時に習った。英語の成績が悪く歴史関係の学科に入れなかった。志望順位で低かった学科に入ることが出来たのだが、根本的に英語の成績が悪かったから、最初は地獄の底にいるようなものだった。語学系は出席が厳しいから、毎回出なければならないのだが、出れば確実に文法の問題に答えさせられたり、訳を読まさせられたりしていた。だから毎日辞書を引かなければならなかった。授業は辞書持参。結構重い。仏文科の先生方は、文学部の花形学科の頃に入学した人が多かったから、人気が下がり、出来の悪い学生が多く入るようになって、さぞかし歯がゆい思いをしただろう。

4年間ばっちり勉強させられ、卒業証書をもらった。それでも人様から金をもらえるような実力ではなかったと思う。その後あまり縁がなかったが、ここに至って、金を稼ぐ道具になり始めた。人生とは不思議なものである。

Adobe FrameMaker7.1

2005年06月23日 23時57分29秒 | DTP/Web
のっけからソリッドな話でなんだが、1990年代の後半、アメリカのアドビ社は経営難にあり、Illustratorの販売実績が伸びず、クオーク社に吸収合併されるうわさがあった。かなり深刻な問題で、多くの人は8割以上決定事項だと考えていた。実際にはその後持ち直したが、アメリカでも経営問題から立ち直るような会社はほとんどない。

現実問題として、こうしたプリプレス(印刷)系のソフトを取り扱っている会社は、お絵かきやフォトレタッチのソフトで食っているのではなく、本を作り管理できるソフトで成り立っている。
そのためか、アドビは長年、出版物管理のソフトを持たないことにコンプレックスを抱き、2000年の初頭には、この系統のソフトの開発・販売を行うあちこちの会社を吸収合併などで傘下におさめ、その技術を自分のものにしていった。その結果、良く似たソフトがアドビから出ることになり、かえって市場を混乱に陥れた。

そのソフトの名前は、それぞれ「ページメーカー」「インデザイン」「フレームメーカー」である。それぞれ良く似ているのだが、前から順に家庭用、一般的な会社・印刷会社、マニュアル制作などの大規模制作系などに市場を分けていた。どの程度の違いがあるのかわからないが・・・。

しかし、それでも問題がおこり、最近では「インデザイン」を中心にして販売しているみたいだ。

仕事でそのうちの一つ、「フレームメーカー」を使うことになり、勉強している。使い勝手は、やはり「インデザイン」などと比べて使いにくいような部分もある。ショートカットキーの適用範囲が狭いのも問題だ。だからいちいちメニューをマウスでクリックしなければならない。ここ3日ほど勉強しているが、なかなかなじまないなあと思っていたら、今日の昼くらいから急にわかるようになった。根本的に、この種のソフトは一つ覚えたら、その知識が他にも使えるのだ。

夏至とカゼ

2005年06月22日 22時27分51秒 | Weblog
昨日は夏至だったらしい。毎年のようにこの日付を6月か7月で間違うが、正確には6月の20日過ぎくらいだ。もう昼の時間が延々長い。19時半でも空は少し明るかった。

季節の変わり目にカゼをひく人が多いが、この変わり目というのがその年によって、長くなったり、短くなったりと色々だ。今年はなかなか暑くならないようにも感じる。昼は確かに暑いのだが、夜になると風が吹いてきて、寒いときもある。妹がカゼを引いた。窓をあけて寝ていたからだという。正直申し上げて、あまり寝相の良い人じゃないから、上にかぶっていたものがどこかへ行ったというのが真相だろう。こっちはしっかりかぶって寝ている。

そういえば、少し寒いとすぐにのどの調子が悪くなったものだが、今年はそういう気配がない。
年を取った反面、体力がついたのかも知れない。
ラッキー

ヒマな文化(書評:ピエール・ロチ『お菊さん』岩波文庫 1929)

2005年06月21日 22時57分47秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
今回のタイトルは「ヒマな文化」である。社会学者が好みそうな「暇の文化」ではない。なぜ、このタイトルにしたのかというと、「暇の文化」だと結果的に、暇そのものを文化の一側面として研究し、その文化を礼賛する文章が社会学の論文に多い。しかし、そもそも日本の文化そのものが、ヒマであるとすれば、その本質を罵倒していると断じられても、礼賛していることにはならないだろうと判断したからである。

