tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

グラフィックデザインのゆくえ

2005年02月27日 23時42分18秒 | DTP/Web
通っているDTP・Webの専門学校に求人が来た。しかも、その会社の社長を招いて、会社説明会をしていただけるという。実はこの求人の対象年齢は、25歳くらいと書かれていて、私はここから大きく外れる。その求人が来たのは、先週の月曜日だった。最初、遠慮しようかと思ったが、後日、専門学校のキャリア・アドバイザーの方からメールをいただいて、勉強の意味合いもかねて、参加させていただくことになった。

この専門学校に入学するに当たって、そこの職員さんと話をしたが、当時(それでも1年半前であるが・・)私は、CADとDTPのどちらかを学ぶことを考えていた。この両者は、「絵を描く」ということにおいて同じで、仕事の接続性があると考えていたからだ。しかし、相談したところ、双方に接続性はなく、むしろDTPとWebの方に接続性あると。
その結果、以前「日本語組版について」(2005年2月18日)で少し書いたように、DTPの勉強をするわけだが、入学前のCADセミナーで2Dから3Dに制作の中心が移行してきていることを聞いていた。
昨年、バージョンアップしたAdobeIllustrator CSもまた、簡単な3D制作のメニューが追加されている。

その会社の社長さんはデザイナーでもあり、制作されたイラストも格段にレベルが高い。お話によれば、ロットリンク時代からのデザイン制作を行っていた方である。ペタッとした二次元的なグラフィックではもはや、クライアントも納得するものではなく、最近では視覚的な効果を考慮した、3Dを制作することに重点を置いているとのこと。またモノが売れない時代だから、売れるものを考案し、デザインによって、訴えていく、「プロダクト」的な要素の仕事も行っているそうだ。むしろ仕事の重点はこちらにシフトしつつある。そのため、本業の化粧品のパッケージを中心におきながら、シュレッターの設計図を書く人であり、同時に石鹸のパッケージや製品化や、付随するブランドイメージの新規製作も行っているという。完全に「企画・制作」を行える会社である。

また話が大きくなると困るので、3Dに話をしぼろう。改めて見せていただくと、3Dの表現は本当に説得力のあるものだった。これでプレゼンを行えば、確かに受注できる可能性は大きい。それ以前に、この技術力は会社としての大きな武器となる。従って、3Dを勉強することは将来につながることになる。しかし、帰宅して先のIllustratorの3D機能を使って、制作してみると、確かに出来るのだか、色使いによっては、エッジが立たないものもあり、やはりペタッとした表現になることも多々あった。「光源の位置と色使い」これは非常に重要な要素であるが、そもそも立体に対する理解も重要で、その点では単なる「ソフトが使える」では作れないことも実感した。

千里の道も一歩から

2005年02月26日 11時12分31秒 | Weblog
今回の話のそもそもの発端は、朝日新聞の26日夕刊で、千里ニュータウンを取り上げたことから始まる。

千里ニュータウンとは大阪府が1950年代の終わりから計画、開発したニュータウンである。全国区的な話にしようと思えば、万国博覧会の姿に未来の形を見ることの出来た1970年の大阪万国博の会場となったことを紹介すべきか。

万国博覧会の跡地は、必ず公園、もしくは遊園地となる。その例に漏れず、この地もまた遊園地となった。エキスポランドという。ここへは確か、小学3年生の時にいった。イースター島から、かのモアイ像が運ばれてくると聞いて、父にせがんで見に行ったからである。あの時は地下鉄に乗っていき、千里中央駅からバスに乗った。それから、長いこと、この地のことは忘れていた。奈良住民だった私は大学に入るまで、大阪はミナミしか知らなかった。北の最果てとは言わないまでも、地下鉄御堂筋線の北の最終駅の存在は、完全に頭に無かった。私の通っていた大学は、阪急電鉄の阪急千里線の途中駅であった。従って、その線の終点まで行くことはなかった。ところがある時、その終点駅まで行くことになった。その理由は、当時受験を考えていた大学の大学院の最寄駅がその終着駅だったからである。

