tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

父が退職した

2006年02月26日 00時17分32秒 | Weblog
戦後の日本経済の復活は、高度成長が絶好調に達した昭和25年の朝鮮戦争に伴うアメリカ軍事物資の大量発注・大量供給に伴って始まったとされる。

アメリカにおいてもあの1929年のウォール街の大破綻に契機を発した恐慌は瞬く間に全世界に及び、日本もその例外ではなかった。我々が教科書で習うところの、昭和初期の大商社である鈴木商店の破産と多額の融資を行っていた台湾銀行の破綻。社会における大混乱と銀行の取り付け騒ぎ。市場における紙幣の流通量の不足と高橋是清の政策による日本銀行から各銀行への融資策。そのときにあわてて印刷された紙幣は、裏の印刷がなかったそうだ。アメリカにおいては、ケインズ経済学を根拠とする社会公共事業による雇用の創出など行ったが、結局のところそれは社会経済の復活を完全に行ったものではなく、第二次世界大戦が始まるまで、アメリカ経済はずっと復活する事は無かったそうだ。

戦後日本は、戦争に参加する事なく、戦争に加担するする事によって、いくつかの好景気を生み出したが、少なくとも、高度経済成長もまた、そうした過程のなかで生み出されたものである事は間違いない。

父は、もう後5年くらいで高度経済成長が終わる時期に入社した。時代がまだ昭和であった頃であり、先帝(昭和天皇)が崩御する雰囲気などみじんも無かった頃である。

私が小さかった頃の父は仕事が忙しい人だった。しかしそれでも夜の10時くらいには帰宅していたと思う。今私の帰宅時間は11時くらいで、退社時刻が9時半から10時くらいだから、彼らの仕事が忙しいとはいえ、それなりに余裕もあったのだろう。当時父の会社は心斎橋にあった。御堂筋に面したそのビルは今で残っている。一階は確か私が小さかった頃は銀行だった。その後ゼロックスがはいり、今ではキンコーズになっている。

私が小学校に入っても、父の忙しさは相変わらずだった。夏休みでもまとまった休暇が取れないことなどザラで、どこにも行けないからと、母が奈良県立美術館へ連れて行ってくれた事がある。それでも父に行楽地へつれていってもらって、遊んだ記憶はたくさん残っている。父は家族こそ大切にしたが、自分の遊び方も忘れない人だった。エアーガンの趣味は、父から習った事だし、父はその他にも、地域のソフトボールの同好会に所属していた。若かった一時期、日曜の午前中は小学生の野球チームのコーチを行っていたし、午後からは先の同好会で野球を行うくらいだった。全く完成しなかったが、ラジコンのグライダーを作っていた時期もある。良く言えば趣味の多い人だったが、完全に達成したものは少ない。ちなみに、私はエアーガン関係の知人達と良く話をするが、大体その父親世代が多くの趣味を持っていて、遊びに「精通」すらしていたのに対し、我々の世代の貧困さを話の落とし所となる事が多い。しかも我々よりも下の世代にすれば、その貧困さはなおいっそう増す事になるため、遊び一般がもう絶滅にひんしているとも言えよう。

昭和も60年に入ろうとしていたころ、父の購入によって家にパソコンが来た、現在のGUI(グラフィカルインターフェイス)という、画面上のイラストをクリックするコンピュータではないから、簡単に取り付けるものではなかった。当時狭かった家の中に、不自然にも畳の部屋にホコリよけのカバーがかけられていて、なお一層気軽に使えるものではなかったが、父は時々それを開けては仕事をしていたと思う。仕事のストレスから、胃弱が起こり、彼が胃がんではないかと大騒ぎしたのもちょうどこの頃。

平成に入ると、彼は年若くしてもう既に部長にまでなっていた。重役クラスまで後少しだった。ある年、会社の研修で中南米からアメリカ、カナダへ移動してきたのもこのころだ。ちょうど家を建て増しした頃だった。

父に檄を飛ばしつづけた支店長が退任するとき、後任に父をつけたかったらしい。しかし、年功序列を考えれば、周囲などの妬みもあって、簡単に付けない。彼に与えられたのは副支店長の椅子だった。このまま行けば彼が定年を60で迎えるのは確かだったが、年齢が上がっていくにつれ、上にいた人間を異動させ、最終的に父に取締役と支店長の椅子が与えられた。もう6、7年前の話だったと思う。そして先日、父は株主総会で、円満に退任する挨拶をする事になった。

