tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

閉鎖的集団の選定する論文とは?

2005年06月18日 23時42分39秒 | Weblog
えらい作家先生の選ぶ作品が、必ずしも書店の売り上げに貢献するものではないというのを、ようやく出版社の方でも気付いたらしい。その発端が「本屋大賞」とかいう賞だとか。

普通のサラリーマンをしていた人が小説を書いて、新人賞などに応募するとそれが入選して、そこから作家デビューが始まる事が多くある。私の場合、もう評価の定まった19世紀くらいの外国文学や、日本近代小説を読む事が多いから、芥川賞とか直木賞などにはそれほど興味がない。たまたま高校生の時からスタートした日本ファンタージーノベル大賞は大体本を買って持っているから、これくらいが興味の範囲だ。あまり知らない人が多いかもしれないが、あの恩田陸『六番目の小夜子』はこの賞の最終選考落選から本で出してみないかと言われたらしいし、佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』もこの賞でデビューした。ただ、後々作家と賞の主催である新潮社がもめ事を起こす例が後を絶たず、一部には非常に評価が悪い。たとえば、芥川賞の『日蝕』は佐藤亜紀の『鏡の影』の剽窃という噂がある。新潮社は芥川賞の『日蝕』を重視したため、佐藤氏の一切の契約を破棄したらしい。このあたりの事は、ホームページなどでよく報告がされている。

こないだ、京都の小さな出版社の雑誌を買った。タイトルは『Becoming』。人間学を中心とした雑誌で、年二回発行。同人誌という位置づけで、主宰は社会学でも有名な作田啓一氏。装丁はシンプルだが、フォントをうまく使っていて、それなりに品が良い。掲載されている論文に興味があって、ネットで出版社を検索し、バックナンバーを取り寄せた。ちなみに本屋には置いていない。中を見ると大学の紀要みたいな体裁になっていた。本当に文字の羅列である。少なくとも同人誌として出している訳だから、内容も公募で得られた論文だと思ったが、どこにも論文募集なんて書いていない。本当に内輪だけの閉鎖的な本みたいだ。どんな基準で論文を選定したのかもわからない。後方に主宰の創刊の辞が載っているが、これを読んでも、外部からの研究論文を雑誌の形で出す事は「意味がない」という声に対して自分たちの声を広めるために創刊した、その事に意味があるという内容で載っているが、雑誌という公器が一部の閉鎖的な集団だけで運営され、執筆者もその集団だけというのは、学者の仕事としては、それほど褒められたものではないと考える。勿論、文学賞やこうした研究論文が、商業ベースでなければならないと言っているのではない。