駅を降りて延々歩く。。歩いて25分くらいかかったと思う。千里ニュータウンといえば、団地を思い浮かべる人が多いと思う。団地が建設された当時の新聞には、屹立するコンクリートの団地を否定的な視点でとらえた作家の一文が載ったこともあるが、実際には一戸建ての、それもかなり広めの家がたくさん存在する。そんな中を抜けて歩いた。

とにかく遠かった

最寄りの駅でありながら、バスも無く、その大学まで25分も歩かなければならないのである。
その後、その大学の学生になったのでもないのに、何度か歩かされるはめになった。なれた道になっても25分は確実にかかるのである。

バスが出ていることを知った。しかし、それはさっきの終着駅ではなく、地下鉄の終着駅である千里中央からである。そこで、バスに乗った。

とにかく遠かった。

道が混むのである、これでは時間を常に気にして通わなければならない。とにかく疲れる。これも一回だけだったと思う。

そうこうしているうちに、モノレールが開通した。嬉々として乗ってみると、一時間あたりの本数が少なく、ある約束の時間に遅れそうになったことがある。

とにかく遠かった。ここまで来るとしつこい文言となるが・・・。

私が目指したその大学は、内部の大学院生がわざわざ専攻のホームページの一部を裂いてまで、大学院生の勧誘を行わなければならないほど、人が集まらなかった。わからなくもない。
結局、その大学とは完全に縁がなかった。入れば人生が変わったかもしれないが、内心ホッとしている。

いいすぎです

2005年02月25日 21時38分00秒 | Weblog
正月の話で古くなってしまい恐縮だが、初詣に行き、両親や妹と待ち合わせていると、目の前をある若い夫婦が言い合いしていた。旦那さんのかけてきたサングラスを奥さんの小さなバックにしまえと言って、奥さんが嫌がっているのである。

だんな 「これもっておけ」
奥さん 「いやや、どこにしまうの、自分で持っときいや」
だんな 「おまえのかばんにいれればいいんやろが」

亭主の言葉使いはかなり汚い。いいすぎだと思う。
そばには子供が二人いた。そのうち真似をするのだと思う。そうなると、相手を傷つける言葉を感情にまかせて使うのだろうと思う。

歳を取ると男性は頑固になる。昨日見た老夫婦はその典型で、やはり亭主は言葉使いが粗く、奥さんは困り顔である。
離婚が多い。年齢を問わずに起こっているが、はたから見て、男性の横暴さが目に付くのはどうしたものか。男性は結婚するとそういう風に変わるのか。

確定申告

2005年02月24日 23時13分42秒 | Weblog
確定申告に行ってきた。一昨年は転職で正社員から契約社員のコースへと変わったが、契約社員として在籍した会社は、正社員を多く雇えない分、契約社員の数が多く、また必要最低限の保証はきちんと行ってくれた。(社会保険など)。その会社にいるときは総務の人に書類を提出して、年末調整で確定申告を行わない方法をしてくれた。それ以前に、かなりの収入があった年だったから、帰ってきたお金は微々たるものだった。さて昨年は年末調整を行っていないので、個人で確定申告を行わなければならない。もっとも、税金を払うのではなく、国税還付金の請求である。これで、2万円近くが帰ってくることになる。助かった。
ちなみに、この日昼過ぎから雨が降り出した。税務署のある旧市内までは自転車で行ったから、帰りは冷たい雨を受けたが、折りたたみの傘を持っていたから、たいしたことは無かった。
10年くらい前に、地下鉄の工事現場でアルバイトをしていた時の収入がかなりあったから、その時、源泉徴収票を渡された。あの時の会場もプレハブだった。今回もプレハブだった。だが、書類作成の一部が電算化されていた。

春一番吹いた

2005年02月23日 19時28分20秒 | Weblog
今日は風が強い。ネット上の天気予報を見ると春一番が吹いたそうだ。このネット上の天気予報、新聞はもちろん、テレビや電話よりもずっと早く正確だ。当然だけど。でもアラスカのハンティングガイドはこうした天気予報を全くあてにしない。していたら命がいくつあっても足りないそうだ。だから自分の経験則で天気を予想する。まさしく命がけだ。天気予報の技術を公的な資格にした、そしてその難易度がやたら高いなどといっている、どこかの国よりも、ずっと生活に根付いた経験だ。