高度成長やその後訪れた不況や好況の波に左右されながらも、彼らの世代は相対的に、会社に勤めることで幸福が保証された人生を送ってきたのだと思う。それに反して我々はそれほど恵まれた状況にある訳ではない。しかし、私はこの事を「早く生まれたからトク、遅く生まれたからソン」というようには考えない。その証拠に妹が生まれた頃、彼は会社を辞めたいと言っていたそうだ。辞めていれば、全く違った人生になっていただろう。少なくとも、それぞれの世代が行っている事であり同じ行為でもあるのだが、「手探り」で人生進んでいる事なのだと思う。

私が彼から学んだことである。

本日何日?

2006年02月25日 15時58分02秒 | Weblog
はいみなさん今晩は。じゃない、まだ日が高いから、こんにちは。すっかり感覚をなくしています。

昨日は残業のそのまた先にある、徹夜作業をしてきました。昨日の午前中は用事で休みをもらったので、お昼12時スタートでしたが、そこからはじまって、延々17時間働いてきました。もう5時半過ぎに朝日が昇る時期なのですね。会社のマドから、日の出を眺めてきました。

かくも、徹夜作業を行ったのは、休日出勤を言われたから。莫大な仕事で休日にさいなまれるのもイヤなので、徹夜でがんばり、土日はゆっくりの作戦に出ました。と言うわけで、昨日の夜はずっと1人で会社に泊まり。朝方、仮眠を空いた机の上で行いましたが、それも二時間程度でした。先ほどお昼1時過ぎに帰ってきて、ようやく風呂にも入りました。少し眠いが、ドロドロに眠いわけでもないので、散髪にでも行って来ようか?

人の振り見てわが振りなおせ

2006年02月23日 22時47分41秒 | Weblog
一ヶ月に130時間も残業して、ケロッとしている人がいる。サイバーエージェントの藤田さんはまさしくそのような人だ。その半面で、仕事が過ぎて、病気になってしまう人もいる。私の場合、今月の残業時間は80.25時間になった。コンスタントに一日4時間ぐらいしていることになる。ちなみに帰宅を考えた場合の残業は、時間的制限が付きまとう。終電の時刻に拘束されるからだ。だから、就業の終了時刻が遅いほど、残業時間が短くなることになる。周囲で徹夜作業を行う人はいないはずだが、いちいち確認するわけでもないから、本当に居残っている人も時々いるかもしれない。

さて、ここまで長時間働くと体のどこかがおかしくなってくる。私の場合、熱こそ出ないがここ一週間ほど咳が出て、鼻水がでる症状が出ている。おまけに口の中には月のクレーターのような口内炎まで出来た。だからあまり集中して仕事が出来ない。

校正はじっと原稿を見て、間違いやレイアウトの問題を指摘する作業だから、だんだん眠くなる。人によってはコーヒーをがぶ飲みする。多い人は一日10杯は軽く行く。あれやると私の場合確実に口内炎が悪化するから、あまりやらない。ミルクや砂糖を入れると、年取ってから確実に成人病の原因にもなる。ちなみにコーヒーはドリップ式よりも、インスタントのほうがはるかに胃腸に負担をかけるものらしい。

もう一つの仕事はフィルムの検版だ。印刷は最近ではパソコンと印刷機械をダイレクトにつなげて行うCTP(コンピュータ・トウ・プレート)と言う方法が多くなっているが、それは関西の話で、関東や海外ではまだまだフィルムを用いて印刷する方法が取られている。クライアントの要望でフィルムを作るが、これの文字かすれやなどがないか。コピーを取るとかの仕事がある。この仕事はこの時期、契約社員になるための試用期間として雇用したアルバイトの方にやってもらっているが、その事件はそんな場で起こった。

我々は、校正のほうに手を取られているから、アルバイトの方にまかせっきりだが、情報の伝達がうまくいかなかったことと、なれない仕事のストレスから言い争いが起こった。中でも、一番キレたのが36歳の男性の方だった。相手に対して意見を言わせず、自分の主張のみを言う姿に、現場に立ち会って話を聞いているわけでもなく、原稿を眺めながらただ聞いているだけの私たちのほうでもあぜんとする。しかし、論理的思考も何もなく、ただまくし立てているだけだった。実はえんえんしゃべる人間はぼろを出しやすく、自分から潰れることも多いが、決定的にそのパターンだった。

事件が起こったのが火曜日のこと。その人は水曜日は通常の休暇をとられて、木曜日も風邪で欠席していた。もともとその人は前の勤め先で、仕事の多さから体を壊した人だから、今度の「仕事」でも体を壊したのかもしれない。現実問題、2.3日働いて、高熱を出して欠席し、そのままいなくなった人もいる。私は何とか続けているが、それだけキツイ仕事なのだろう。

あの人も出てくるかどうかを会社のみんなで話している。

ついに一周年!