さて、ヒマとは何か。よく何もすることない時間のことと定義される。これだけならばいいが、暇だから、何かを行う。その行動の一つが「遊び」であろう。しかし、ヒマが遊びに転換できるのならば、そのヒマの本質は暇ではなかったということが出来るのである。言い直せば、ヒマの本質とは絶望的なくらい「何もすることなく過ぎ去っていく時間」なのである。

もはや現代の日本において、そうした空間の創出は不可能になった。

しかし、明治初期ぐらいの日本の様子を、『お菊さん』に見ていると、そうした空間が本当に広がっていたことを知らされる。なにもすることない、ただ時が過ぎていくだけ。

本書のストーリーはフランス海軍の軍人が、日本に来て「ヒマだからとりあえず現地の女性と結婚でもしてみようか」という発想から、2ヶ月ほど長崎で暮らしたというもの。要は、ヨーロッパ的な人間観(白人は世界でもっとも優秀な民族である)から、未開の土地の女性にはどのようなことをしても良いという発想から、女性を「買った」という内容になっている。ずるいのは濡れ場的なシーンがなく、ただ仏軍人が「良い人」を演じているように読めること。

まあ、行動の是非はともかく、100年近く前の日本は、ただ日常の生活を送ることがひたすら苦痛なくらい変化のないものとして描かれているくらい、ヒマが根付いていたことだ。実際読み手である私が、苦痛すら感じるのである。

この本を読んでわかったことは、日本文化の本質が、人に対して感動や怒り、悲しみを呼び起こさせるものではなく、ただひたすら「ヒマ」を感じさせるものであることだ。すなわちヒマ=文化なのだ。こんな淡白な文化、世界的に見ても、そう見当たらない。

都会のど真ん中の生活

2005年06月20日 23時25分47秒 | Weblog
今もこんな言葉が生きているのかどうかわからないが、「ドーナツ化現象」という単語がある。これは経済や産業、行政の中枢になる都市の周辺に、生活を行う場としての都市が出来上がり、そこから通うというリズムが生じた結果、中枢的な都市の純粋な生活人口が激減した事を言い表しているのである。

ビジネス街の真ん中で働いていると、時々、こんな事を考える。

ここに住居を構えたとする。とすると、八百屋や魚屋はどこへ行ったら良いのかという、いかにも所帯染みた問いである。近くを見ても延々ビルの並びである。全くと言っていいほど、生活のにおいがしない。以前、こんなビジネス街のど真ん中(大阪の本町である)に八百屋があって、ビックリした事があった。残念なことに、値段のチェックを忘れた。当然、客層のチェックも忘れた。

最近、どー見たって、生活がしにくいような場所に、マンションが建つ事が多い。「大阪市営地下鉄の降り口とマンションが直結!」のキャッチコピーが大きく書かれた分譲マンションのチラシをもらう事がある。こうした都会の住居をただ寝に帰るだけの場所として捉えることが出来ないのである。今通っている会社は、大阪・キタの繁華街と、天神祭りの舞台とも言える、天神橋筋商店街のちょうど中間地帯。近くに保育園があるらしく、子どもの声が聞こえる場所でもある。この辺なら、商店街に出て食材を買う事が出来るはず・・と思うような場所である。

懸賞論文

2005年06月19日 23時39分04秒 | Weblog
狙ったわけではないが、昨日の内容に関連した内容になった。

今朝、新聞(朝日新聞)を読んでいると、同志社大学を運営する同志社が創立130年を記念して懸賞論文を募集するらしい、最優秀賞は50万円で一名、優秀賞が20万円で2名、佳作が5万円で2名。内容は創立者、新島譲または同志社の歴史に関する自由研究となっている。かなり内容がしぼられてくる。枚数は400字50枚程度。卒論のレベルだ。

書けないこともないし、賞金も魅力的。本心はこっちが目的か。
内容も、私自身同志社に縁もゆかりもない人間だから、別な角度から書けといわれても書けるだろう。この種の論文で、あまり良い評価が出ないとしたら、おそらくその内容は同志社を礼賛した論文だろう。だとすると、よけいに書ける可能性が出てくる。

血が騒ぐ。

文章を書いて発表するなんて、大方ステータスや、何らかの利益を狙って行うことなのだろう。
だとすると、ブログにこうして文章を書く人が多いという事実は、少し不思議に思えてくる。