去年は台風が多く、以前いてた会社の正社員さん達は、仕事中にしょっちゅうこの天気予報にアクセスして見ていたようだ。私のところのパソコンもつながるようにはなっていたけど、ほとんど見ていなかった。だいたい、時給いくらで仕事していたから、「台風が来て危険ですから、帰宅してください」などと言われると、「商売あがったり」である。実際たいした台風でもないのに、帰らされたときもあったし、夕方からデザインの学校があったから、それまで無理に時間をつぶしたときがあった。一度すごい台風が来て、これはヤバいと思って帰ると、帰る途中の阪神百貨店や、阪急百貨店が早々と昼の15時過ぎに店を閉めていたときもあった。15時くらいなのに、通勤ラッシュで電車はすごい人だった。今年はもう少し穏やかだったらいいのだが。それ以前に、台風がこようが、納期が迫って家に帰れないくらいの仕事がしたい。

これだけ風が強いと、ぼちぼち花粉症の心配が出てくる。この花粉症にかかったのは9歳ぐらいのときからだった。ここ数年は、会社の中や家の中にいることが多いから、それほどひどくはない。

都会のジャングル

2005年02月22日 17時08分06秒 | Weblog
昨日、大阪市内を歩いていると、前を歩いていた人が横断歩道で方位磁石を持って眺めていた。大阪の町は碁盤の目のようになっているから、土地勘があればすぐに北や西の方角がわかるし、その土地勘を身に付けるのも、それほど難しいものではない。だから、趣味で持っているのだろう。そういえば、パリの地下鉄で方向に迷った友人の体験を聞いた先生は、方位磁石を持っていくようにといっていた。
町並みで方角がわかるというのは、少し心もとないことでもある。地震で崩壊すると、それだけでわからなくなることを意味する。また町並みの変化も激しい。よく同地点を撮影した昔と現在の写真を見ることがあるが、まったく変わっているからだ。我々の記憶もそれほど当てにならない。そう考えると、砂漠やジャングルとそう変わらない。

「書店店員になるためには」の彼岸

2005年02月22日 16時54分23秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
イントロダクション
真実を伝えることは非常に重要だが、すべての真実を伝えることは非常に難しい。むしろ不可能であるという事実に気づかねばならない。そのような視点から見ると、ジュンク堂のHPにある仕事を知るは、書店の仕事を知る上で非常に参考になるという言葉以上の意義を持つ。しかし、すべての真実を伝えることが不可能であるといったように、このHPもまた、書店の仕事の一部しか伝えていないように思われる。

何を伝えていないのか?
書店社員の仕事のもう一つの柱である、「書店の経営」をつまびらかにするという側面である。
この店では売り上げがいくらあって、人件費がいくらあるかというような問題である。
そう考えると、かのHPの内容では、正社員の仕事を紹介しているようでいて、実際はパート・バイトの仕事を紹介しているだけのものとなる。
先ごろ、日本語組版の内容で書いたところ、とある出版社の方から、コメントをいただいた、そのなかで、本の原価や取次ぎの取り分などを書かれていた。そこに触発されての投稿である。

売り上げや人件費の方へ
一冊の本がある。書店の社員に対しては、その定価の22%が自分たちの取り分、利益であると説明がなされる。もちろんこのパーセンテージは少し移動すると思われるが。そして取次ぎは3割、出版社が5割くらいとの説明を受けた。ただし、この22%のすべてが書店に入ってくるわけではない。これは「粗利益(あらりえき)」といって、この中から必要経費などが、どんどん引かれていくことになる。もちろん人件費も同様である。その他、光熱費、通信費、自社ビルでなければテナント料、共営費、設備費、雑費などが充てられる。その結果、書店という会社に残される財産としての「純利益(じゅんりえき)」は約3~4%という結果になる。
さて、この中で最も削減が可能なのは何か。実は、人件費なのである。
しかし、この人件費の削減が、ともすれば店舗の運営やサービスにかかわってくるという重大な側面を持つが、それについては、この後の事例で紹介しよう。