2006年02月16日 15時30分57秒 | Weblog
今日でこのブログは一周年。

就職先が決まらず、面接に行って、「とりあえずブログでも作ってみたら」の一言で書き出したブログ。書き続けて、ついに一周年となった。去年の今日開始である。あのころ、時間だけがとにかくあって、通帳の残高がほとんど存在しないものだった。それが今では逆転し、家に帰ってからの時間がほとんど存在しない。

家にいる時間が短く、2日もかけないときは、このブログを店じまいしようかと思ったことがある。ブログの大部分は閉鎖するのではなくて、書かなくなり、幽霊ブログとなる。残念な話だが事実だ。実は、とあるホームページ作成会社に面接に行ったとき、そこの社員さんはブログを一週間で放り出したそうだ。何よりもその会社は、ホームページに自分の半生を書き込み公開することを売りとしていたが、近年のブログの発展で誰でも簡単に書き込むことができるシステムが実現したから、仕事を奪われた形となった。まあ、ブログを嫌うのもわからないこともない。単に面倒くさいのかもしれないが、書くには文章ネタが必要で、そのネタが無尽蔵なくらいなければ、ほぼ連日のブログは続かない。やはり、絵を主体としたデザイナーと文章を主体としたライターは別の性質の人間なのかとも思う。

でも絵だけのホームページはないし、文字だけのホームページはあっても人気がない。だとすると、両方の実力が必要なのだろう。

技術面の話などどうでもよく、結局のところ、ここまで続けてこれたのも、少なくない数の人々に読んでもらっているからだ。毎日出される閲覧者数は、結構励みになっている。

まだまだ書かねばならないことは多い。これからもよろしく。

夜ずっぱりでショック

2006年02月15日 00時25分10秒 | Weblog
小学生のころよく読んだまんがは、藤子不二夫の作品だった。
その中の一つに、「ウメボシ殿下」という話がある。
「ウメ星」という星一つを統治する王族が、住む星の大爆発で追われ、地球の日本のごく平凡な家庭に無理やり居候するという話だが、その中に、アポロ計画で人類が月面に立つ歴史的なエピソードを組み込んだ話がある。

言うまでもなく、アポロ計画で動いた人々は、アメリカの時間に合わせて動くわけだから、日本で当時中継を見ようものならば、夜中である。藤子作品には必ず少年が登場するが(「ドラえもん」ののび太、「オバQ」の正太、「パーマン」のミツオなど)、やはり出てきていて、夜更かしを母親にしかられていたのを覚えている。(コミックの現物を持っていた記憶がない)

ところで、いまオリンピックを行っているが、こちらの中継も夜中が多い。

職場の隣に座るヨシダさんは、通常定時が18時半であるのに対して、17時半で帰られる。子供さんを保育園まで迎えに行かなければならないからだ。旦那さんは、イタリア料理とバーの組み合わせの店に勤めているから、お昼過ぎに家を出て、夜中の3時が定時らしい。だから、子供を寝かせた9時以降は開いていて、いま仕事が忙しい事もあって、材料を持って帰ってもらい、家でチェックをしてもらっている。うちの会社でも、遠くから来る人がいるが、極端な残業が出来ないと言う人は、家で作業をするというパターンがここ2週間ほどの間続いている。勿論、家でもやった分残業をつけることにしているのでご安心を。

ちなみに残業は月30時間までしかつかない。締めまで一週間を残し、今月私は60時間以上しているが、世間のあり方から見れば、少ないのか、多いのか?