その前に、人件費の計算について紹介しよう。
どこの本屋も同じであると思うが、書店における運営資金は、一ヶ月の売り上げを元に考えれる。よって、人件費で言えば、はやっている店は多くの人が雇えるし、はやっていない店は、制限を受ける。私がかつて在職した本屋では、一ヶ月の売り上げの約7%が基準とされていた。つまり、
一日の売り上げがコンスタントに100万円あったとすれば、一ヶ月が30日として3000万円、その7%で、210万円。社員の給料が月20万円と単純に計算し、5人いると100万円。残りは、パート・バイトへの給料とすると、110万円。仮にパートとバイトの時給が700円とする。(安いが、私の行っていた本屋はこれがパート・バイトの初任給だった。)パートは週五日勤務、一日7時間労働とすると20日換算で9万8千円。仮に8人入ってもらう。78万4千円。バイトの人件費は31万6000円となる。これは、誰に何日、何時間はいってもらうかなど、個人差が大きく一概に言えないが、すべての人に週3回5時間入ってもらうとして、月12日で60時間。・・・7人くらいしか雇えない。
この想定は、書いていて恐縮だが、極端である。実際には、私のいた新店で、社員6人、パート7人、バイト12人でスタートした。前年度実績がなかったからこそ出来た人数かもしれない。しかし、この人件費のみを前提とした話だけでは、まだ見えないものがある。

売り場面積という函数
もう面倒くさいので、想定などやめて、私の経験を語ろう。
私が最後にいた書店は、340坪の非常に広い書店であった。そこに上記のような人員で構成されていたのである。そして、現実には平日の終日換算でで11人から12人くらい詰めていた。特に客足の少ない午前中は人手が少ないが、その分仕事が多い。まず品出しで、ほぼ全員が行う。雑誌の配架から始まり、専門書などのハードカバーや大型ムックを箱から出しては、該当場所に持って行き、各担当者が本棚に詰めていく。広さと冊数は比例し、量は莫大である。確実にレジに3人は取られ、広さゆえに目的の本を探す意欲さえなくなった客の応対やその他で本棚への配架は遅々として進まない。というより本棚の前に立てない。忙しくなって、売り場から店員がいなくなる。いるのだが、売り場面積が広いから店員一人当たりの面積が格段に広くなる。仮に340坪を10人で割れば34坪だが、これは外から見てそう考えるだけで、店員にすれば、誰にとっても340坪は340坪で動き回らなければならない。見当違いの場所をうろつく客のなんと多いことか!
尋ねる店員がおらず、帰っていく客もいる。売り上げに影響する。また万引きの心配も出る。

もう少し人手があれば、少しは仕事がはかどる。しかし、それは望めない。

少ない人数で売り場を動かす。客に対する態度はともかく、精神的にも体力的にも極限の状況に置かれた店員どうしは互いにつぶし合う行動に出る。売り場で怒鳴りあうこともある。バックルーム(事務室)はもっとひどく、理性など存在しない。ついでに私のいた店は、机は一台、椅子も数脚しかなかった。座る場所もない。延々立っていなければならない。太陽の日差しすら浴びることの出来ない閉鎖空間で。その時間、最大で一日15時間。
売り上げが減れば、当然人件費が減る。本の方へも、お客さんの方へも振り返れない時間が出来る。悪循環に陥る。

客の希望、私たちの希望
さて、店が大きいと客も本が多くあることを期待して訪れる。問い合わせを受けるが、わからない本が非常に多い。タイトルだけでは本当に判別不可能な本もたくさんある。タイトルがはっきりしないもの、内容だけしかわからないものもたくさんある。中には、ある作家の今在庫している本のタイトルを全部調べて電話口で読み上げろといわれたこともあった。
タイトルや内容についての理解が少ないと怒り出す客もあった。しかし、本棚の前に立てないのである。本についての勉強が出来ないのである。その傍らで毎月500冊も発行される。一つの出版社が「いい本を作れば必ず売れる」と考えて出しても、末端の小売業の書店には、この本がいい本なのかどうかを勉強する機会や時間がまったくないとすれば、出版社や取次ぎの努力は無になるのである。
だから、書店に勤めていた当時、訪れる取次ぎや、いきなり営業で来てレジ業務に忙しかった私を(レジは忙しく、集中力がいる。私は苦手だった)「ちょっと来い」と言わんばかりに無理に引きずり出して、自社の商品についてとうとうと語ったある出版社の営業に対して、私作る人、あなた売る人というカテゴライズではなく、自分の会社の本だけでもいいから一緒に店先に立って売ってくれと言いたいことが何度もあったし、それでなくとも取り分の少ない我々の利益を増やしてくれ、そうすれば人を雇える余地が出来、より商品を知るチャンスが増えるといいたいこともあった。