話を戻して、ヨシダさんは夜の2時半までしているらしい。かなりしんどいのじゃないの?と聞くと、最近はオリンピックのせいで、3時くらいまで起きているとか。いやいやすごいですな、ちなみに睡眠時間は4時間もないとか。

うちの会社も風邪で調子の悪い人が多い。それ以上に人手が足らず、急遽4人増員することになった。あまり周囲ではオリンピックの話題に触れる人がいない。

日本勢の調子は本当に良くないね。ヨシダさんも、遅くまでがんばっているけど、ショックを受けるために、夜更かししているようなものだと言っていた。

紀元節

2006年02月12日 01時17分56秒 | Weblog
エアーガン規制のヘビーな話が続いたのでその関連は少しお休み。
今日はいつものズッコケ日記だ。

さて、昨日2月11日は建国記念日。国民の祝日に家の軒先を見ると日の丸をかけている家が多くある。最近はこういう家が多くなってきた。うちでもかけようかといっているくらいだ。

かつては紀元節(きげんせつ)と呼ばれた日。その由来は、初代神武天皇が、奈良の南にある橿原神宮(かしわらじんぐう)で即位した日と言うことだ。ただし、神武天皇が実在したなら、縄文時代中期の人と言うことになるらしく、実在の可能性は極めて薄いらしい。

ちなみに、この神聖なる記念すべき日(自分で言っていて笑える)、この橿原神宮には、多くの右翼関係者が集まり、盛大に祝うらしい。妹の前に務めていた会社の部長は、右翼ではなかったけど、これほどまでに精神的かつ厳粛な儀式(時代錯誤とも言う)を見ていると面白いといって、毎年「見物」に行くとか。

そういえば、昨年は日露戦争から100年目と言うことで、なんか良くわからないが、「日露戦争戦勝100年記念」パーティーと言うものが東京で開かれたらしい。雑誌で見たのだが、一体どこの団体が主催し、どんな人々が集まったのか良くわからないが、若い人が多いのが印象的だった。この時代は司馬遼太郎が「坂の上の雲」で描いていて、この本は、大国に日本が勝ち、エネルギッシュに動いた時代として印象的に取り扱われる。ある意味では、不況が長引き、自信を失った今日の日本と比較して、「古き良き時代」と言うように取り扱われるのだが、他国侵略で自信を持つようなチャチなアイデンティティを称揚するならば、その思考に関しては、あまり良い印象をもてない。だから、私はいまだこの本を読んだことはない。

なんか良くわからなくなった。とにかく、建国記念日だったので、右翼関連の話を二つしただけだ。

ちなみに今日は、家族とそばを食べに行って来た。奈良では最近蕎麦屋が増えてきた。玉石混交だが、なじみの店が何件かある。今日行ったところは初めてのところ。店の前は「蕎麦きり 彦衛門」(奈良市あやめ池南6丁目5-38 0742-53-3697)。新しい店だが、インテリアにこっていて、現代風でもなく昔風でもない、和風のたたずまいだ。蕎麦は絹びきとあらびきの二つにおろしやかもなんなどをそろえている。蕎麦の太さは不均等だが、かたさと味はなかなか良い。メニューを見ても、蕎麦屋の範疇を逸脱していない。ひどい場合には、天丼セットなんていう店もあるから注意だ。この近くにも蕎麦屋でスタートした店があったが、二回目に行った時はひどく味が落ち、お昼の天丼セットなんていうのがあった。今日近くを通ったら、店がなくなっていた。そんなもんだろう。

書評:畠中恵『しゃばけ』(新潮社 2001年)

2006年02月05日 23時50分46秒 | Weblog
(受賞データ:第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作(2001年度))

参考ホームページ:しゃばけ同盟
しゃばけ倶楽部 -バーチャル長崎屋ー

大阪の旭屋本店を見てみると、一階は雑誌と文芸書のコーナーで、入り口を入ると文芸書が置かれているコーナーが出迎える形になる。本書は2001年の暮れの発刊だが、その後、この中に出てきた登場人物を再登場させて、シリーズ化しているようだ。それを知ったのは旭屋本店の文芸書コーナーで面展(表紙を見せて置くこと。平台に置く方法と壁に設置したラックに置く方法の二つがある。)していたからである。自分でも意外だが、大体の文芸書を普通の書店で買う。そしてまた、後々売り払う事無く、手元に置く事が多い。特にこの傾向は、日本ファンタジーノベル大賞の作品に多い。ただ、自分の期待に反して、作品の当たり外れが大きく、最近はタイトルと読み出しで見送って、古本屋で買う事も多い。本書はその一冊だ。ただ、文庫本と同じく、文芸書もまた、版元品切れになる事が多いから、中には古本屋でしか手に入れようがなかったものもある。

さて、表題の本書。

江戸時代の江戸というごく普通の空間を場所として設定している。しかも登場人物は江戸の大店(おおだな)の若旦那(17歳)という設定。ありがちだが金持ちの坊ちゃんであり、体が弱く親を含めた周囲にいつも心配させるという設定。しかし、先にも言った金持ちの坊ちゃんのもう一つの顔、すなわち「いじわる」という性格ではなく、周囲を思いやる心優しいという設定だ。

さあて、彼の周囲が少し複雑だ。実は彼の周囲には、祖父がどこからとも無くつれてきたかなり妖術の強い妖(あやかし)がいて、彼の世話を焼く事を中心に、店の手代として切り盛りしている。他にもいろんな妖がたくさん出てくる。

ある晩、周囲には内緒で出かけた若旦那は、殺しの現場を目撃してしまう。そこから起こる不可解な連続殺人。だがそれは若旦那を狙うための序章に過ぎなかった。犯人は誰か、人なのか、何が目的なのか。が大きなストーリーだ。

選考委員はそのストーリー故に、極めて大笑いできる作品と言うふれこみだったが、それ以上に、読み手を引き込むような魔力を持つ作品となっている。むしろ、幼稚な部分が無いくらいだ。

あと、若旦那の心理描写も細かい。しかし、話の中核は、過保護に育てられてきた若旦那の、自立の過程をかたるものであり、それが事件の解決へと導く流れとなっている。読んでいてスカッとする話。それが欲しくて読んだようなものだ。

本当に人気がある作品だというのがわかる。ファンタジーノベルというよりも、江戸時代を舞台にした推理小説と考えてもらえば良い。本当に面白い話として推薦する。

現在は文庫でも手に入れる事が出来る。

節分

2006年02月04日 23時51分12秒 | Weblog
ええと・・・。

写真は別段、前衛芸術の作品でも、悪趣味なオブジェでもない。これを風習としてしている場所がある。母はその事をどこかで聞いて知っていた。私は、昔からこの時期になると、こういった風習があることを聞かされたが、実際に彼女が制作したのは、初めてだ。

写真は柊(ひいらぎ)の葉とイワシの頭である。

2月3日は、節分で各地で鬼を追いかける豆まきがあり、割と新しい習慣で、寿司ののり巻きの丸かぶりがあるが、こちらの習慣は結構古く、柊の葉とイワシの頭を差して玄関先などに置いておく。

その意味は、柊の葉は鬼の目にくっついて見えなくする。イワシの頭はくさいので、鬼が寄って来ないというものである。ともに鬼よけの風習を現したものである。

昨日の夜は、のり巻きとイワシの焼き魚が出てきた。柊の枝に刺してあるのはイワシの頭だ。通常、イワシは食事の際、左頭に腹手前で出されるから、生のまま枝に刺す事は無いだろう。そして食べた後のイワシを差していたと考えて、このようにした。焼いた魚の頭をさしておいてから、人間には臭いものでもなんでもない。

ろくろく使わないうちにバージョンアップ?

2006年02月03日 16時20分29秒 | DTP/Web
Adobeが昨年、自社のデザインソフトを一新したのは、このブログで紹介した。さらに、11月には、Adobeに買収されたMacromediaからウェブ系のソフトが一新された。

いまさっきまで、価格ドットコムをのぞいて、これらの製品の価格などを見ていた。あまり安いとはいいがたい。

このうち、今もっているAdobeの製品は学校を通じて買ったものだから、アカデミックバージョンで、安く手に入った・・・といっても6万円以上払ったとはいえ、純正品である。反面、Macromediaの製品は、そうではない。仔細は省くとして、Macromediaのバージョンアップを果たすには、アップグレードバージョンを買うのではなく、製品版を買わなければならない。なぜなら、アップグレードにはユーザの登録が必要だったからだ。いまでは、ネットを通じたライセンス認証を行うから、違法なインストールは出来ない。私の状況における何かをほとんど語っているような気もするが。

ただ、少し考えてみる。

本当に自分は使い倒したといえるくらい使ったのかという疑問である。そして、バージョンアップまでしなければならないのか?