終わりに
少し長すぎた内容になった。
しかし、断っておかなければならないことは、この文章でもって書店の仕事は最低だとか、よくないとかを主張するつもりはない。ある局地的な場所に置かれた一つの本屋(書店という言葉よりもふさわしい)の経営状況やそこで働く人々の心象を出来る限り正確に描いただけである。最初に断ったではないか、すべての真実を伝えることは非常に難しいと。
ただ、「大変な仕事ですが、楽しいですよ」とか、表面的な紹介記事だけ読んで「大変な仕事だけどそれでもいいの」という雇い主の意思確認に対して簡単に首を縦に振る人も多い。しかし、こうした人々の情報の取得不足以前に、そもそも情報が多く流れていないという現実を見ると、この場を借りて何かを訴えて行きたいと思った。これはそうしたところから生まれたものであり、またブログという空間がそれを可能にしてくれた。
最後に、この文章に書ききれなかった部分、すなわち限界について書いておこう。それはパートさんやバイトさん、あるいはお客との交流の部分であり、出店に関する市場調査の失敗といった側面である。これは機会があればまた書きたい。


日曜洋画劇場 「アザーズ」

2005年02月21日 00時26分31秒 | Weblog
久しぶりにリアルタイムで地上波の映画を見た。とはいっても1時間くらいたった途中からだ。こないだの「呪怨」はエアチェックで昨日見た。

最近のホラー系は実に陰翳をたくみに使いこなしている。この効果は撮る絵によっては心理的な描写さえも実現する。そのことは同じニコール・キッドマンが出ていた、あのヘンリー・ジェイムズ原作の「ある貴婦人の肖像」でわかった。
そこで、本作品であるが、前半部のあらすじは他のホームページを調べてわかった。
すごく重苦しいという感想を持った。
ラストのあの親子の悲しげな表情が目に焼きついた。それを諭すように、使用人の老婦人が最後にかけた「お茶でもどうですか」の一言は、果たしてあの親子に心休まるものだったのか?

社員に隔離される社長

2005年02月21日 00時14分33秒 | Weblog
朝方、テレビを見ていたら、「いつみても波瀾万丈」でライブドアの堀江社長が紹介されていた。ライブドアでは社長室がないそうだ。つまり一般社員と同じフロア・同じ場所に机を置いているのである。そういえば、こないだ私が訪問した会社も一般社員と机を並べて、社長の机があった。ベンチャー企業では、改めて社長室を作るというようなことがない。作るスペースが無い訳でもない。まして、会社の体裁を考えて社長室を作ることが半ば常識となっているが、堀江氏曰く、「社長室って、本当に意味が無いのですよ」と。

同じ日、朝日新聞の朝刊の書評欄で、猪瀬直樹氏が『ミカドの肖像』を執筆した当時、国土開発へ取材に行ったときのことを書かれていたが、彼はその時社長専用の応接室に通されたそうだ。その場所は実に20坪ほどあったそうである。

非常に対照的な話である。

昨年、私がDTPオペレーターとして勤務していた会社にも社長室があった。梅田の非常に高層のビルでワンフロアを借りていた。もともと、その場所に詰めている人間の数は少ないのだが、パーティーションを作って、社長室を設定していた。ドアは常に固く閉ざされ、時々社長がトイレに立つ以外は、退社時しか見かけることが無かった。どんな部屋なのかと常々思っていたが、社長が外出している間に、機材を運び込むことになり、その部屋に入った。角地だったそこはガラスを背にして明るく眺めも良かったが、15から18坪と思われるその場所のほんのわずかな12畳ばかりを使用し、机と応接セットがあるだけの殺風景な部屋だった。明らかに、ただ部屋を設定しただけの印象だった。しかし、他の社員にしても、社長は「やんごとなきお方」という捉え方があり、その方の満足いく場所にいていただいて、必要最低限の報告しか行わない(あるいは関わりを持たない)というものだった。