かつては、かなり使っている口だったが、最近はあまり使っていないのではないかと思う。そういえば(思い出すほどのことではないが。)Macromediaの製品を使ってホームページを作ったのも大分昔だ。実は、ある時期から、ホームページの更新をためらうようになった。使い勝手が悪いからだ。いやソフトではない。肝心のホームページのほうだ。テキストが長くなるから、出版物を意識して、スタイルシートで制御したといっても、所詮は長い。これが問題だ。あと、もともとテンプレートを用いた製作をしていないから、統一性を図るとなると、かなり神経を使うし、横のメニューの増加を行うのは、もっと厄介だからだ。

これには、もう少しつっこんでドリームウィーバーを勉強しなければならない。これまでは、フラッシュとファイアーワークスを勉強するだけだったし、ドリームウィーバーは、特別知識がなくとも、それなりに使うことができるからだ。

印刷物を作るイラストレーターも、実際に使う機能がそろっているのは、98年に出されたバージョン8で、これで充分と言う人もいるくらいだ。今のは、無用の機能の拡張という話もある。

決して安いものではないから、少し考えなくてはならない。

フィンランドの大統領

2006年02月01日 01時09分29秒 | ニュース
フィンランド ハロネン大統領が再選 (産経新聞) - goo ニュース

衛星放送や、インターネットの普及に伴い、私たちは、瞬時に世界中の情報を手に入れる事が出来るようになった。だが、その反面、日本や、その周辺国、あるいは西ヨーロッパの先進国の首相や大統領の顔や名前がわかる我々でも、東ヨーロッパや北欧、あるいは東南アジアやアフリカの元首の名前となるとわからない事の方が多いのではないかと思う。

昨日今日と仕事が落ち着いて、割と早く帰宅する事が出来るようになった、火曜日は「アンフェア」というドラマを見る事が多い。でも昨日月曜日は、結局何も見る(見たい)番組がなくて、ボーっとBSのニュースを見ていた。時間的に世界中のニュースを行う時間帯だったが、ただ、事件や情報のみを延々垂れ流しているのでなく、特集というのが組まれる。じっと見ていると、時間的制限やインタビューや内容を充実させたいばかりに「広く浅く」型の制作が行われていて、内容に不満が出てくる。ニュース番組にありがちなのだが、インタビューをした人々も、実際には偏った内容になっているのではないかと考えてしまうのである。

それでも、ある特定の国の状況が断片的に入ってくるから、まあ面白い。

ところで、昨日の特集はフィンランドの大統領選の内容であった。

北欧の中立国フィンランド。この国の言葉で書かれた家電製品のマニュアルを何度か校正したが、完全に北欧圏やヨーロッパ全体と比較しても言語体系が異なる。戦前より、隣国のソ連(ロシア)の侵略を受けており、西側にも東側にも属さない中立化は国家としての独立を維持するのにやむ得ない判断であった。資本主義国でこそあるが、自動小銃などの火器類の内容を見る限り、ロシアに傾いた装備となっている。

冷戦後、この国は、EU(ヨーロッパ連合)に加入する道を選んだ。しかし、中立は維持されたままである。

この国の現在の大統領は女性である。今回の選挙で二期目となった。EUへの加盟も熱心で、中立も行う事を公言している。対立候補は男性だった。NATOへの加盟を推進しているが、EUからは外れる姿勢を示している。ヨーロッパのどこの国も同じように、この国も失業率が高いが、雇用の確保を公言していた。

実はこの国の零細農家や労働者の間では、EUに加盟する事で失ったものが多いと言う意見が根強い。これが対立候補の支持基盤となっている。一方、二期目の大統領となった情勢候補は、老人や福祉関係の支持基盤が非常に強い。だが、これも短い時間でまとめあげられた内容であり、本当に議論がかみ合っているのかどうかも不明瞭な部分が多い

選挙の結果は、男性候補対女性候補で、48対52という接戦であった。ほとんどこの国の国民が二つに割れていると見ても過言ではない。

日本でも、昨年衆議院選挙があったが、ほとんどの有権者が自民に傾いた事を念頭に置けば、この数字がいかにすごいものであったかがわかるであろう。同時に私にしてみれば、小泉さんに対抗できる本当に明確な政策を打ち出せる人間がいないのである。いや、それ以前に本当に政策議論を行い、対立候補との明確な差別化を行えるほど、「単純な」政策課題があるのかどうかもまた疑問ではある。