組織が大きいと仕方が無いのかも知れないが、こうなると寂しいものである。しかし、見方を変えると、社長が一般社員と机を並べるというのは、逆に、社員の間で社長という個人が受入れられて初めて意味があるのだと思う。あるいは、たとえ社長室があったとしても、社長の行動次第で変わるのかもしれない。実際、楽天では社長室があるそうだが、三木谷社長はよく一般社員の机の間を歩いて、社員と会話をするそうだ。

採用の時の試験官としての存在でしか認知されていない社長か、ともに仕事を行う人というのを、その存在でもって示すことのできる人か。私が社長だったら、後者を選択して努力したい。

ブランドを修行に出す。

2005年02月20日 00時18分03秒 | ニュース
2月19日の朝日新聞に福助の社長をされている藤巻幸夫氏が4月から同社の副会長に退き、イトーヨーカドーが4月に設立する新会社「IYG生活デザイン研究所」の社長に就任するという。この会社はスーパーの売り場改革や新製品の開発を担う。

近年、総合スーパー(GMS)の経営は不振である。これは、比較的経営が好調であるとされるヨーカドーやイオンでさえ売り上げは低迷している。特に、専門店チェーンとの競合が激しい衣料部門になるとさらに低迷の度合いが深刻なものになる。ヨーカドーが今回、この会社を活用して行う経営改革は、衣料品の絞り込みとその中でヒット商品をつくリ出すこと。SPA(製造型小売り)を導入し、新ブランドを立ち上げることである。

こうした方法を行う会社は非常に多いが、本当に重要な点は、自社スーパーもしくはデパートで売り出すためだけのブランドが、果たして本当に他のブランドとの競争に勝つための力を持つことが可能なのかという点である。いや、それ自体「ブランド」という定義が活用できるのかという問題にもなってくると思う。
問題は、新しく作り上げた「ブランド」を一つの大規模小売業(ここでは総合スーパー)が独占的に内部だけで展開するには、その母体となる大規模小売業のネームバリューが非常に重要な問題となってくる。

今回ヨーカドーが注目(仮想敵?)したユニクロの現状を見てほしい。確かにSPAで品質が良く、安価な衣料品を手に入れることが出来ることは消費者の最大のメリットがあった。しかし、品質を維持すると同時に差別化は色だけを変えることであり、その他デザインが全く同じであることを前提とした大量生産に付随する価格の引き下げを計ったことは、最初は注目を浴びたが、後々消費意欲の低下を生み出すことになった。何よりも、品質以上に安価な商品の部分が常に注目され、それゆえ安っぽい「ブランド」のイメージも生み出し、今日ではこちらの方が強いように思う。批判を浴びることを承知で書くならば、すでにイトーヨーカドーそのもののブランドイメージが安いものという側面が強く、それゆえ、どれほどよい製品やブランドを開発しても、ヨーカドー1社の独占的な管理下で運用すれば、失敗する可能性が非常に高くなるという話になる。

もし新しく作り上げたブランドを長く、成長させていくには、ヨーカドー内で立ち上げたブランドを他のスーパーや百貨店の1テナントとして出店させ、そこで厳しい外部監視や競争を受けさせることが重要なのではないだろうか。つまり、無名に近いブランドを成長させるために、「修行」させるのである。

話を藤巻氏の福助社長辞任に戻そう。個人的な感想を言えば、内部活用のみのヨーカドー新ブランド立ち上げよりも、福助のブランド成長の方がやりやすく、面白かったのではないかと思う。外部から見る限りでは、藤巻社長のもとにおける福助の新成長は始まってそう時間がたった訳ではないし、市場の拡大もまだ途中だからだ。まあ、辞任の理由は他にもあるのかも知れないが・・・・